半分世界とかわいい魔王とヒューマンピーポー

黒烟

旅立ち

「––––ということでいかがでしょう、魔王様」


 宰相のその一言により、辺りには風でも吹けば全てが崩れ落ちてしまいそうな程の緊張の糸が張り巡り、怯えの色を滲ませた数多の視線が中央に座す一人の人物へと注がれる。

 新月の夜空に浸したような暗黒の鎧を纏い、頂点の権力を示すかのような禍々しき角を持ち、その身の節々から赤黒い魔力を立ち上らさせ、憤怒の形相を浮かべた兜の奥では、爛々と眼光が迸っている。

 其の者は重苦しく口を開けた。


『よかろう』


 臓腑まで響く声が周囲の者全てを震え上がらせ、一瞬の静寂の後、議会の場は安堵の息で満たされた。


「ご承諾いただき感謝申し上げます。では皆さま、当月の定例議会はここまで、次回は各支部の進捗報告があるので忘れないように。なお、今回の議会内容は後ほど資料をお送りしますので必ず眼を通しておいてください。また、先程も申し上げた通り、本日より北メディス拠点にて転送石の試運転が始まりますのでお忘れなきよう。以上」


 宰相の言葉を区切りとし幹部は各々の拠点へと消えていく。

 その場には宰相と其の者のみが残された。




 宰相は閑散とした議室を見渡し、鼻で小さく息を吐いた。


「いかがでした?魔王様」


 視線を前に向けたまま宰相が問いただす。


「よかろー」


 出てきたのは先ほどと同じ言葉。だがその声は高く、幼く、軽薄だった。


「……魔王様?」


 宰相が振り返り苦笑いを浮かべて其の者……の後方へと視線を移動させる。

 少しの間の後、絢爛に飾られた玉座の後ろから小柄な童児が姿を現した。白く輝く髪は腰まで伸び、その頭頂には2本の小さな黒い角が生えている。


「……意外となんとかなるもんだね」


 そう言いながら玉座の肘掛けへ腰をかけ、其の者の頭へと手を伸ばす。煌びやかな装飾は座るのには適していないようで、不快感を顔に浮かべつつ其の者の頭を撫でる。

 と、同時に其の者が爆発した。


「うえええええぇ疲れたあああぁ!ずっと座ってるから足痺れるし空気重いしオジサンオバサンなんか変な匂いするし話つまんないしつまんないつまんないつまんないつまんない!褒めて褒めて褒めて褒めてぇ!」


 中から長身で体格の良い女性が飛び出し、軽薄な声のまま称賛を要求しながら童児の腹へ頭を擦り付ける。頭を左右に振る度、黒と赤に染まった癖っ毛が揺れ動く。

 彼女は私の妹ラバラリーナ・イシュテリヌ・ザガンドリス。愛称ラビィ。

 一方私はロント・ピコ・ザガンドリス、先ほどの童児だ。


「それにしても歳を無駄に重ねただけの重鎮のジジイ共とあろうものがこの程度の小細工を見抜けないとは……肩透かしでございますね。とっくに耄碌し切って最早魔力しか見えていないのでしょうか。とっとと隠居して若いものに責任を放り投げれば良いものを……余計なプライドが邪魔をしているのかも知れませんね。そんな姿勢だからどの名家も後継問題が起こっているのがわからないのでしょうか」


 宰相…サイフォルドは人差し指を顎に当て惚けた表情で言い放った。

 コイツは相変わらず口が悪い、整っているのは顔だけでそれ以外は難ありすぎる。議会の間もこんなことを考えながら取り仕切っていたと思うと背筋に薄寒いものが走った。敬意とかないんだろうか、と若干白けた目で見つめいるとヤツが振り向き、


「もちろん、魔王様へは敬意を抱いておりますよ」


 長く先の尖った耳を上下に動かしてニコリと言い放つ。

 読むな、思考を。

 ただ実際のところ彼らが騙されてくれて助かったのは事実、ここで躓いてたらこの後の計画が何一つ上手くいかなくなる。


「……ホントに行っちゃうの?」


 こちらの考えを察したのかラビィが不安げな表情で見上げてくる。

 私は昔から妹のこの表情に弱い。取っておいたお菓子を食べられようとも、気に入っていた玩具を壊されようとも、魔界全土に魔術をかけようとも、最終的に許してしまう。先に生まれた者の宿命なんだろうか。

 目を離すとそのまま消えてしまうのではないかと思わせるその雰囲気に少しだけ言葉が詰まりつつ、今後この表情を減らすためにと決意を改める。


「よく聞いてラヴィ」


 よく聞かせるのもこれで6回目だ。

 頭を包み隠すように抱き寄せ、首筋から背中にかけて子供をあやすように撫でつけた。


「私はここに長く居続けるために旅へ出なくちゃいけない。それは前も言ったね」


 ラヴィは頭を縦に振る。声は喉が震えて上手く出せないようだ。

 泣かないように我慢している、偉いぞ。

 最初に伝えた日はそれはもう大変なものだったが、何度も言い聞かせたお陰か流石に理解はしてくれているらしい。彼女からすると最終確認みたいなものなのかもしれない。


「人間界の方を旅して、目的達成したらすぐ帰ってくるから」


 お腹に唸り声が伝わってくる。まだご不満のご様子だ。


「それにひと月に一度はこっちに戻ってこれるし…」


 黙って耳を傾けていたラヴィがばっと顔を上げた。


「でもひと月って30日だよ!?さんじゅうにち!だいたいよんしゅうかん!1週間が始まって終わってを4回も繰り返すの!ながい!ながすぎる!その間ワタシたった一人で!」


 どうやらサイを勘定に入れていないようだ。

 チラッと彼の方を見る。

 ニコッと返された。助け舟を出す気はないらしい。


「デティロく……さん?がいるでしょ。彼……彼女?うーん…あの子が助けになってくれる筈」


 デティロとは先日ラヴィのお付きとして採用した堕天使の子である。実は性別を知らない。あまりにも見た目が中性的なのだ。天使に性別はないって言い伝えがあったようななかったような…今度それとなく聞いてみよう。


「でもまだ知り合ってそんな経ってないし……積み重ねて来た年月に天と地ほど差があるでしょ!」


 普段の言動に似つかわしくないなんとも詩的な言い回しだ。行かせまいと色々頭を回してるらしい、出力方向が独特だが。


「私としてもこれを機にラヴィが心を許せる人を増やして欲しいんだ」


 現状彼女が心を許せている人物は把握済みの範囲だと私とサイの2人だけだ。城に引き篭もって他者との交流が一切ないというのは流石に健全とは言い難い。私自身の交流関係についてはまぁ……うん……


「他の人なんて別にいらないし……」


 語気が弱くなっていく。もうひと押しかな。


「だとしたら尚更行かないといけない。このままだと前みたいにここから出ていかなきゃいけない事態を招くからね」


 私の見た目はとても威厳がない。そのためなんというか……簡単に言うと、ものすごい舐められる。魔王だというのに。

 蛇神族の娘さんとの縁談話を勝手にガンガン進められた時は焦った。しかもこちらが養子に入るといった内容で。逆だろう、普通。こちとら魔王だぞ。


 未遂で終わったものの何件か似た様なことがあり、どれもこれも私をここから連れ出して囲おうという魂胆が見え見えだった。身の元に置けば操りやすいと思ったのだろう。その後も各方面からのアプローチが激しく正直魔王業に支障をきたしていた。

 理由は明白、どうしても私の容姿が、


「……そうだよね……兄上かわいすぎるもんね」


 神妙な顔で言われた。


「そうですね、些かお世辞にも魔王っぽくはないかと」


 おい追撃するな、敬意はどうしたんだ。

 実際その通りで幼児にしか見えないこの見た目で散々苦労した。それどころか女児にさえ見えるため、勘違いした名家のお偉いさんから男を縁談相手に用意されたことさえある。


「……まあそういうわけだから、なんとか見た目を変える手段を手に入れないといけないんだ」


 私もラヴィみたいに幻惑とか変身魔法系が得意だったらよかったが……彼女はその系統の天才なのだ。一方私は小さな角を魔術で隠すのが精一杯、10年修行してこれだ。このままだと全身変えるには1000年かかるとサイに言われた。うーん1000年も経つと色々手遅れになってそうだ。


「でもそのままでも……だけど……うん……」


 私の情けない容姿を引き合いに出した甲斐があったのか、詰め寄る彼女の態度も大分弱々しくなってきた。よし、トドメだ。


「わかった、戻った時はいつもより甘えて良いから」

「ホント!?」


 さっきまで萎れていた顔がパッと咲き誇った。満開だな。

 そのままぐりぐりと胸に擦り付けてきたので名残惜しく頭を撫でる。それに答えるように、彼女は頭の横から下向きに生えた角を腕に預け、大人しく撫でられる体制を取った。艶やかで大きな尻尾が右へ左へと、この時間を慈しむ様にゆっくり揺れている。

 この仕草もしばらくは見れなくなるのか。まずい、行きたくなくなってきた。

 と思った次の瞬間、視界にやたら彫りの深い顔が横向きで現れた。


「そろそろお時間です」

 

 的確なタイミングで水を差された。さては心が読めてるんじゃないか?

 そんなヤツの顔を見ながら大きく息を吐いて、天井を見上げる。

 目を瞑って此処での思い出を振り返ることにした。

 ……

 …………

 ……振り返るほど沢山はないな。ラヴィとのアレコレしかない。

 よし、行くか。


「じゃあラヴィ」


 改めて向き直る。彼女も姿勢を正した。

 伝えておきたいことは山ほどあるけど、ここは一言にまとめよう。


「行ってきます」

「うん、行ってらっしゃい兄上」


 最後にとびきりの笑顔をくれた。


「あ、そうだ。行く前に髪切ってもいい?流石にこの長さのままで旅は邪」

「それはダメ」


 とびきりの笑顔で打ち切られた。




「……よし」


 少なめにまとめた旅の荷物を抱えて転送部屋へと歩みを進める。実際に歩みを進めているのはラヴィの足で、私の身体は抱きかかえられ宙に浮いている。一度部屋まで荷物を取りに行くだけだというのに彼女は着いてきた。ついでにサイも。

 今もゆっくり廊下を歩いている。なんともいじらしい。

 そして私の後頭部に顔を埋めながらで迷う事なく進んでいる。すごい。


 ちなみに会議が終わったばかりだと言うのにすぐ出立するのには2つ理由がある。1つは今もこんな状態になっているラヴィの気が変わらない内にという事と、もう1つは私自身が不安だから、という事だ。


 先ほど”ひと月”とは言ったものの、それほどの期間魔王城……もとい実家を離れたことはない。元々出不精というのもあるが、大抵の物は自室にいながら手に入る環境だったため何一つ不自由していなかったし、以前目的の魔術が少なくとも魔界には存在しないということに気づいた時も、魔王業の忙しさを言い訳に人間界行きを後回しにしていた。実際忙しくもあったが。


 その為、城周囲の街すら出向くことは殆どないような私が、父の過去話や他者の記憶経由でしか知らない人間界へいきなり行こうというのだ。不安にもなるだろう。


 ただ、今しかない。

 あの大事件の副産物ではあるが、私が魔王業を一時的に妹へ預けて旅に出られるのも恐らくこれが最初で最後のチャンスだろう。

 腰は重いが出立せざるを得ないのだ。


 などとこれまでの経緯を反芻していると宙に放られていた足の揺れが止まる。

 転送部屋に着いたみたいだ。


 こぢんまりとした室内では、所狭しとよくわからない管や謎の機械が占領しており、その中央には薄ぼんやりと光る円形の台が鎮座していた。


 後はラヴィに降ろしてもらい装置を起動させれば、おおよそ100年に及ぶここでの生活とはしばらくお別れとなる。


 降ろしてもらえれば。

 ……降ろしてくれるかな。

 ……

 …………

 …………………


 彼女の深呼吸が2桁に差し掛かろうという辺りでようやく地に足がついた。お礼に頭を撫でてから抱えていた荷物を背負い直し、台の上に立つ。


 部屋を見渡し、仏頂面なサイの顔、口を結んで眉を八の字にしたラヴィの顔を順に見つめ、一呼吸してその場に直る。


「じゃあ改めて」

「改めてお出かけになられる前に少々お時間いただけますでしょうか」


 出鼻を挫かれた。思わず眉間に力が入る。本当コイツ……


「……なに」


 言いたいことは色々あるが、基本彼の提案や助言は益になるので諸々を飲み込んで耳を傾ける。そんな私の様子を見たヤツの鼻が小さく鳴った。本当コイツ……


「まずはこちらの羅針盤をどうぞ」


 私の手にも収まる程度の大きさの羅針盤を渡された。飾り気はなく燻んだ金色で塗装された蓋を開けると2つの針が揺らめいている。

 片方は方位のようだがもう片方は…


「もう片方は次の目的地です」

「ほー」


 素直に感心する。旅立ちが決まってからひと月は経っていないというのに、ここまでの物が出来ているとは思ってはいなかった。


「以前魔王様と決めた順路をインプットしていますが、その通りに進まなくても問題ございません。オートで修正がかかります」


 そこまでの物だとも思っていなかった。相変わらずサイは宰相より技術開発の方が蓄えた知識が遺憾無く発揮されるらしい。長寿の変態は技術も変態だな。


「失礼なことを考えておいでですね?」


 もちろん。

 咳払いをしてサイが話を戻す。


「後は……」


 一瞬後方へ目を送る仕草を見せた後、身体で隠すように2つの小石を差し出した。


「念の為こちらを。現状2個が限界でした」


 小声で語りかけてくる。後ろを気にしたということはラビィに聞かれたくないのだろうか。


「片道限りの使い捨てではございますが…この場に戻れます。有事の際にご使用ください」

「……なるほど」


 こんな物があると彼女にバレたらひと月も経たずに帰還するようにあらゆる手を使ってくるに違いない。サイの口ぶりからすると相当貴重なため無闇に使って欲しくはないのだろう。文字通り緊急用だ。大事に使うようにしよう。


「容姿についてはこちらも尽力致しますのでご気楽に旅をお楽しみください」


 最後に一言加え、話は済んだとばかりにサイが姿勢を正す。居直るまでに間があったので、なんとはなしにサイの顔を見つめてやることにした。多少戯れがあるもののコイツには幼少期から世話になっている。それどころか父の代から仕えてるというから生まれる前からだ。

 今回の計画もコイツ無しでは成せないことも多かったし、礼の一つでもくれてやるか。こちらの視線に気づいた彼が薄ら笑いを浮かべて耳打ちしてきた。


「ご心配されずとも姫様に手は出しませんよ。私にはヴァン君がおりますから」


 前言撤回、かけてやる感謝の言葉などない。不敬罪を発足していればコイツはとうの昔に死刑だ。ただ拘束できる人物がいないだろう。

 とりあえず礼の代わりにチョップを喰らわすことにした。


「おやおや、これで一ヶ月先までお叱りはお預けになりますね」


 何故か嬉しそうに額をさすっている。もう一発喰らわせてやろうか。

 これ以上はキリがないしラヴィの頬が膨張してきているのでサイを追い払う。

 では改めて改め直そう。


「じゃあ」


 先程全て伝えたので最後は簡単な一言だったがラヴィは頷いてくれた。サイが装置を起動させたようで低く唸るような音と振動が足元から伝わってきた。


 鼻の先端が少し赤くなっているラヴィに手を振る。ラヴィが両手を大きく振って返してくれたので、その勢いの良さに少し笑った。

 

 視界に光が満ちていく。

 消える頃には別の場所についている筈だ。

 

 束の間ではあるが、

 さらば、魔王城。

 

 次ここに降り立つ時には、

 長身のゴリゴリマッチョマンになれていることを期待して。




 …あ、義母上によろしく伝えるのお願いし忘れた。

 まあいいか。

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