12.招かざる人 -唯香-
夏休み。
教師に夏休みはないから、
私はいつもと同じように
仕事に出掛ける。
だけど……
やっぱり気持ちが
付いていかないよ。
一学期の終業式が
終わった翌日、
託実さんに見送られて
留学してしまった雪貴。
雪貴の未来を積みたくない。
そう思ったのも、
紛れもない私自身なんだけど
一年なんてすぐだよって
必死に言い聞かせては見ても、
雪貴と過ごしたあのマンションは、
一人で過ごすには広すぎて。
大きなベッドも、雪貴が居ない今は
ただ弄ぶだけ。
生徒たちが夏季休暇に入った
最初の休みの日。
私は住み慣れていた
自分のワンルームへと帰宅した。
春、本当は引き払うかどうかかなり
悩んでた私のワンルーム。
だけど……、
生徒と教師が同じ住所って言うのも
微妙だよって、それで家賃だけは
おさめつづけてた。
こんな形で役に立つなんて……。
Ansyalの活動がない夏。
去年なんて、
LIVEに行って、FC旅行に出掛けて
かなり充実してた。
そんな私の夏のスケジュールは
見事、白紙。
真面目に学院に出勤して、
部活の顧問を真面目にして、
仕事が終わったら、真面目に帰宅か
百花と託実さんのマンションにお邪魔する。
そんな毎日。
留学した雪貴は、
生活に慣れるのに忙しいのか
なかなか連絡が取れない。
お互いに、
一方的に送りあうだけのメール。
電話に出ることが出来ない
着信の形跡。
時差もあるんだ……。
通話料金が怖いながらも、
雪貴の声が恋しくて……、
携帯を握りしめては、
相手が出られない電話をかけ続ける。
「緋崎先生。
今日の練習、終わりました」
音楽準備室で携帯を握りしめてる
私に声をかけてくるのは、
マーチングバンド部の生徒たち。
「はいっ、お疲れ様。
気を付けて帰ってねー。
明日、秋からの公演用の新しいドリルが
完成してくると思うから、
皆に伝えておいてください」
「わかりました。
お疲れ様でした」
先生らしいこともしつつ、
携帯電話を鞄に片づけようとした直後、
Ansyalの音色が響く。
相手は百花。
発信相手を確認して、
携帯を着信させる。
「もしもし、どうしたの?」
「仕事だよね、唯香」
「うん。
でも今、部活終わったから」
「あのさ……、どうしよう」
「どうしようって、何が?」
なかなか会話に繋がらない中身を
引きづり出すように、
百花と会話する私。
「唯香、陽性だったの。
妊娠チェックしたら、
陽性だったのよ」
突如告げられた告白に、
私自身、何て言葉を返したらいいか
思考が付いて行かなかった。
「唯?
唯香?」
思考が停止した沈黙の時間。
微かに耳で捉えた、
百花が私を呼ぶ声に
ようやく現実感が目覚めた。
「妊娠って、病院は?
託実さんは?」
「託実は今、スタジオ。
プロデューサーとして活発だから」
「なるほどね。
わかった、今日はもう仕事あがれるから
今から付き添うよ。
病院、行ってちゃんと
確認して貰う方がいいでしょ」
「うん。
だったら今から
車で校門まで迎えに行くよ」
電話をきって、準備室で
明日の部活用の資料だけをまとめると
職員室へと顔を出して、
荷物を持って校門へと向かった。
百花の車の助手席に乗り込んで、
そのまま大学病院へと向かった。
何も知らない病院よりは、
知ってるスタッフが居るところの方が
いいかもって言う
安易な考え方。
受付で裕先生か、
裕真先生が捕まらないか確認する。
裕真先生に関しては
アポなしで捕まる可能性は
殆どないんだけど、そこは百花。
百花は託実の彼女で、
現在、同棲中。
そして託実さんは、
裕先生と裕真先生の二人とは
従兄弟同士。
すぐに受け付けのお姉さんは
繋いでくれて、
最上階の部屋へ案内してくれた。
そのまま百花は
裕真先生が呼び寄せた産婦人科の先生と
部屋を出て行って、
私はそのままその部屋へと滞在する時間。
裕先生と違って、あんまり面識のない
裕真先生と過ごす緊張の空間。
そんな緊張を打ち消してくれたのは、
裕先生が顔を出した時。
「こんにちは、唯香ちゃん。
百花ちゃんの
付き添いなんだよね。
雪貴くんから連絡は?」
無音の空間に、何時もの柔らかな声で
話しかけてくれる裕先生。
「雪貴とはすれ違いばかりで。
後は、メールにしても電話にしても
通信料金と通話料金ばかり、
気になっちゃって」
そう言った私に、裕先生は
携帯端末を手にして近づいてくる。
「こういうソフトいれると便利だよ。
お互い通話料金も気にしなくていいし。
私も海外にいる知人とは、
この方法で連絡することが多いかな?
ソフト開発のスポンサーには協賛してたしね」
そう言うと、サクサクっと先生は
私が使いやすいように、
携帯にダウンロードして設定してくれる。
そしてそのまま、ある名前を表示させて
発信ボタンを押した。
画面に出ていた名前は、
惣領国臣【そうりょう くにおみ】。
惣領家は、
確か雪貴のホームステイ先のはず……。
暫くすると相手が出たのか、
裕先生は会話を楽しむ。
「残念、唯香ちゃん。
今、雪貴君はレッスン中だって」
そう言うと、
そのままもう暫く会話を続けて
電話を切った。
「こうやって電話を楽しんでも、
ネット電話だから、
月々の基本料金だけだからね。
遠距離恋愛のお供にはぴったりでしょ」
そのまま裕先生も
自分の机に座って、
PCで作業を始めていく。
私もそのまま自分の
携帯電話を触っていると、
部屋のドアが開いて、
百花が戻ってきた。
産婦人科の先生は、
そのまま裕先生と裕真先生の方へと
報告に行く。
私の傍に近づいてきた百花は、
お腹に手を当てながら、
『出来てた……』っと
私の傍で呟いた。
その後は、大騒ぎ。
仕事を抜け出した託実さんは、
大喜びで、病院まで迎えに来て
託実さんたちのマンションへと場所を
移した私は、
雪貴の居ない寂しさを感じる暇もなく
そのまま晩御飯の準備に勤しむ。
百花の妊娠が見つかったことで、
一気に退屈だった白紙の夏休みは
百花のサポートで埋め尽くされた。
託実さんと百花のマンション。
自宅。
学校での仕事に、没頭しているうちに
雪貴の居ない夏は駆け足で去ってく。
九月。
新学期を迎えた学院内。
職員室で、
もう会うことがないと思っていた
アイツと再会した。
産休に入った、
社会の本浦【もとうら】先生の
変わりに入ってきた臨時講師。
『今日から、社会の本浦先生の代わりに
こちらで講師を務めます。
土岐【とき】と申します。
宜しくお願いします』
そう挨拶をしたアイツの声。
土岐悠太【ときゆうた】。
忘れもしない、
私が死にたいと思った
きっかけを作った存在。
「なんで……。
なんでアンタが来るのよ」
心の中だけで呟いたはずの言葉は、
知らない間に、
周囲にも知られるほどに
大きな独り言になっていて。
一斉に集中する
他の先生たちの視線。
昔のことなんて
忘れたかのように
同じような視線を向ける
アイツ。
「緋崎先生。
言葉を慎んでください。
土岐先生には、
冴崎【さえざき】先生と一緒に
今後の授業の打合せをお願いします。
後、土岐先生、
SHRは緋崎先生のクラスを
体験してきてください」
教頭はそう言うと、
職員会議は早々に終わった。
このまま職員室にいる
気分にもならなくて、
慌てて出席簿だけを抱えて
教室の方へと行く。
そんな私の後ろ、
慌てて追いかけるように
ついてくるアイツ。
「唯香、
何そんな他所他所しいんだよ。
お前、ホントに教師してたんだな」
そうやって話しかけてくる
アイツの声を
反射的に遮断したくなる。
「おはよう、唯ちゃん。
まだチャイムなってないよね」
「おはよう」
教室に早足で向かう私に、
次から次へと話しかけてくる
生徒たち。
そんな生徒たちに
挨拶を返しながら、
私は冷静さを保つのに必死だった。
「よっ、唯ちゃん」
背後から肩に手をポンっとあてて、
私の名前を呼ぶのは雪貴の友達。
今学期もまた雪貴の変わりに
クラス委員の代理を引き受けてくれた
霧生【きりゅう】くん。
「ちょっと唯ちゃん、こっち来て」
言われるままに、
霧生くんに手を引かれて
人気のない場所へと連れていかれる。
「おはよう、霧生くん。
怖い顔して、どうかした?」
アイツと再会して
パニックになってる自分を
知られたくなくて、
平静さ保ちながら言葉を返す。
「どうかしたじゃないよ。
唯ちゃんの後ろのアイツ何?
アイツが唯ちゃん見てる視線、
イッてるよ。
唯ちゃんも雪貴居なくて
泣きそうな顔してんじゃん」
そう言いながら、
霧生くんは、
私をあやすように声をかける。
「ったく、先生をからかうなって
言ってるでしょ」
「唯ちゃんが行くなって、
言ってたら雪貴は
留学行かなかったでしょ。
なんで言わなかったの?」
なんてサラリとキツイ一言。
「雪貴の夢を潰したくないから。
雪貴の未来の可能性を
摘めるわけないよ。
誰よりも近くで、
見守ってるのに。
大丈夫だって。
霧生くんも居るし、
仕事もしてる、
ウチのクラスは優秀だし」
「大丈夫よ。
霧生くんたちもいるし、
仕事なんてしてたら、
一年なんて早いもん」
一年なんて
たった365日。
「唯ちゃんがそうならいいけど。
雪貴からは一年、
唯ちゃんのボディガード頼まれてるから
精々、守ってやるよ。
さっきみたいにさ。
アイツには気を付けな」
霧生くんからの警告を受けてすぐ、
時間を告げる琴の音が
校内に鳴り響く。
慌てて教室へと私も急ぐ。
クラス内、
雪貴が座って笑っていた
あの場所は空席のまま。
弱ってる時は、
やっぱり会いたかったな。
「起立・礼・着席」
っと流れ作業のように、
声を出した霧生くん。
「あっ、今日休んでるやついる?」
出席をとる前に、
グルリと周囲を
見渡しながらに呟く霧生くん。
「留学行った、
宮向井以外は全員いるよ」
「ってか、凄いよなー。
俺らのボスは」
なんで口々に、
雪貴の話題で教室中が盛り上がる。
「そうそう、今学期から本浦先生
産休なんだよな。
バレー部の奴らが悲しんでた。
社会って代わりの先生って、
もう来てるの?」
ふいうちを食らった質問に、
何も言えずに無言で頷く。
「何々?男?女?
俺としては、女の先生がいいよなー。
スカート丈も短くてさ。
まっ、唯ちゃんみたいな
天然キャラもいいけどな」
天然キャラって……。
天然、天然って
言わないで欲しいんだけど。
言わなきゃ。
生徒からの質問なんだから。
怖くなんてない。
私には隆雪さんも
雪貴もいる。
アイツに怖がる理由なんて
何処にもないんだから。
握りこぶしを必死に作って、
自己暗示をかけるように
何度何度も心の中で呟き続ける。
覚悟を決めて、
ドアの方に視線を向ける。
「土岐先生、どうぞ」
そうやって招き入れると、
登場した男の先生に、
男子生徒のテンションは下がっていく。
「本浦先生の代わりに
着任した土岐先生です。
ミニスカート丈の
可愛い女の先生を期待してた
みんなはごめんなさいね」
発表直後に
盛り上がるブーイング。
そんなブーイングの中、
アイツは生徒たちに
自己紹介を始める。
「去年まで、
村瀬公立高校で社会を
教えてました。
今年はフリーだったんですが、
今回、名門の神前悧羅学院に縁を頂きました。
土岐悠太です。
出身校も、悧羅じゃないので
ここのことは、全くわかんないけど
それ以外のことと、社会だけは何時でも聞いてくれ。
あっ、後唯ちゃんだっけ?
お前らの担任のことも、
何でも聞いていいぞ。
俺、昔コイツと付き合ってたから」
突然の爆弾発言に、
クラスの視線が一気に集中。
私の思考とは停止寸前。
新学期初日から、
先が思いやられる幕開け。
招かざる人の突然の登場に
私の意識は怯えるばかりだった。
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