日記



今日の筆は、太宰治の『人間失格』から始まった。

この時点で、眉をひそめる読者がいてもおかしくはないと、自分でも思う。


だが、自分の感情を晒さずに何が文学か――そう考えて、私の中の「作家でない部分」がついに筆を取った。


私は、昔から独りよがりの演説家の卵のような言葉が嫌いだった。だからこそ、言葉には筋を通さねばならないと感じている。

普段の私の文体を見れば、格好をつけていると見られるだろう。文豪気取りと笑われることも承知ではある。だが、これは素の私である。そして、恐らくすべての作家も、誰かに合わせて文体を選んでいるだけで、本来の言葉はもっと個人的で、もっと不器用だろうと。


言い訳はこのくらいにして、本題に入ろう。

『人間失格』についてだ。


あの本には、魔力がある。


読み進めるうちに、引きずり込まれる。醜さ、生々しさ、破綻――そこに脈打つ繊細な人間の輪郭は、ただの悲劇ではない。

危ういが、真実味がある。読む人の人生を狂わせかねないほどに。


私は、その空気に抗った。

「どうせ大切なものは失われる」「生きることに意味はない」といった言葉に、私はどうしても頷けなかった。反抗心というより、拒絶に近かったのだと思う。


私は激怒した。とでも言えば太宰治も眉を上げてくれるだろうか。激怒といえば過言ではあるが、少し振り向かせて、パシンと頬を叩いてやりたいのだ。そのための言葉遊びならば許されると思う。


だが、反抗してみたが、これといってちゃんとした理由は見つからなかった。笑われていそうではある。「ほれ見たことか」と。


それでも、私は思う。

彼は、おそらく考え方を変えたくなかったのだ。いや、変えられなかったのかもしれない。だが、そこに、強情な男の意地が見えた。

敗北を認めながらも、自らの視線だけは変えなかった。だからこそ、あの作品は力を持っている。


だが、私はやはり違う道を選ぶ。

笑われるだろうが。


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徒然していくスタイルのエッセイ 田島ラナイ @tajima_ranai

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