「右ポケットのコイン」
彼女は「運命って、けっこう適当だと思う」と言った。
僕らが初めて出会ったのは、図書館の返却ポスト前で、僕が落とした百円玉を、彼女が拾ったのがきっかけだった。
百円玉ひとつで出会う運命があるなら、財布を振れば結婚相手が出てくるのかもしれない。まあ、それなら僕はすでに三回くらい振ってるんだけど。
その日、彼女は右ポケットから小さな銀のコインを出して、僕に見せた。
「これはね、誰かが未来から落としていったコインなんだって」
「未来って、どこに?」
「知らない。でも、拾ったの、私。小学校の砂場で」
僕はそれが冗談なのか本気なのか、判断がつかなかった。伊坂作品の登場人物なら、たぶん軽く受け流しつつも、ちょっとだけ信じたふりをするはずだ。だから僕もそうした。
「もし未来から何かが届くなら、もっとマシなもんがいいな。宝くじの当たり番号とか、来週の天気とか」
「それはもう“運命”じゃなくて“ズル”だよ」
彼女はそう言って笑った。笑い方が少し歪んでて、それが妙に魅力的だった。
僕はそのコインを借りて、右ポケットに入れたまま会社に行き、その日、上司に理不尽なことで怒られ、靴擦れを起こし、電車に乗り間違えた。
つまり、コインのご利益はゼロだった。でも帰り道、傘を忘れた僕に、見知らぬ子どもが「使ってください」と折りたたみ傘をくれた。
運命ってやつは、百円玉で始まり、未来のコインを通って、小さな親切で締めるらしい。
彼女とはその後、自然に付き合うようになった。というより、気づいたら隣にいた。
彼女のコインは今も僕の右ポケットに入っている。洗濯機に何度も飲まれ、そのたびに助け出されて、ちょっと曇ってきたけど。
未来から届いたかどうかは今もわからない。でも、それが“信じたいこと”であることは、確かだ。
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