第10.5話 トランクおじさん

 皆様は、こんな人物を一度でも見た事はあるだろうか?


 折れ曲がったシルクハット、櫛で通せばスルリと抜ける八の字髭、少しヨレたカラスみたいに黒い燕尾服えんびふく、両手に新品同然の白い手袋がはめられ、先が丸い黒革の靴をはいている。


 そして、何よりかなり年季が入った革のトランクを大事そうに持っている。


 こんな身なりをした紳士を見た事はないだろうか?


 まぁ、何を隠そう。それは吾輩なのだが。


 吾輩の名前は――そうだな。別に生まれも育ちもよく知らないから、普段から呼ばている名前にしておこうか。


 吾輩はグラン=トラ=レッカトール。別名は"トランクおじさん"。まぁ、覚えやすい方を選びたまえ。


 もしこの中に既に吾輩を知っているのだとしたら、吾輩のストーカーか、あるいはただの他人の空似だろう。


 吾輩はいるようでいない。幽霊みたいなものだ。


 フラッと現れたかと思えば、しっちゃかめっちゃかに暴れて、気がつけばフラッと消えている。


 そんな神出鬼没の吾輩が何を生き甲斐にしているのか。


 それは人間達の創った作品の世界に行き、遊ぶ事だ。


 吾輩も人間らしい趣味を持っている。このトランクの中には、数多の機能が搭載されたタブレットがある。


 それで漫画を見たりアニメを見たりするのが好きなのだ。


 ある時、こう思った。


 もしもその世界に行けたら、しかもその世界の知識やストーリー展開などを知っていたら無敵なのではないか――と。


 そんな悪魔的発想により、"トランクおじさん"が誕生したのだ。


 具体的な準備や方法とかは端折はしょるが、吾輩は自由に創作世界に出入りする事ができる。


 そんな吾輩が今回訪れた世界はアニメ好きであれば、一度は耳したことがある異世界転生ものだった。


 目を開けて、吾輩が大草原に立っていた時、主人公が初めて転生してきた時と同じ状況に胸が熱くなった。


 さて、さすがにこの見た目だと悪目立ちして兵士達に職務質問される恐れがある。


 そこで、トランクの出番だ。


 パカッと開けて、ウイスキーとかを入れるスキットルを手に取り、蓋を開けて一口飲む。


 決して酒が入っている訳ではない。吾輩が数多の実験を繰り返して作り上げた魔法の水だ。


 これを呑んで、なりたい姿を想像すれば、あら不思議。たちまちその容姿に早変わりするのだ。


 今回吾輩がなったのは、十一歳ぐらいの少年で、英国情緒漂うシャツと半ズボンの格好に変わっていた。


 手鏡を見ても、さっきまでの吾輩とは全然似てない。丸っこい顔でシミ一つない綺麗な頬。瞳は金のように輝いている。髪の毛も白のショートカットで、金のメッシュが入っていた。


 吾輩はもう一個の赤のスキットルを口につける。


 それは声だけを変える事ができる魔法の水で、やり方はさっきと同じだ。


 吾輩は声域を広く歌える少年の声を想像した。


 試しに、アァーと声を出してみる。


 アルトぐらいの声が出た。もっと喉仏を引っ張るような感じでやってみよう。


 ハアァーと高めの声が出た。ヨシヨシ、これでいい。


 テノールの方もやってみるか。今度は喉仏を潰すような感じで。


 あ、あ、アァーと――うん、それなりに低いのが出た。


 ソプラノからテノールまで出れば、文句はない。


 吾輩は早速近くに人が大勢住んで、ある程度栄えている所が見えるまで歩く事にした。


 そして、馬車が見えたら泣くふりをするのだ。


 そうすると、たまたま通り掛かった金持ちが「おや、可哀想で可愛い子。お母様とはぐれたのね。よかったらわらわの馬車にお乗りなさい」との相乗りして、大きめの国まで連れてってくれる事がある。


 が、世の中そんな甘くはなく、どんなに歩いても馬車のカラカラと車輪の回る音どころか、人の足音すら聞こえなかった。


 そして、無事に国に着き、貴族のマダムと別れた。


 早速散策しようとした時、何やら兵士が慌ただしく動いていた。


 事情を尋ねると、魔王城が謎の光線で破壊されたかというではないか。


 私は今までにないくらい動揺した。


 本来であれば、勇者を差し置いて吾輩が魔王を倒すはずだったのに。


 もしかして最終回直前の世界に来てしまったのだろうか。


 さらに話を聞いてみると、どうやら破壊したのは別の世界から召喚された者らしい。


 という事は、そいつが魔王城を破壊したのか。


 だとしても、ますます疑問が残る。


 仮にたまたま戦車を召喚したとしても、この国から魔王城までかなりの距離があるはずだ。


 じゃあ、一体そこまでの距離と速度を保ちながら威力を損なわずにいける兵器など現実世界に存在するだろうか。


 いや、ない。そんなのSFの世界だけだ。


 じゃあ、城を破壊できるほどの力を持っている者はどこの世界から来たのだろうか。


 吾輩は魔王城を破壊した者の正体を知るために勇者を召喚した魔術師に会いに城に向かう事にした。

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ファンタジーとSFをぶっ込んだ現実世界に転生した女子高生、最強のヒーローとなって学生を謳歌しながら悪を倒していく 和泉歌夜(いづみかや) @mayonakanouta

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