七 「私が欲していたものだ」
蓉子は投げ棄てた典籍をひろう。散り際の
「……
雅明はその
「なかなか手には入らない毒だろう。……大陸の奥地で賜れる妙薬だ」
雅明の云う通りだ。
蝮こそ広く生息しているように想えるが、蝮でさえ都の外れの
「……これがどれほど薬に為せるか、ね」
紙一重の差だ。蓉子が指先まで神経を擦り減らして為せば薬に、いい加減に為せば毒になる。ただそれだけの差だ。
「……大陸の
宵空の静謐に
「どうやら、また医が駈りだされるようね」
妙薬を御身に擁き、蓉子は屛風を潜った。
◇
「私が要るでしょう」
「姫様!! ああ、良かった……さねが、突如として倒れてしまって」
場は荒んでいた。
花籠の
さねは夜霧にからだを支えられながら、だがしかし、虚ろな眼で何処かを眺めていた。
なによりは、単衣の布帛から覗く白い素肌に、動静の血を想わせる朱と碧の筋が奔っている。朱の筋は血の痕にもみえ、廃れた人形に疵がついたかの如く、鬼胎さえ憶えた。
「治せますか?」
「ええ。幸いにも、薬があるの。……でも、これで御終いね。離にある霊薬たちは、今宵尽きるわ」
まずは、と触診をする。
朱と碧の筋はほのかな熱を帯びており、爛れていた。紡がれた糸が結ばれるように脈打つ筋をなぞると、さねが黒ずんだ唇を開き、「……お、母上……」と声を零す。
「妹君……は、違、うので、す……私が、割り、ました……咎め、られる、のは、私……だ、から、どう、か、妹に……拳を、振るわ、ない、で、くださ、い……」
錯乱が始まった、と蓉子は目を細くした。
今、さねの瞼には、吾子の愚行を咎める母か、乳母の様相がみえているのだろう。彼女の脳が、今この場で、叱られていると勘違いしているのだ。
「
蓉子は手をとめる。が、彼女は間もなくまた動いた。
(今はどうにもならない、だから考えるな。意識が戻ってから、じきに話しだす)
夜霧が咳をする。
(瘴気に
さねのか細い腕に、薄紫の細糸が纏わりつく。瘴気だ。路傍の草を枯らすほどの害をもたらし、ひとが吸うと鼻の奥を刺されるような痛覚に襲われる。
夜霧は毒に耐性はあるが、普通のにんげんと比べたらの話だ。
譬えるなら、草で皮膚が気触れにくいというところである。
「姫様、有難う御坐います……恩に着ます」
蓉子はただ
「……
蓉子は離に急ぐ前に、香を焚いた。瘴気を薄く、無毒にする香だ。己が離れている間、夜霧に看てもらうためであった。
離に駈けこみ、僅かしかない《薬》たちに手を伸ばす。
典籍の無地の頁を千切り、砕いて粉にした。
蝎の紙を振り撒き、また混ぜる。量には細心の注意を払わねばならない。薬となるその僅かを確かめるのだ。
絹の織物を想わせるなめらかな布帛に包みこみ、昏く冷えた場処で寝かせた。
「また調薬か」
碧い月を映した
外に出た蓉子は呆れ、溜息をついた。
「ひとの
「僕の邸に鯉は泳いでいないから、興味深かっただけさ」
「鯉なんて、京にもいるわよ」
雅明は泉水に濡れた袖の端をゆらしながら、蓉子へと歩み寄る。
紫陽花の葩に宵の露が落ちた。
「――雅明は」
紡がれた細い糸を解くように、蓉子が唇を割る。
「己を壊して、と望むひとを、みたことがあるの」
雅明は首肯する。
そして、遠い
「幼い頃だった。兄も、姉も、両親もが壊れた
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