八  疵物

「幼い頃だった。兄も、姉も、両親もが壊れた少年がいた」


 毫光ごうこうのさした蜉蝣カゲロウが揺蕩い、雅明まさあきの肩に載る。追憶のわらべを慰むるように、静かにとまった。


「壊れているのは己ではない者たちなのに、彼らは、その少年が中途半端に壊れていると揶揄し、軽蔑した。だから、彼は望んだんだ」


 脈打つような重い沈黙を刹那に置いた後、息を吸う。


「僕を壊せ、完膚なきまで――と」


 まるで呪いのようなことばだ。心臓の筋ひとつひとつまでをも絡めとられ、縛られるような、痛みさえもが刺す。胸の裡を脈打つ根で抉られるような痛みだ。


「だが、それを云うからには既に壊れていると判じた両親は、彼を寺院てらに容れた。真面な心持ちに戻したかったんだろうが、紫陽花に驟雨しゅううの打ちつける無慈悲な宵に、修行僧が旧い泉水いけへ目をやれば、欠けた髑髏しゃれこうべばかりが浮いていた」


 露に色づく緑葉に焦がれたかはずが、喉奥から悲鳴じみた細いうたを唄う。だる月夜にかすめる湿り気が満ち、雅明は袖を捲った。


 蓉子ようしは刻を読み離へ急ぐ。


 布帛ふはくに包んでいた薬を開けた。結晶は粉と融けあい混ざっている。

 漆黒の色沢つやに金箔の牡丹花が絢爛と咲くこぶりな器に、粉雪を想わせる美麗しい薬を移す。軽く湯煎をし、粉は花葩の如く円いかたちを撫ぜた。



    ◇



夜霧よぎり。小匙一か二を取って、さねに服ませて」


 薄れた瘴気しょうきの漂う房室へやは、花を枯らせていた。

 夜霧は燻んだ単衣を引き摺り「姫様!」と号ぶ。


「早く薬を。私は治癒を確認したら、行くから」


 夜霧は震える手で匙を手に取り、さねの口許に寄せる。はらりと落とせば粉雪は融け、雪代ゆきしろと為る。白い素脚すあしの朱と碧の筋がはだの色と合ったと想えば、境の解らぬほどに薄く失せた。


「……ひめ、さま?」


 朔月に陽光が差すかの如く、双眸ひとみに光沢が帰す。確かにまことの様相を捉えているのか、物想いに耽る様子もない蓉子に、果敢ないほど白い指を伸ばした。


「姫様、私、うなされてたみたいで……嫌な夢だったんです! 起きたいのに起きれなくて、ほんとに畏怖こわくて……姫様の御薬おくすりがなかったら、私、どうしようかと……」


「怯えることはないわ。誰かが患ったのなら、私は構わず薬を調るもの」


 喚きだすさねに蓉子はたじろぐ。

 蓉子は、調薬と採集、及び診療に長けているが、ひとの心に触れることに関しては、非常に拙劣せつれつだ。


稚児こどもをあやすなど、……無理ね)


 触診に怯えて甲高い声で哭く稚児など、飽きるほどいる。大概の母親は激昂し呶鳴り、少々の愚痴を医相手に零すわけだが、その譴責けんせきさえもが出来ない。

 それが蓉子である。理知で問い詰めるのである。


 蓉子が手も脚も出ず、その場で突っ立っていると、夜霧がさねの黒髪を撫ぜ、円い手を包む。愛子まなこを慈しむ聖母を想わせた。


(……夜霧は、慈愛に満ち溢れている)


 氷雪の如きまなじりを光らせる蓉子とは違い、夜霧はまさしく聖母というべきか。愛を以てして苦を除く。薬学には疎く、毒にも弱かった分だろうか、蓉子の出来ない慰めというのが得意な侍女だった。

 ゆえに、妣に疎まれ蔑まれてきた蓉子を、護り育てることが出来たのだ。

 御陰様で蓉子はみかけの情は薄いが、魄は白熱している。


(私は、慰めにもなれないわ)


 苦から放たれた楽に安堵する侍女たちを後目に、蓉子は廻廊を通り宵へ駈った。


「ま、俟って、姫様!」


 さねの日輪草ヒマワリの如き高い声が呼びとめる。蓉子は構わず往ぬることを択びかけたが、どうにも心の何処かがざらついて、房室へ戻った。


「……どうか、私の話をさせてください」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る