十六 眼帯の陰陽師と好色の官吏

 大貫雅明おおぬきのまさあきは、アヤカシの如き式神で吉凶を卜占ぼくせんする同僚を遠目に、むだに歎息していた。


 家柄故に、陰陽師の末端の席を借りてはいたが、その力は玄人くろうとに満たない陰陽生にも劣っていた。

 彼は卜占をするどころか、式神を数匹出すことしか能のない、盆暗ぼんくらの中でも盆暗な陰陽師である。占星術や暦作りなども智識こそあれど才はない。彗星を観たとて、瑞兆か凶兆かを卜うことは出来なかった。厄を祓うことも彼には出来ない。


 実際、同僚は既に陰陽師として名を上げていたり、帝族から喝采かっさいを博したりなど、苦か楽で云えば圧倒的に楽であった。


(俺はなあ、何度父君に髪を剃られかけたことやら)


 あまりに頭角を表さないせがれに激昂した父親から、逃げるように別邸へ移り住んでから、彼此数月は経っていた。

 葉が色付き落ちる季など疾うに過ぎていた。間もなく花は満開になる。


 淡い色境の花葩を後目に、春陽馨る宮廷を闊歩していたとき、突如後方から肩を掴まれた。耳許に人の顔が寄せられていると、見ずとも解った。


「面目躍如たる同僚たちとは違って、お前さんは華園の隅で退窟な起居か。俺とお前が血の繫がった兄弟だと識ったら、同僚でも愕然とするだろうね」

「……兄上」


 大貫清恒おおぬきのきよつねは、雅明の顔を見て嫣然と、しかしながら悪意を零して笑った。兄からの嘲笑を享けてなお雅明は「……俺は盆暗です。言をたないことでしょう」と脚早に去る。


「素気ない男だな。嫌われるだろう?」

「だからなんだと云うのですか? 俺が嫌われて、兄上は哀しむどころか、勿論だと笑い転げるでしょう」


 しつこく付き纏う兄清恒に痺れを切らし「職務に勤しんだらどうでしょうか」と苦言を呈すると、清恒は吹き出して、雅明の肩を引っ掴んだ。


「……泰然とされてますね、兄上は」

「嘘だ。そんなの御世辞だろう? 俺には解るさ」

「流石は数多の女と相手しただけありますね」


(放蕩者め)


 当初は付き合う女が少々ばかり多いだけだった彼も、此の頃は女遊びが非道く職場でも惚気話を零している、というのは風の噂だ。実弟であることを秘している雅明がその噂で名を呼ばれることはないので、素知らぬ振りをきめ込んでいたが。


(そもそも恋など、碌でもない)


 すこし甘い言葉をかけるだけで、女はまるで自分が鍾愛しょうあいされているかのように頬を紅く染め、猫撫で声で擦り寄るのだ。餌付けした仔猫の如く。表向きはころりと騙されてばかりの女も、ウラでは恋仇のくだらない噂を喀くのだ。自分がまるで特別な女なのだと云うように。


(俺は好かない。……でも)


 あの女だけは違った。どれだけ甘い言葉を囁いても、治療の邪魔だ、病の進行を促す、などと云って何処かへ置いていく。彼女には殊の外重要なことではないのだ。


 恋不知華恋知らぬ華とはまさにこのこと。


 ただ生命に直向きで真剣な姫君だった。心優しく、決して見棄てない。それが表情に表れないだけで、彼女の胸の奥底で絶えずたぎかんじょうの炎は、物凄く熱いのだ。


「なあ、お前はつまらない男だな。恋に浸るのも悪くないんだぞ」

「まあ、兄上はそれを恋だと想っていらっしゃるのですね」


(恋? どこが。ただ妙齢の麗女に恋の詩を詠んで誑かしているだけだろうに。女が自分に惚れる様子を娯しんでいるだけ。自己満だ)


 御簾越しに女が噂をしている。憧憬の対象である好色男が通り掛かって湧き立っているのだ。軽く接吻の振りを装えば、悲鳴じみた黄色い歓声が上がる。当人は、満更でもなさそうだった。


「若い色男の特権ですね」

「だろう? 色があるというのは、此程まで愉快なのだぞ」


 言葉の裏面などは読まずに鼻にかける兄を見て、雅明は吹き出す。


(老けたら爺と云われて疎まれると云っているんだ。莫迦)


 色のある仕種で女を落とし込めるのは而立の御歳*三十歳までであろう。倨傲な兄に溜息ばかりが零れた。


「ところで、お前は齊木殿の姫君の番だったか?」


「そうですよ。結構気に入ってましてね、何度も通いました。ハスの花のような麗しい姫君で、強か……否、強いです。非常に気魄きはくがあるのに、患者と向き合っている姿は、硝子細工の飾りを撫ぜるように優しい」


 妙々たる春の花のような華やかさはなく、寧ろ叢林の葉にも埋もれてしまうほどに己を着飾らない。それなのに、否だからか、内に艶やかな華が根を張っていた。誰もその花葩に触れることはできない。毒に華は咲かないと想っているように。雅明とて、最初は毒を喰らう化生ばけものを想豫していた。


(けれども、果敢なくもなく、華やかでもなく、それなのに不意に惹かれる。恋とは違う惹かれ方だ。胸が締め付けられるのではない、言い得て妙というか……譬えるなら、それは景仰だ)


 彼女を敬う心だ。だから、雅明は彼女に庇護欲が湧いたことはなかった。守りたくなかった。共に、段を登りたいというべきか。


「なあ」


 物想いに耽っていた雅明を現世に引き戻すように、清恒が口を開く。いつものくだらないことを糺されると想った雅明は、浅薄な微笑を貼り付けて振り向く。


「なんでしょう」



「哀れだな──お前の番は」



 軽い声なのが余計に腹が立った。

 雅明自身、普段はうちに毒を秘めても、顔だけは微笑を崩さなかった。だが、途端に口の端が下がり、烏のような濡羽色の双眸ひとみハイタカのような鋭さを孕む。


「……なんと仰いました?」

「え、だからお前の番は哀れだと──」


「なにが哀れですか? 彼女の、どこが哀れなのか。女どもを欺いて片翼の恋だけを抱かせるしか能のないそのどうしようもない狐狸こりの口で言ってみやがれください」


 清恒は僅かに笑顔を消したが間もなく薄く口の端を上げた。へえ、と低い声で相鎚を打つ。軽薄な色香ではなく、どこか毒々しささえ秘めた、頽廃的な声だった。兄にしては珍奇だと雅明は眉を微かに動かす。


「強気だな。彼女は哀れだろう? 噂に拠れば、産まれたときに母親から毒を盛られたそうじゃないか。で、父親には実験台にされ、家の者からは虐められる。見ず知らずの者に《毒鬼姫》なんて蔑称をつけられ、毒を呑まずには生きていけない。挙げ句の果て《毒鬼》の治療を押し付けられている。哀れでなかったら、なんだというんだ?」


(……ああ、兄上は識らないよな。蓉子の実の姿を識る男は、俺だけだから)


 そう想ってしまった。

 みかけは哀れな夜鷹ほど宵の空に融けるように、哀れと歎かれ醜いと罵られる者ほど、魄の芯が強いのだ。泥に咲くハスの花が哀れだと誰が云ったろうか。


 それでも、教えたくはない。

 その馨しい花蕊は、自分だけが識っていたい。


「……ああ、そうでしたね。兄上には解らないでしょう? 花など皆哀れだと、情けをかけて摘み取る貴男のことですから」


「なんだ、その云い方は……」


「良いんですよ、別に。だって、人間には一生かけても理解することができない事象というものがありますから」


 雅明は不変の破顔で振り向き、隻眼かためで清恒を見た。

 濡羽色のまなじりの奥底は、拇指ほどの天満つ星である。蝶ではなくヒイルが舞っているのを、清恒は見逃さなかった。

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