十七 季も変われば膳司も変わる

(こんな昼間から使わせて頂けるとは如何なることか)


 賀茂祭を間近に控える日、蓉子は食材の在庫を検べるべく後宮の膳司の廚に赴いていた。中宮への薬を調る際に訪れたときは、調るまでが地獄、調っている最中も地獄、終わっても地獄のような空気が漂っていたため、多少気後れはしていた。


(今度は火鍋で焼かれるんじゃないの)


 廚の戸を敲くと、すぐさま女の声が聞こえた。以前、典膳らしいと声を掛けたあの女官だ。此度は出迎えてくれた。


「齋木殿か。白昼から御疲れ様です」

「私は今日何もしておりませんよ、朝も呑気に草花を摘んできていますし。朝から皆様御疲れ様です。食材の在庫の確認に参りました」


 典膳になれるからには、恐らくは齋木家よりは位が上なのだろう。しかし典膳の女官は、以前会ったときとはまったく違うほど、口調が和らいでいた。


「食材は総てこのあたりにあります。何の品か判じかねたら、教えて頂戴」

「有難う御坐います」


 先ずは肉類を確認した。鶏、豚、牛と三種の肉がきちんと置かれていたので、口にして体調を崩す后妃はいないのだろう。馬肉も気兼ねなく使える。

 魚介類が仕舞われた棚には、大振りな真鯛が何匹も横たわっていた。流石は春告魚だ。無論、蛤も潑溂と塩水に浸かっている。塩水に浸からせるのは中の砂を抜くためだ。

 李の果醬ジャムは邸から持ち寄るので、最低限の材料はある。


(だけれど品数が足りない。強飯こわいいを出し、真鯛を出し……それでも)


 足りない。


(宴だ。饗応なのだ。只の強飯ではなく、なにか箸が進むものはないだろうか。塩漬けされた昆布を出すのはどうだろうか。米と併せれば塩気も弱く感ずるはず)


 それでも全く足りていない。木菓子デザートは梅枝だけでは足りないだろうか。チーズはどうだろうか。雌牛の御乳から作られるチーズは充分に腹にずっしりと溜まる。

 蔬菜はどうしようか。御浸しにしようか。白菜の御浸しなら作れる。


(栄養価の均衡は保たれているか。嗚呼、春の花で丁度良いのがあった。肌寒いが汁物を飲めば躰は熱くなるだろう。口直しや、少々冷たいものも要るだろう)


 彼此と勘考した末に蓉子は典膳の女官を呼んだ。


「終わりましたか?」

「はい」


 低頭して廚を去ろうとしたとき、典膳の女官が「ああ、ちょいと俟っててくれるか」と喚びとめた。掌に載るほどの小嚢こぶくろを渡される。


「あたしの姉君から譲り享けたものですよ。端紅つまべにです。貴様あんたはその恰好じゃ貧相で、宴式に出るには相応しくないので」


「御心遣い有難う御坐います」


 最低限の仮粧品しか有していない蓉子の手許にない品だ。別に粧して出席する気はなかったのだが、典膳の女官の厚情を無碍にすることはなく一揖し、その場を去った。



    ◇



 蓉子は食材が後宮の庭園の草で代用できるか確認に参っていた。

 譬えるなら雑草のように粗く咲く黄色い花が、頓と広がっていた。菜花ナバナである。苦味のある草として蔬菜のように使われる。


(廚にはなかったが……やはり生えていた)


 他の食材の調達も間に合うだろうか。いちど献立を確りと勘考してから、典膳の女官に案を呈するのが良いだろう。


(如何なる時も毒膳を食していたから、貴族の食撰には疎いが)


 鳶が蒼昊を横切った。薄曇がかかった蒼天が切り裂かれる。東天から不穏な色をした雲が渡ってきた。驟雨しゅううとなりそうな匂いに顔を顰めながら、雨宿りのために廊橋へ向かい、欄干にもたれた。


「あら、穢らわしいわ」


 徒に妖艶さを含んだ悪意を感じさせる、女の声がした。振り向けば、扇で顔を秘しながら此方を睨める后妃が、三人立っている。毳毳しい襲の色目は、あらゆる春を押し込めている。


(趣味が悪い。麗しいものと麗しいものを掛け合わせるには、眩さを和らげるものが要るのに。更衣の中でも格が低いのだろうか)


 水色や若草色、さらには桜色と、目に眩い十二単を誇らしげに纏う妃が、まるで「退け」と云わんばかりに手を振る。


「溝鼠は、雨に濡れるが良いわ。《毒鬼姫》なんて、人と同じ地位に立つのは宜しくない輩だもの。我が物顔で後宮を闊歩して、想い上がっているのかしら?」


「そうね、毒を喰らうなんて何処の化生なのかしら」


 くすくすと質の悪い微笑が零される。蓉子は特段表情を変えるわけでもなく「毒を滋養と為す他は只の人間です」と云い棄てた。降り急ぐ雨が、散り際の花の終焉を急かす。


「そんなわけないわ。その性根が真面なわけがないでしょう」


(嗚呼、飽きた)


 こんな塵のような会話に付き合う気など疾うに過ぎた。そもそも、罵詈雑言に付き合って云い合うことは莫迦の所業だ。しかし菅笠も手許にない中、この甚雨を突き進むのも莫迦の所業だ。余程まで寒邪を希んでいるとしか想えない。


(暫くはるか)


 廊橋に凭れて目を伏せる。


(睡魔を感じない。……隈もできないからな。寝なくても生きていけるのは、夢のようで、案外怠い)


 寝れないので気晴らしにならないのだ。今まであまり寝た記臆がないほどの宵っ張りの日々。それでいて、寝不足に惱まされたことも過去になく、今もない。


 曇の涙を双翅に落とされた翡翠薄羽が、廊橋の床で呼吸いきを止める。


(生命は循る)


 驟雨は四半刻の間、華を濡らせた。

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