十五 春の宴

 花の季がせかえるほどにかおっていた。

 さねが蓉子ようし房室へやのぞき込むと、和漢の混ざった典籍が床に散っていた。


「姫様!? これはいったい!?」

「あ、さね」


 脚の践み場もさねにはなかった。なるべく典籍を践まないようつらつらと寄り、ことんと頸を傾げる。


「物凄い本の数ですね……いったい、これは……?」

賀茂祭かもまつりの宴で振る舞う薬膳料理を思惟しているのよ。私が思い付く献立を夜霧よぎりに云ってみれば、ちょっと、ね」


 なんとなく夜霧がなにを云ったのか、さねは想豫がついて苦笑した。


 春を想わせる佳き薬膳料理とか如何なるものか勘考する時間が増した。タンの料理を出してみるのはどうだろうか? いや……春に相応な薬膳でなければならない。ましてや宴の席にて振る舞うものとしてそぐわない品を出せば、皆の反感を買ってしまうだろう。


(春の花……譬えば梅はどうだろう。梅枝バイシがある……梅があるならば、残るサクラモモスモモに因む薬膳料理を出すべきだろう。しかし、それらに纏わる品とはなんだろうか。桜なら桜餅や馬肉がある。桃や李はそのままを出せばいいか、いや、未だ果実はみのっていない)


 なにか桃李の花に纏わる品はないだろうか。桃の節句に因むのなら……でも、それでは李はどうであろう。今は花の季だ。

 李の果醬ジャムでもあれば──。


(そうだ……果醬は保存が効く。昨夏に採れた李の果醬があるのではないか)


 一升半とすこしあれば足りる。廚の一升瓶は二つ──足りる。


(馬肉に李の果醬、梅枝と蛤の吸い物、これで桜梅桃李の花は揃った)


 あとは他の莟を集わせ、その花をどう咲かせるかだ。



    ◇



「蓉子」


 廻廊かいろうにて鈴蘭の花を食していたときだ。父親が蓉子を目敏く見つけて、大股で寄ってきた。官吏とは想えないほどに粗放な有様に吹き出しかけたが、表情に表れることは微塵もなかった。


「なんでしょうか」

「賀茂祭の宴席で薬膳を振る舞うのだろう。食の監修を私に委せてくれないか」


《毒鬼》など一度たりとも治したことのない父親に何故監修を委せなければならないのだ──という《毒》はかずにおいた。蓉子は《毒》は必ず《薬》に為してから振り下ろす。病に関わりのない嘘、という《毒》を除いては。


「失礼ながら」


 父親の眉間に皴が寄る。


「既に品は決まっております。薬である食材さえあれば、何時でも調薬できる状況ゆえ、食の監修は不可能かと」


 気後れをする必要はなかった。事実、彼の診断と処方は効果が未詳だが、蓉子のは既に何名もの患者を癒している。己が秀でていて父親が劣っていると云うつもりはなかったが、医としての信頼度は本来蓉子の方が高いはずなのである。勿論、典医にも敗けてはいない。


(私は女医ではないけれど医だもの)


 医としての資格がないとはいえ、その小柄な頭蓋ずがいに収まった智識ちしきは有資格の医と肩を並べている。そうでもなければ父親とて、治療の援護を吾子には委せないはずだ。


「もう品を決めたと云うのか?」

「そう云いました」


(有資格の医でしょうに。何故先刻云ったことを尋き返すのかしら)


「……だが、いったいどうすると云うのだ。蓉子が食を監修したとて、信じる者がいるのか?」

「わあ、父上は私を疑われているのでしょうか」


(自分はどうなんだよ)


 禁毒寮が舐められているのは宮廷でよく報られている。格下という認識が官吏たちの中で強いのだ。

 そのとき、蓉子の脳の中で、点と点が繫がった。


(そう云うことか)


 父親は禁毒卿としての落魄とした自尊心を誇るため、自ら食を監修するつもりだったのではない。宴席で美味な薬膳を振る舞い、禁毒寮の面目を立たせるつもりなのだ。当然、料理を作るのは蓉子の役目──。


(私を利用して権威を得るつもりか)


 禁毒寮ならば《毒鬼》を治せるかもしれない、という当初抱かれた淡い期待を、再度喚び起こすというわけだ。


「何故なら蓉子は《毒鬼姫》だ。人々は貴様おまえを《毒鬼から生まれた姫》と称ぶ」

むしろ《毒鬼を治す姫》という意味だと私は想いますけれどね」


 疎まれているとしか想えない渾名こんめいを、蓉子はまるで美称のように誇っている。何故ならば。


(《毒鬼姫》は、私という自我を体現する言葉だもの)


《毒鬼姫》に《毒喰い鬼》、それから《毒愛づる姫君》──。

 どれもが彼女にとって、自分が自分でいる為の渾名だ。


(哀れに想われるのは、私じゃない)


 沈默に飽きた蓉子は、溜息をついて颯爽とその場を去った。

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