十七 神裔がみる夜天

神裔しんえいと名ばかりでは駄目だ、その名にふさわしく龍となれ、とわれて育ったわ。後宮でいちばんの華となり、陛下の御子おこを賜って、御邦おくにの母として、正朔しょうがつを迎えるその瞬間に龍になる。これほどまで光栄なことがあるかと、そううたわれていたの」


れど、腑に落ちぬことがあった」


「……あたり、よ」


 そらがったものをみつめ、うるう花唇をほどいてことばを落とす。睫毛まつげせさせたその艶笑えがおは、ただ、諦念ていねんを口に含有ふくんでいた。


肌膚はだに鱗が生えて、神宿りし湖に身を浸せば、龍になれるとわれていたけれど、死なぬのは神に限ったことでしょう、と。ひとの交じったわたしは、死ぬるひとか、死なぬ神か──」


 彼女のははかたらったのだ。

 ──誰よりも美麗うるわしい夢想ゆめはらんで、そらに昇りなさい。


 神々こうごうしき礼服に身を包んで、みずから、しばれるような湖水みずへと進む産みの親をみて、中宮はなにをおもっただろう。中宮も、かじかむ指に吐息いきを吹いて、肩で六花りっかかしていたはずだ。

 そして、夜天よぞら薄曇うすぐもは散った。

 皆は、新たなる天龍の昇天しょうてんよろこんで美酒嘉肴を寄せあい、御加護を祈祷いのって美麗うるわしく舞った。


 ただひとり。

 天満つ星のひとつとなったははをおもう姫君しょうじょだけが、その慶びを受けれられなかった。


「まだ、児子こどもだったわ。……この身がこおりとなってしまいそうだった」


 霏霏ひひ瑞花ゆきが落つるよるに、ははは手の届かぬひととなった。

 ほんとうに天龍となってがったのか。それとも、ほんとうは湖水みず深部おくで、湖底そこねむっているのか。中宮には、確かめようがない。


「そして、乳母うばいたの。ってしまったのか」


 ──天龍となられたのだ。死んだなんて、祖たる神への冒瀆ぼうとく。二度と口にするな。神にこれほどまでちかしい姫君として生を享けたのなら、神へは心からの忠誠を誓約ちかえ。

 そのときの乳母の返辞へんじが、姫君の心の華を、へし折って散らしてしまった。


 龍は、死なぬ。死ねぬ。

 《銀龍の一族》もまたしかり。


「あのときの張り手の痛みを、わたしは忘れたことがないわ。以降、そのことを尋くことはなかった。尋けば、非道ひどくおそろしい折檻しおきが待っているでしょうから」


 うそまことかは蓉子ようしにははんじかねたが、中宮の従姉いとこは懲りずにそのことを尋き続けた結果、わからず屋として、女の要である髪を削がれて、寺院てらに容れられてしまったそうだ。

 妾腹しょうふくむすめだったゆえ、母の身分が重んじられるここでは、中宮どころか後宮入りも不可能だったろうが。


 みつけられ、花葩はなびらを千切られて散った華をみせつけられた。

 ことばなくして解らせられたのだ。

 美麗うるわしくもかぐわしくもない、なににも使えない華は、雑草にひとしい。龍の名を冠する、玉のような華を枯らすわけにはいかない。

 だから、あんな眼障りな蔓草ツルクサにはなるな。なったら、一族の華がなくなる。


「……ねえ。わたしがあのとき、ははの昇天をなげいたのは、冒瀆ぼうとくだったかしら」


 なみひとつない水面みなもに、しずく涓滴いってき、落とされた。縹渺ひょうびょうたるそこにいたのは、あどけない微笑になみだを湛えた、ただひとりの少女であった。

 流麗ということばも、荘厳ということばもにあわない。しいてうなら、無垢むく、だった。


「……問いを問いでかえすようなまねをして申し訳御坐ございません」


かしこまらないで。……なんて、わたしに云えるようなことばでないわよね」


 有難う御坐います、とこうべを垂れて、毅然とした視線まなざしでしかと中宮をみつめる。


「中宮様は、信仰しんじぬ神にさわることを、畏怖おそれているのですか」


 宵のそらで、銀龍がぜた。



    ◇



かせてしまった)


 くりや庖丁ほうちょう炮烙なべあらいながら、ため息ばかりがこぼれた。終日後宮に身を置いていた疲弊ひろうもあるだろうが、中宮はてごわかった。

 御簾みすを開けることをゆるされるまでですら、たたかいだった。さざなみらぐような。


 いやしたのは、彼女の身体だけではなかったのかもしれない。


 土壌の違いだろうか、弘徽殿こきでんの庭園に植えられている梅は、つぼみを綻ばせていた。あかと白のどちらの花も咲くものは、源平咲きとも云われる。

 今年は紅が優勢のようだ。


 白小袖しろこそで長袴ながばかま。貴族の女性の小夜衣ねまきだ。

 それだというのに、白銀の髪と眼、まして白鱗が光り、源平咲きの中にたたずんでいるというだけで、どれだけ華のある舞妓まいひめよりも果敢はかなく、美麗うるわしい。

 静謐せいひつ烏夜うやかぶ星屑に、中宮は歌った。



 くものうへ あふこと叶はぬ身なれども

 玉の緒ながら 絶えず思ふを

 つひのほど 朽ちぬるときを 母はまてりや



 梅が、舞った。

 玉女の羽衣の如き梅だった。ひとの血汐ちしおのように鮮烈あざやかな紅と、降りしきる雪のようにきよらかな白と。

 花葩はなびらのような、白鱗が。


 星をはらんで、宵を彩る。大切なひとが微笑わらそらに、祈祷いのりと詫言わびごとを手向けて。

 くもひとつない夜天よぞらで、また、抱きしめえるように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る