十八 毒鬼姫に休みなし

 禁毒卿きんどくきょう邸。梅が、咲き零れだすであろう日。

 忘れてはならぬひとに、びなければ。



「大変、申し訳御坐ございませんでした」


「えっ、ど、どうして」


 もみあげの枯れ花を摘む麗人びじょ──桜明さくらあき女御にょうごと、その女房にょうぼう麻葉あさは居坐いすわ房室へやに着くや否や、蓉子ようしは深くあたまを下げた。額がゆかとすれるほどに。


「じつは、中宮様の介抱かんびょうにあたっていたのです。よって、昨日きそは御食事を調つくることが、できませんでした」


 蓉子ようしが忙しいときは、夜霧よぎり食帖しょくちょうを渡し、代わりに調ってもらっていた。だが、後宮でのくだんがおもいのほか長くなってしまい、結果として丸一日もかすことになってしまったのだ。いくら、夜霧よぎりがいたとて。


「良いのよ。ほら、わたしだって、普通に喋舌しゃべれているでしょう? 完治はしていないのだけれど、咲いてもすぐにしぼむようになったのよ」


 たおやかな華の如き微笑えがおととりあわせのよい声だ。み渡った小鳥のさえずりのような。麗人びじょ容姿すがたはもちろんのこと、声も美麗うるわしいのだろうか。その他の才はひとによりけりだろうけれども。


「きっと、貴女あなた智慧ちえのおかげだわ」


「春日祭がせまっているでしょう、後宮へ戻られた方がよいのでは。食帖しょくちょうは渡しておきます、おそらく後宮で扱えるものばかりでしょうし」


 華の名を冠する女御にょうごだ。まして、この美貌かお。きっと、他の女御にょうご更衣こういも、彼女の名をる者はおおいだろう。祭事まつりには、かおをだしておくべきだろうか。


「そう……このやしき泉水いけ奇麗きれいで、後宮のようなかしましさもないし、気に入っていたのだけれどね」


 まさかの一語ひとことに、蓉子ようしもおもわずかおを上げた。


「私の棲むところにもべつの女御にょうごが棲んでいるけれど、大和歌わかむか庭園をる他は、うそまことわからない噂話に華を咲かせているわ。皇后陛下がせっていることを、いつもじぶんたちをみくだしているからけた祟りだとって、嘲笑わらっていたの。ちょっと、なにしてるのか、理解に苦しむわよね」


 皇后陛下というと、中宮のことで間違いない。皇后と中宮は名称こそ違えど、共に天子てんしのただひとりの正妻を指す。

 後宮のくらがりについてはよくらないが、おおかた、ねたみだろうか。蓉子ようしでさえもが肌膚はだで威力を感じる容姿すがただ。後宮で最も、天子からのちょうたまわる華、というのもまことであろう。


 膳司かしわでのつかさでも、中宮のられる弘徽殿こきでんでも、まだあまかったのかもしれない――とおもうと、鳥肌がたつ。きらわれているのも、うとまれているのも、いやがらせをけているのも、今に始まったことではない。

 そうはっても。


「《毒鬼どくき》によって、都近辺の人口がっていると聞いたわ。医が宮中にしかいないことに憤慨いきどおって、門扉もんぴたたく者が絶えないだとか」


 宮中に典医てんいはいるが、彼らも《毒鬼どくき》は治せない。事実、医学に精通する典医でも、咒術まじないに精通する陰陽師おんみょうじでも治せなかったから、新しく《禁毒寮きんどくりょう》がつくられたのだ。その禁毒寮も、成果をあげれているかと云えばそうではない。よって、禁毒卿きんどくきょう含有ふく齋木さいき一族は、他の中流貴族からもみくだされることがおおい。

 身分の高い桜明さくらあき女御にょうごが、のぞみをたくして、わざわざこのやしきに来たことも、よくかんがえればまれなことだ。


「私、他の女御ひとに、すごくとめられたの。《毒鬼姫どくきひめ》は呪詛のろいの子で、ひとたび彼女にちかよれば壽命じゅみょうが縮むだとか、患者に毒を盛って薬だといつわるだとか、散々な云いようだったわ。ったこともないでしょうに、風の噂だけでよくあんなに云えるものよ」


 じぶんが散々な云われようなのは、しかたない。おさない頃から、兄弟にはこいしげられ、父には新薬や毒をためされてきた。姫君らしいことは最低限の教養のみで、流行りのかさねや季語にはすこしも心を惹かれない。

 それで、毒を滋養となし、毒膳を食して生きているのだから、よけいにしかたない。


(実際、髪を切るたびに、出家をすすめられた。ただ、あまになったら美味い毒がめっきり食べられなくなってしまうから、なにがなんでも拒んだけれども)


 立っても黒髪がゆかにつく桜明さくらあき女御にょうごとは違い、蓉子ようしの髪の毛は、せいぜい鎖骸さこつくらいまでだ。美人の典型にはすこしも届かない。


「でも、貴女あなたはすごい医よ。皆にってほしいほどに」


勿体もったいない御辭おことばです。……私は、一貴族のむすめですから。後宮入りしたところで、更衣こういにしかなれません」


 端から後宮に入る気などないが、女は貢物みつぎものだ。

 桜明さくらあき女御にょうご麻葉あさはがそうであったように。

 あり得ないだろうが、父がじぶんに「後宮に入って更衣になれ」と云う日が、来るかもしれない。可能性は、てきれないのだ。


「ええ、後宮なんて生き地獄だもの、まない方がしあわせだわ。でも、きっと《毒鬼どくき》を治せるのは、貴女あなたしかいないのよ」


「……もちろん」


(なんとなく、わかっていた気が、する)


 奇妙な症状が現れようと、しょせんは医学で治せる病だ。

 迷信や噂話がひとり歩きしているせいで、認識が追いついていないだけ。肝心の禁毒寮きんどくりょうが、遅れているが。


 医は、治すべきものを治す、たすけるのが務めだ。


「では、ですぎた真似かもしれないけれども、私が云うわ。禁毒寮での《毒鬼どくき》の研究を、あとおしするよう」


「す、すこし、お待ちくださいませ。……論叢ろんそうが、完成したら」


 陛下からすれば、実績もない省寮をあとおしせよ、とめかけから云われたところで、戸惑うばかりだろう。まだ志学(十五歳)の天子には摂政せっしょうがいる。どう意見するかは摂政しだいだ。それによっては、却下されることもじゅうぶんにあり得る。


「……次週までには、しあげます」


「では、その論叢がおおやけにされたら、具申ぐしんするわ。……私も、《毒鬼》に罹患かかりながらも恢復かいふくに向かう、そんな身として」


 中宮の艶笑えみが、紫薔薇バラの如き誇らしさなら。

 桜明さくらあき女御にょうご微笑えみは、名の通り、サクラのようなきよらかさとたたえるべきだ。


 じぶんは、ハスの如きなにかだろうか。


(いや、そんなことは後廻あとまわしだ。私は、私のすべきことをまっとうするだけ。すぐにでも、論叢ろんそうを書きあげなければ)


 一難ってまた一難。

 なぜならじぶんは、蔓延はびこおそろしき奇病を治すという務めを、果たさなければならないゆえ。

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