十六 召し上がれ

(どうか、御口おくちに合いますように)


 それだけを祈って、御簾みすの前でひざまずいた。

 実のところ、膳司かしわでのつかさ女官にょかんたちにも、かなりひどい仕打ちを受けたが──昨日きそ侍女じじょの表情や態度をみるに、歓迎はされない。

 それはわかっている。いるが、医として、たすけられる生命いのち、生きたいとこいねがう生命は、救けなければ。


中宮ちゅうぐう様、薬を調つくりました」


「この声……昨日きその《毒鬼姫どくきひめ》ね? 全く、いとわしいあんたが、このわたしに、薬?」


 中宮は象形かたちの良い花唇くちびるを弧にし──たであろう──軽蔑けいべつをおおく含有ふくんだ、毒のことのはを吐いた。


「もしかして、まだわたし病臥びょうがしているといたい? 説教したい? まさか、典医てんいも薬も要らないわ」


「そうよ!! 中流貴族の姫君如き、まして名無しのようなところの化生ばけものめが。中宮様のられる聖域に入れたこと自体、間違っていたわ。さっさと巣窟すあなに引っ込んでな!! それとも、また灰燼はいをぶちまけないとりない?」


 くすりとした嘲笑わらい声に続いて、女房にょうぼうが怒声をぶつける。

 弘徽殿こきでんは荒んでいる。梅の白葩はくはを散らして積もらせるほどに。かたくなに病を認めない中宮と女房を説得するには、どうしたらいいのか。


 その時だ。御簾みすが持ち上がった。

 こちらをのぞき込んだのは、年端も行かぬ女房だった。両の肩を上下させ、恐る恐る、とわんばかりの視線まなざしを向ける。


「……あ、あの。……わ、わたしが、病だと、お、おもって……」


貴女あなたが。……そう。私を入れることはできる? 中宮様はかなりおかされていて時間がないから、薬を」


 蓉子ようしの願いを「なにを喋舌しゃべっているの?」と、中宮がさえぎる。それでも、彼女に向き直って、こうべを垂らした。


「たったひとくちで構いません。害がありましたら、暗殺しようとした罪で、処しても構いません。どうか、おみくださいませ」


「……毒見どくみもしていないのに?」


「誓って、毒などは入っておりません」


 ふうん、とわざとらしく相槌あいづちを打って、それから数秒後。


だまされたとおもって入るが良いわ。毒を盛ったのなら、流刑るけいか、死刑ね。貴女あなたがその口で云ったことよ」


「はい。……なにせ、女に二言はありませんゆえ」


「口は随分とうまいことでよ」


 少女女房が、体を震わせながら御簾みすを開ける。

 かがみてこうべを垂れ、炮烙なべを差しだす。中宮は丹唇くちびるをつんと尖らせ、初春のいろの扇子を傍らにえた。


あおい、毒見をして頂戴ちょうだいわたしが、ただでこれを食べるわけがないでしょう」


「は、はいっ……」


 あおいと呼ばれた少女女房が、蓉子ようしの手からそっと炮烙なべを持ちあげ、匙でひとくちすくう。咽喉のどが動き、匙が置かれた。


「……だ。大丈夫……です」


「本当ね? 冗句じょうだんだったら、生命いのちはないのよ?」


 ようやく、中宮もスープを匙で掬った。

 これで御口に合わなかったら、主客転倒だ。ここまで耐えしのいだ意味がなにもなくなる。なにより、たすけなければならない患者を治せなくなる。

 そっと、黒眼くろめだけを動かして、表情をうかがった。


 無表情だった。

 それでも、昨日きそじぶんをみたときのような、明白あからさま忌避感きひかんはないと云うべきか。決して、不味そうに食べているわけではなさそうだった。


(御口に合ったのか? 堪忍がまんして服薬しているひとのかおいやというほどみたが、あれほどに平安おだやかかんばせはみたことがない)


 はらり、と白梅ハクバイわらい、銀龍ぎんりゅう皇妃ちゅうぐう美麗うるわしきくしの、装飾かざりと散った。

 否、華ではなかろう。

 それのごとき、薄く淡い白葩はくはは、弘徽殿こきでんの庭園にかおりて散り、誰にもかたられることなく果敢はかない生命いのちざす。


 鱗だ。硫黄いおうによって、銀白色の鱗が散っていた。


「……ねえ? 食べたことのない味がする。この、淡い緑色の蔬菜そさいは、なんとうの?」


甘藍キャベツです。にしの大陸のくにが発祥の蔬菜です」


にしですって? そんなとおいところから、遙々はるばるつたわるものね」


 また一片いちまい東風はるかぜが吹いてウメを散らす。


「どうでしたか。御口おくちには合いましたか」


「そうね。あおいかお別段とりわけ蒼褪あおざめていることはない……毒は、ないようね」


 花唇を尖らせる様子さまから、どこか、毒とも薬とも云い得られぬ節はあるようだが。浄土ごくらく菩薩ほとけか、地獄の悪鬼おにかを判じかねぬかの如く。


「まさか、貴女あなたが、こんなまともな薬を調つくるとは。夢にもおもわなかったわ。毒見もやられて、すぐに処す気でわたしはいたから」


「有難き御辭おことばです」


 はらりはらりと、白鱗が舞う。さながら、花園で咲いてはチョウいざな舞妓まいひめだ。


貴女あなたは、化生ばけものなの? 妖姫あやかしなの? 幽鬼ぼうれいなの? 一体、なんなの?」


「私は異形ならず。中流貴族の元に産まれた医師くすしです。《毒を滋養となす》者ではありますが」


 ハスの姫君だ。

 泥中之蓮──ハスの花は、泥の中でつぼみを綻ばせようと、けがらわしい花にはならない。


 れど、気に掛けていたことはある。女房だ。


「……すみません。中宮様、本当に良いのですか?」


「《銀龍の一族》の象徵しょうちょうぶべき鱗が、お、落ちている……なりません。中宮様は《天龍地龍てんりゅうちりゅう》となり、民をべる母として、御邦おくにを護られるのでしょう……?」


 水銀には、かつては不老不死の妙薬として、帝族たちがこぞってでてはおのれを散らした、という歴史がある。

 同様、水銀を含有ふくんだ《銀龍の一族》の鱗は、《天龍地龍》となれると愛でては、御身おんみ湖水みずに浸してかした。


 中宮は昨日きそ、この鱗は病などではない、とった。


「……ええ。もちろん、銀白色の鱗は、わたしたち《銀龍の一族》に代々がれたものよ」


 心許こころもとなく震動ふるえたことばに、さざなみの波紋が弧を描いた。


というははの声が、あったから」

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