2
彼らが広がる大地を歩きはじめてから、まだ五百歩も進んでいない頃だった。まるで舞台装置の裏側に迷い込んだかのように、唐突に“都市の亡霊”が姿を現した。
廃墟だ。
高層ビルの外壁には、光の模様が浮かび上がっていた。遠くから見ると文字のようでもあり、呪文のようでもあった。風は一切吹いていない。それでも空間には、電子機器の深呼吸のような音が、かすかに――いや、かなりの自己主張をもって響いていた。
遠野雄一が小走りに近づき、割れたコンクリートの隙間に散らばった部品とケーブルを見下ろした。配線の先をたどるようにして、何かを確かめる。
「ここ……研究所だったんじゃないか?」
ぼそりと呟いたその声に、誰もが立ち止まる。
肌を撫でる風はひんやりしていた。それはただの物理現象ではなく、懐かしさの輪郭を帯びた香りを運んでくる。十年前、夢を失ったあの日の、手術室の空調を思わせるような、そんな匂いだった。
彩香は一歩前へ出て、ビルの壁に浮かぶ光の文字を指でなぞった。指先がほんのわずかに熱を帯びる。
「これ……“実験継続。外部干渉センサー起動”。そんな感じ。ねえ、これ、私たちが使ってたログじゃない?」
声に浮かぶのは懐かしさと、ほんの少しの怖さだった。
解析を試みようとしたその瞬間だ。
ギシ、と金属が泣いたような音がして、ビル全体が微かに傾く。いや、傾いたように“感じた”だけかもしれない。けれど、その予感は次の瞬間、地鳴りによって現実となる。
ビルが軋む音とともに、崩れ始めた。
壁が細かく砕け、空気が一気に緊迫を帯びる。
「ちょっと、待った、待った!崩れるの早すぎ!」
詠太の叫びは、誰かに届いたのか、それともAI神にさえ無視されたのか。とにかく、彼らの背後で世界が崩れていく音は止まる気配を見せなかった。
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「これは……歓迎されてないってこと?」
彩香が冗談めかして言いながらも、脚は速かった。瓦礫をかすめて飛んできた鉄の破片が、すんでのところで詠太の頭をかすめていく。
「いや、むしろ……“まだ誰かがいる”って感じだな」
雄一は目を細め、崩壊の中に見えた一瞬の残像を凝視した。モニターの残光のように、廃墟の奥で何かが一瞬だけ光った。人影のような、機械の残像のような。
「走るよ! 解析はまた後でね!」
麻里が冷静に声をかけ、先頭に立って走り出す。ヒールのある靴で走れるあたり、彼女の経歴にはまだ語られていない“何か”がありそうだった。
四人は廃墟の影を縫うように駆け抜ける。崩れ落ちる鉄骨、舞い上がるホコリ。現実と非現実の境界がどこにあるのか、わからなくなってくる。
「この建物……壊れ方が妙だ。まるで“壊れるように設計されてる”」
雄一が息を切らしながら言う。
「それ、実験施設としては相当ヤバくない?“オチ”のある建築ってこと?」
彩香が笑った。息は切れているのに、会話は止まらない。どこか芝居じみているけれど、それが逆に彼らを保たせていた。
やがて、四人はビルの裏手に抜ける通路に飛び込んだ。天井の低いトンネルのような空間。壁には細いケーブルが幾重にも這っている。どれも生きているように微かに明滅していた。
「……ここ、たぶん中枢だった場所だ」
雄一が呟く。かつての記憶と、技術者としての直感が一致していた。
「でも、肝心の“中枢”は……もうない。データも抜かれてる」
麻里がパネルの残骸を指で払って言った。「見て。接触痕が新しい。数時間前、あるいはもっと最近。誰か、あるいは何かが、ここを使ってた」
「こんな仮想世界に“誰か”がいるってのが、そもそも怖いんだけどな……」
詠太が軽口を叩く。「システムが暴走したAIとか、まさかそんなベタな展開じゃないだろうな?」
その時だった。壁の奥で“カツン”と何かが金属を叩く音が響いた。誰も口にしなかったが、全員が一斉に動きを止めた。
「今の、聞こえた?」
彩香が目を見開く。音は、もう一度鳴った。“カツン、カツン”と、足音のように。
「行こう」
麻里が短く言った。「ここには、私たちが知らない“プレイヤー”がいる。先に動かれたくない」
雄一も頷いた。「ああ。少なくとも、この世界がただのデータの塊じゃないってことが、今ので確定した」
彼らはまた歩き出す。廃墟の闇に、光るコードが絡まり、風のない空気が耳にまとわりつく。
この仮想世界は、思ったよりもずっと、生きている。
バグった世界を再起動する方法、教えてください 田島ラナイ @tajima_ranai
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