14.仲直り

―湊―

「何、勝手に部屋覗いてんだよ」

「あ、ごめん」

「こっち来て」

促され部屋に入ると、テレビとソファがあった。ここがリビングだったらしい。

ソファの前のテーブルに置かれた救急箱から、千晃が消毒液を選んで取り出す。

「消毒するから、そこ座って」

「え?自分でやるよ」

「いいから、早く」

「……はい」

大人しくソファへ腰を下ろす。

千晃は俺の前に屈むと、消毒液を染み込ませたガーゼで傷口を何度か押さえた。

染みるのに耐えてじっとしていたら、何故か上目遣いに顔を覗き込まれた。

「何?」

「いや。泣き虫のくせに、痛みには強いんだなと思って」

「はあ?そんな、子どもじゃないんだからさ……」

「うさぎ抱きしめて泣いてたくせに?」

「っ、」

「こんなもんかな」

消毒を終え、丁寧に絆創膏も貼ってくれる。

「ありがと……」

「うん」

素っ気ない返事をして救急箱に消毒液を仕舞おうとする千晃の肘に、擦り傷がある事に気がついた。

「千晃、血が出てる」

「え……ああ」

気づいていたのか、千晃は特に気にする素振りを見せない。

そうだ、と思いつき立ち上がる。

「そこ、自分じゃ消毒し辛くない?今度は俺が」

「いい」

「いや川入ったんだし、膿んだら大変だって」

「いいって言ってんじゃん」

「なん……」

もしや、と可愛い理由を思いつく。

「消毒染みるの、苦手?」

「……」

目を逸らされる。どうやら図星らしい。

悪戯心が湧いてきた。

「人のこと泣き虫呼ばわりしといて。びびってないで自分も消毒しろよ」

「別にびびってなんか」

「ほら、貸して」

「あ、ちょっ」

千晃の手から消毒液を素早く奪った、つもりだった。

手に取った瞬間、思い切りボトルを握り締めてしまい、中身の液が宙へと飛び出す。

反射的に顔を庇おうと上げた千晃の腕に、消毒液がもろに命中した。

「いった!……おい!」

「あっごめ、………っく」

顔を真っ赤にして怒る様子が可笑しくて、思わず笑ってしまう。

「ったく」

知らない間に床に落ちてしまっていたタオルを拾うと、半ば投げつけるように顔を軽くはたいてきた。

「人に散々迷惑かけといて笑ってんなよ」

「あ、……ごめん」

途端に申し訳なさでいっぱいになる。ふざけてる場合じゃない。あのまま川に流されていたら、大変な事になっていたかも知れないのだ。

俯いた俺の頭にタオルが掛けられる。と思ったら、雑な手つきで髪を拭かれた。

「わっ、ちょ」

「なんで濡れたまま出てきたの。乾かせよ」

「ドライヤーが見当たらなくて……」

「ああ、そっか」

ひとしきり髪を拭いてくれた後、小さくため息をつかれた。

「あのさ、あんま無茶なことすんなよ。まじで心臓止まるかと思った」

「ごめん……まさか、千晃が助けてくれると思わなかった。昨日もめっちゃ怒らせたし……」

―ああ、そうだった。昨日も散々、怒らせた。

本当は顔を見たら謝らなければならなかったのに、またこんなに迷惑かけて。

ごめん、と何度めかの謝罪を口にする。

「俺、千晃に嫌われるような事ばっかしてるよな……」

「……いや、別に」

「でも、あの」

「?」

「めっちゃ、不謹慎かも知れないんだけど」

「何?」

「その……溺れかけた時に、さ」

ちら、と千晃の顔色を窺う。

「やっと名前呼んでくれて、実は嬉しかった……なんて」

千晃が目を瞬く。

「……は?」

「あ、や、その」

猛烈に恥ずかしさが込み上げてきた。

思わずタオルで顔を隠す。顔が熱い。

「何でもないっ」

「……溺れそうになってんだから、名前くらい呼ぶだろ普通」

「……だよね」

「ほんとに、さあ」

ふ、と不意に笑われたのに気づいて顔を上げる。

「な、何?」

「いや」

少し屈んで顔を覗いてくる。その表情が優しくて、思わずどきりとした。

「泣いたり、笑ったり……怒ったり、照れたり。忙しい奴だな」

「……っ」

「貸して」

ずっと握り締めたままだった消毒液を俺の手から取り、救急箱に片づけ蓋を閉める。

両手で抱えて立ち上がり、俺に背中を向けたまま、不意に千晃が、ごめん、と小声で呟いた。

「昨日、きついこと言い過ぎた」

「……千晃」

戸棚へ救急箱を仕舞う背中へ声をかける。

「俺の方こそごめん。誰だって話したくない事あるのに……もう、余計な詮索しないから」

―本当は、気になる。

聞きたい事も、言いたい事も、たくさんある。

でも、もう傷ついた顔は見たくない。

「……うん」

振り返った千晃は、今までよりも少しだけ表情が柔らかくなった気がした。


***

道分からないだろ、と千晃は俺の下宿先のアパートまで送ってくれた。

「今日はありがと。それと本当に、怪我させてごめん」

「自分こそ。結構大きい傷なんだから無理するなよ」

「平気だって。バスケクラブもあるし、休んでるわけにはいかないから」

「明日もやるの?」

「やるよ。千晃も来る?」

「うん」

「え、ほんとに?」

冗談だったのに、あっさり頷いたので驚いた。

「怪我してんのに無理しないか、見張っててやるよ」

じゃあね、と手を振って帰って行く千晃の背中を見送る。


―明日も会えると思ったら、嬉しい気持ちになってしまう。

色々失敗もあったけれど、少しずつ、千晃との距離が縮まってきているような気がした。

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