村崎と目白 Ⅱ
よく知る村崎と目白なら別れ際に茶々を入れてくるもの。それがなく、忽然と去ったことがどうにも気になり、種類の違うクレープを交換し合う少女たちにさえ癒しを感じられずにいた。
(仕方ない)
スマートフォンを取り出すと、ドロシーが口元にクリームを付けたまま尊顔を浮かべたので「あっ、違います」とあしらう。フォルダはドロシーの様々な瞬間を捉えた写真で溢れている。
『村崎は帰った?』
スマートフォンを裏向きでテーブルに置く。村崎の連絡先は知らない。スマートフォンを触っているところすら見たことがないため、目白に確認を取る他なかった。
村崎とは高校で出会い、一年からクラスメイトになり、妙な因縁を付けられたことで付き合いが始まった。
当時のアロンにその気はなかったが、口がなければ賢そうと、最初に仲良くなった女子から評されるほど、芝居じみた振る舞いをしていた。中二まで上がった妹を美少女と確信し、少し売れ出すと、であれば兄の自分も結構イケてるのではないかと自信を付けたが、芝居じみた振る舞いに関しては別問題。母を早くに亡くし、警視正の父が日中はほとんど家にいなかったことから、妹と家は自分が守らなくてはならないと思うようになり、買い物や家事、それらに連なる事柄で、あらゆる分野の大人たちと関わるようになった。そういった経験は別に珍しくもないが、アロンの場合、小学生の頃から大人たちの輪に加わる機会が多かったため、同級生よりも早く大人の空気を知り、このようになったのだ。
それが卍田市一の
気の弱い男子や、うるさい女子などを特に嫌う村崎にとって、クラスメイトで、席替えをしても何故か毎回近い席になるアロンの存在は痒くなるほど鬱陶しいものだった。肥満でオタクの目白も鬱陶しく、殴りやすい機会が来ないか期待した時期もあったが、これは話してみると案外肝が据わっていると分かり、1年1組で誰よりも早く目白の光る部分を見抜いた。
村崎はいよいよ我慢できなくなり、彼が浅尾や河原と談笑する中、おもむろに近付き、胸倉を掴んでしまう。
クラス中が凍り付いた。目白が止めても止まらない。何と言ってもアロンが理不尽な脅しに一切戸惑っていなかったため、これは……と、目白まで面白く感じてしまった。
村崎は支離滅裂な罵声を浴びせたが、アロンの眼差しは揺るがない。果てには、僕が怖いのはホラーと妹に嫌われることだけだよ、などと言い出し、村崎が拳を握ると、大塚や齋藤が悲鳴を上げた。
この時は熊岡が仲裁に入り、生徒指導室に連行、喧嘩両成敗の一歩手前ほどで済ませた。とはいえ火の粉は消えず、二人はその後、目白を立ち合い人として屋上で殴り合い、(駆け付けた熊岡に鉄拳制裁されて)互いをそれなりに認める関係となった。
翌日には、先日の騒動などなかったように奇妙な絆が形成され、クラスメイトは、三年間もこの二人に翻弄されるのかと、始まって間もない高校生活を案じた。
(どうして)
一見穏やかな放課後のモールで、村崎、目白との始まりを思い出したのは何故か。
一向にスマートフォンは震えず、気が気でならない。目白はめいど♡ふぃっしゅに向かったはずで、スマートフォンもよく見る方だから、そろそろ返信が送られてくるはずなのに。
「あの、アロン君」
不安を紛らわすように紙コップに口を付けていた。目線を上げると、こちらの顔色を窺う良子がいた。
「大丈夫ですか? 体調が優れませんか?」
「クレープが食べたいなら買ってくればいいではないか」
「クレープは大丈夫。僕も大丈夫だよ」
慌てて笑顔を繕うアロン。良子は異変に気付き、案じる眉をそのままにした。見当違いのようで、実はドロシーも彼の変化を見逃していなかった。
胸が焼けるような不安に駆られてたむろする。少女たちもアロンを気遣い、そろそろ出よう、と言わなかった。
良子のための放課後だったはずも、賑やかなフードコート内とは思えない緊迫感に包まれている。
卍田市の平穏が終わる恐れ。日暮れ間近、終焉など知らず好きに過ごす彼ら、彼女らの、奪われるかもしれない未来。崩壊はとっくに始まっているのかもしれない、とも思えてくる。心当たりがいくつも胸を彷徨して止まない。
ブーッ! ブーッ! ブーッ!
スマートフォンがテーブルを巻き込んで震えると、アロンは即座にそれを拾った。
(それで誤魔化せているつもりなのでしょうか)
「それで誤魔化せているつもりなのか」
言葉にしなかった良子は、ドロシーの無遠慮に目を剥いた。
『すまん。我々はここまでだ』
少し間が空き、
『救急車を呼んでくれぬか。モールの裏手にある公衆トイレだ』『村崎もいる』
と、送られてきた。
「ごめん。ちょっとトイレに」
「お馬鹿。隠すな」
ドロシーの人差し指が額を弾き、立ち上がろうとしたアロンは椅子にもたれた。
「何かあったのですね? 私たちに関係のあることですか?」
「詳しくは分からない。聞いてみないと。でも、急いだ方が良い」
「では、私たちも」
「いや、これは多分、
良子こそ勢い良く立ち上がる。
「でしたら尚更!」
「だからだよ! あいつらは二人の素性を知らない。知らないままでも済むかもしれないから、二人はここにいてくれ。本当にやばくなったら助けを求めるから」
アロンは芝居じみた笑みで立ち上がった。
これが蝋木亜路の、冒涜の十字架。そう感じたのは良子とアロン自身。
「まずいと感じたらすぐに連絡を入れてくださいね? 非常時であれば、私がどういう理由でここにいるのか、卍田市が危機に瀕しているのも、知られる結果になっても致し方ないことです」
「ありがとう。でも、それだと櫛名さんが苦しむことになる」
「いいえ。皆さんであれば分かってくれると思います」
「それは勿論。みんな良い人だからね。けど、いくら優しい世界でも、逃げずに留まるのは結構辛いから、櫛名さんにはそんな思いしてほしくないかな」
言い残し、走り去ったアロンが最後に見せた飾りのない表情は、良子の胸に深く突き刺さるものだった。
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