悪魔男子悪魔
嵐の終わり。アロンは二人のもとへ駆けた。
着いた途端、茨の獣と化したドロシーが元の姿に戻り、こちらへ倒れてきた。咄嗟に腕を広げて抱き留めたものの、決闘前に経た体験でアロンも疲弊しているため、ドロシーを抱えたまま膝を突く形となった。
「ドロシー、無茶してた?」
少女のおかげで難を逃れたのだから、ここからは自分の番だと見栄を張る。
後ろから抱く格好となり、どんな顔でいるのか見えないが、大きく溜め息を吐かれてしまえば調子は分かる。
「違う。空腹だ。冒涜者のせいだぞ」
頬をくすぐるマリーゴールドの髪を撫でたい思いに駆られるも、
「そっか」
と言って、静かな夜の風を共に感じた。
小休止を済ませ、これから向かう場所は一つと決まっている。窓から強引に入ってやりたい気持ちもあったが、その後が怖いため、大人しく昇降口に戻り、再び夜の校舎へ。
相変わらず灯りの頼りが少ない廊下を進むと、その先に際立った光の間が待っている。扉のガラス窓から射す薄い白光。アロンは今回もノックをせず、その扉を開いた。
「いらっしゃい、アロン君」
夜も更ける頃というのに、保健室の魔女は回転椅子に寛ぎ、昼休みの調子でアロンたちを迎えた。
「ドロちゃんも」
実真はアロンに、アロンに密着するドロシーにほころんだ。因縁があるわけではないはずも、規格外の悪魔同士。両者が邂逅した瞬間、アロンは保健室ごと凍り付くような緊迫感を覚えたが、これが誤解かどうかも分からないため、息が詰まる思いでも足を踏み入れるしかなかった。
「どうしてまだいるんですか、って聞いてもいいんですか?」
「いるに決まってるじゃない。私は養護教諭なんだから」
「魔女というより妖精?」
「あら、美しい例え。でも、そんな様子で甘いことを言われても軟派とすら思えない。妙な寂しさがあるわね」
アロンはぎくり。良子を横抱きにして運び、右腕にはドロシーの両腕が絡まっている格好。アロンは必死なつもりも、これはどうやっても言い逃れできないと思い、
「夜の校舎で良かったです」
と、はにかむ他なかった。
「良子ちゃんはそこに寝かせて」
デスクの奥に並ぶ二つのベッドのうち、手前を指差すと、アロンは頷いて良子を運んだ。
綺麗で、儚さや切なさすらも感じさせる眠り顔。安らかな寝息。激闘で乱れた黒髪も却って彼女の艶やかな部分を引き出している。
「なぁに、アロン君。見惚れちゃった?」
実真に茶化され、まさか、と否定しようとするも、陵辱されかけた際の悍ましい相貌が蘇り、ぞわっとした。
一つ深呼吸をして、どの面で……と、責め立てたいほど相変わらずの実真に振り向く。
「まず、助かりました。校庭と廊下とうちの
「任せて。私の鱗で壊れる前と同じようにしてあげる」
「鱗?」
「私の魔法。ただ、私以外が校舎に残っていると、巻き込まれて校舎の一部になっちゃうから、その前にちゃんと下校してね」
アロンは首を曲げることしかできなかった。
しかし、ここまで来れば繕うこともないと思い、一気に追及することにした。実真は卍田市のあらゆる出来事に精通している女性で、自分たちに協力的だからだ。
「櫛名さんから聞きました。二人で
「ええ」
「どうやって?」
「あっ、手段については聞かされなかったのね」
「確か、あと少しのところで櫛名さんが狂って……」
「あらら。……この子のこと、分かった?」
「分かりませんけど、相手に合わせて歩み寄り方を変えるのは普通だと思っています」
その回答に実真は呆然とし、一息でいつもの微笑に戻った。
「良子ちゃんの『魔を以て魔を制す』はね、その通り、目に映したこの世ならざるものを我が物として複製する力なの。目が桃色に光っていたでしょ?」
良子の異能について、アロンは初めて聞く。ドロシーは決闘の最中に聞かされたのか、水槽のチンアナゴに夢中でいる。
「あれは凄い秘術よ。何たって本物にもバレないんだから」
「本物?」
「あのデカブツのことを言っているのだろう」
こちらの会話に耳を傾けてはいたようだ。
ドロシーが実真を真っ直ぐ見つめている。その眼差しは臨戦の際と同じ鋭さだった。ドロシーのおかげで心身共に救われたアロンだが、日常の彼女とはまだ再会を果たせていないようで寂しく感じた。
対する実真も冷たい笑みを浮かべてドロシーを見つめ返す。間に挟まるアロンは胸がざわついて止まない。
「ミマと名乗っているのか?」
「ええ。会話をするのは初めてね。可愛い女の子になってくれて何より。ところで、私のこと覚えてる?」
「初対面のようで、どこかで会った気がしなくもない。女人には無用なほど危険な香りを纏っているからな」
「それって獣の勘? 私が同じ『七匹ノ悪魔』かどうかを自力で判別することはできなかったみたいね」
「それは今どうでもいいことのはずだ」
関係は良好から遠いものなのか。ドロシーが露骨な敵意を放つと、実真の代わりにアロンが息を呑んだ。
「仕方ないと思う。私たちは生まれた場所が同じで、その瞬間も僅差。だけど、誕生して間もない頃のドロちゃんは獣そのもので、対話が不可能な状態だったから。私たちはお互いがどのような力を秘めているのかをほとんど把握しているからこそ、あなたの狂暴っぷりに呆れ、付き合い切れず、頃合いと判じて散り散りになったのだからね」
ドロシーは今にも実真の細い首に噛み付きそうな目付きでいる。普段のように安易に注意できる雰囲気ではない。悪魔たちのプレッシャーに当てられ、アロンは顎が重たくなり、声を発せられなかった。
「出自より、デカブツの討伐についてではないのか?」
「アロン君、ドロちゃんの第二形態を見たわね? あれはいわゆる『魔人形態』で、次の第三形態を『悪魔形態』と言うの。つまり本来の姿。そして、第四形態ともなると、ここにいる少女の姿をしたドロちゃんからは想像もつかない、対話不可能のイカれた怪獣になるから今のうちに覚悟しておいてね」
優しく包み込むような微笑みを向けられるも、それに癒しを得られるはずもなく……。
「チッ!」
ドロシーの舌打ちにアロンは冷や汗をかいた。
(わざとだ)
実真も考えがあって、このタイミングで次なる形態やドロシーの出自を語ったのだろうが、ドロシーを蔑ろにする振る舞いは解せない。アロンは視線を漂わせ、いよいよ良子の寝顔に縋った。
「それで、どんな方法で?」
「ま、端的に言えば毒殺ね。さっきドロちゃんが言ったように、良子ちゃんが複製したタコ脚は
「え、それで死ぬんですか?」
水平線に聳える超巨大なタコ脚と、その全体が、毒で死に至るなど想像もしなかった。実真は冗談ではなく確信を持って言っている。何を根拠に、と思うも、それだけは瞬時に分かった。
「並の毒ではないもの。殺すと決めたら必ず殺すわ」
総毛立つアロンは恐怖に押されて口が滑る。
「実真先生の毒にも魔の気ってやつがあるのなら――」
「私の『擬態』は、
ドロシーが戦いの最中に浮かべる自信に満ちた笑み。櫛名良子、不器用な彼女の不安定な笑み。
それらと一線を画す、愛も何もない冷酷な微笑。アロンは指先まで痺れる感覚に陥った。
「私を頼った良子ちゃんたちは偉いと思う。為政者や、期待を背負った勇者がやらかして世界が滅びる、というのがベターなのだけど、この世界の各国政府はとても賢明ね。このやり方なら確実かつ被害ゼロで
実真はベッドに腰を下ろし、良子の頬に付いていた土を指で拭いた。
「でも、いくら確信があってもね、やってみないと分からないから」
「実真先生……」
この
「あの、櫛名さんとの戦いではドロシーを譲りませんでしたけど、そっちの方が確実なら……」
途端、アロンは背筋が凍った。ドロシーが信じられないものを見る目を向けているのに気付いたからだ。
「ありがとね。今回勝ったのはあなたたちだから、私たちのは『たられば』として、ドロちゃんが倒す前提で考えて」
改めてドロシーに振り向くと、試すようにこちらをジッと見ていた。
「分かりました。僕はドロシーを一番に考えます。でも、実真先生や櫛名さんも、何も間違っていないと思いますよ。できたら協力してほしいです」
殺伐とした空気は去り、ドロシーも屈託のない笑顔に変わった。
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