魔人形態

 ドロシーの体が赤黒いエネルギーに包まれる。アロンも構わず吹き飛ばす、辛うじて校庭の範囲内に収まっている嵐は、その規模と轟音のみでタコ脚たちを制止させた。

 タコ脚たちを壁として暴風を免れているはずも、良子は長い髪を乱し、目も開けられない。堪らずその場に伏し、全身で畏怖を感じた。

 ゴオオオオオオッ!!

 地を転がるアロンはいよいよ校舎の壁まで到達。悪い撃ち方はしなかったが、目蓋を開き、事態を確かめるのに時間を要した。

「ドロシー!」

 アロンの叫びに呼応するように、爆発寸前とも思えた嵐が止んだ。

 しかし、良子の畏怖は治まらない。魔の気を感覚で探知できるほどのため、戦慄は止まず、嵐が去った後に残った者から目を逸らす余裕もなかった。

 バチバチと音を立てるエネルギーを凝縮して身に纏い、充実の顔付きで立つ者がいる。相変わらず綻びた服装のままだが、それでもいくつかの変化を見せていた。

「これが、第二形態」

 アロンが思い、良子が口にする。

 これまでの尊大な態度は生意気とも取れたが、今では相応しいものに思える風貌となった。額には火花を散らす一本の角、頬や四肢には茨のような模様が浮かんでいる。どれも鮮血の色で、時折窺えるドロシーの野性と、人外の耽美がより明確に表現されているように感じられる。

 アロンは判断を迫られた。ドロシーという悪魔の少女は、良子や実真の言う通り、手放しで信じていい存在ではないのかもしれないと。

 敵と同様、アロンもドロシーの放つ魔の気に痺れ、恐ろしいものを見る目を向けてしまった。ドロシーがチラッとこちらを向き、無表情のまま敵へ向き直る瞬間など息もできなかった。

 あれほど求めたのに、自分はまだドロシーを信じ切れていないのか。そも、何故そこまで必死で信じようとするのかと、不要な考えがよぎった。

「さて、これを見せたからには容赦しないぞ。娘、痴れた振る舞いを改めるなら今のうちだ」

 肉壁を隔てた先で苦い顔を浮かべる良子だが、首を横に振って立ち上がった。

「いいえ。凄まじい魔力ですが、想定の範囲内です」

「そうか。だが、量ばかりを見て質を侮るようでは、せっかく天才に生まれたというのに勿体ないな」

「質? 何を言って――」

「娘、勝ち目があると思っているのだろうが、それは万に一つもないことだ」

 憐れむ言葉を受け、筆舌に尽くしがたい怒りが込み上げた。

「上から目線を!」

 良子は右手を前に掲げ、軍隊に指示を送った。潰せと。タコ脚たちは格の違いを知って躊躇したが、良子により突撃を強制された。口も声もないはずなのに、タコ脚たちはギギギギ……と、悲鳴を上げていた。

「ドロシー」

 そんな慟哭にも一切動じないドロシーに代わり、アロンがそれらを憐れんだ。

「もう許してあげないと」

 ドロシーは振り向きも、返事もしなかったが、頷くべきタイミングで瞬きをした。

 高らかに大斧を掲げると、先程と同じ赤黒い嵐が発生して主人を覆う。大斧もまた、ギザギザの刃が、過剰なほど育った茨の棘みたく変化していた。

 膨大なエネルギーが振り下ろさせる。

「オオオオオオッ!」

 雄叫びを上げて魔力を解放、タコ脚の波を灰燼に帰す。

 良子とアロンも、圧倒的な破壊力と、目蓋を閉じても免れない光に悲鳴を上げた。


 決着がついたと確信したが、ここで良子の才能が発揮される。

 二十本のうち、今ので消滅したのは十九本。一本を嵐との衝突寸前に仕舞っていたのだ。

 ドロシーもそのことに気付かなかった。その一本が足元から現れると流石に驚いた。執念を乗せた暗殺術だ。巻き付かれたところで内側から裂けばいいドロシーも、猶予を与えられる間もなく呑み込まれ、

「ガハッ!」

 必殺の力で締め上げられた。

 肉の裂かれる音が校庭に響く。アロンも呆然の短い暗殺だった。

「クソ!」

 アロンは何も分からないまま血相を変えて駆け出した。

(あなたにできることなんて)

 良子は止めず、彼の無謀を憐れんでいた。

「ドロシー!」

 タコ脚に接近し、ドロシーを取り戻そうとしたところ……。


 ――だーかーらー。


 くぐもって聴き取り辛かったものの、確かにそこからあの子の声がした。

「あ、ん、ず、る、な! と言っただろうがああああっ!」

 愕然としたのは良子のみ。アロンはその瞬間に安堵した。

 呑まれたようで、実はドロシーこそが呑んでいた展開だ。前にも見たことがある。ただし、今回は自らの歯も使ってタコ脚を千切っていたらしく、唇が真っ赤に染まっていたが。

「ドロシー、お口」

「うむ」

 袖に赤をにじませるドロシー。ビチャビチャと不快な音を立てて地に伏すタコ脚も含め、普通は足が竦む場面だろうが、

(やっぱり)

 と、アロンは彼女への信用を確固たるものにした。

「櫛名さんだけど」

「分かっている」 

 ペッと口の中のものを吐き、今度はドロシーが暗殺を仕掛けた。

 タコ脚を無警戒の足元に出現させ、無情に絞め殺す。自信のあった必殺技だが、デタラメな獣には通用せず、良子は頭が真っ白になった。

「終わりだ」

 獲物を仕留める冷徹な眼差しに射抜かれる。

 良子自身にはまだ二本残っている。両腕を変態させてそれを構えたが、通用せず、全神経を集中させていたはずながら、次の瞬間には巨大な得物が首元へ迫り、恐怖し、腰を抜かして倒れた。


 どうしてこれほど意地を張ってしまったのでしょう?

 屈服させるつもりが、ヤケになって殺す気に変わっていた。そうなれば殺されても致し方ないと弁えてもいた。

 しかし、自分を見下ろす少女にその気がないと分かると、死の恐怖か、あるいは別の何かから解き放たれ、全身から力が抜けていった。

「殺さないのですか?」

 そう問う頃には目が潤んでおり、少女がどのような表情で自分を見ているのか分からなかった。

「我が同罪の冒涜者のクラスメイトなら、特別に許してやろう」

 かつてない体感だ。魔の気から温かさのようなものが感じられるなど。

『魔を以て魔を制す』などという、本来カウンターとして扱う程度に留めておくべき秘術を使い続けた代償により、良子は段々と目蓋が重たくなっていく。

「相当に無理をしたな。それほど必死だったのだな」

 信用できない、などと安易に拒むべきでない、快く思っても良かった優しい声を最後に眠った。

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