魔人乱舞 Ⅲ

 怠い体に鞭を打ち、昇降口を飛び出して校庭の方へ。

「ドロ――」

 校舎を駆ける間も聞こえた衝突の音は止んでおり、校庭は夜間らしく白けていた。

 真っ先に少女の姿を探すも、そこには良子と数を増したタコ脚しかいなかった。

 校庭を見回すと、遠い位置の良子と目があった。

「わっ!」

 直後、こちらへ飛来する黒い物体に気付き、間もなく直撃した。黒一色のようで、丸いマリーゴールド色が窺えると、躱すわけにもいかず、衝撃に倒れてでも受け止める他なかった。

 飛来した少女の顔を覗くと、頬や額が腫れたまま瞑目し、眉を歪ませている状態だった。黒衣も数か所が破れ、露わとなった部分は土汚れよりも赤いものが目立つ。

「ドロシー!」

 最悪がよぎり、アロンは叫んだ。

 ドロシーが遅れを取るなんて、という思い込みはとうに失せ、大切な少女が悲惨な状態となっていることに動揺する。得物を手放さずも動かない少女の肩を揺すり、何度も名前を叫んだ。

「……案ずるな、馬鹿者」

 ドロシーは気絶していたわけではなかったよう。こそばゆくなって返事をしたのだろうか。悪魔は常人の物差しでは計り知れないほど頑丈、というのを知らないアロンは、返事を貰って一旦は安堵したものの、気が気でなく、

「本当に大丈夫なのか? かなりやられてる……血も沢山……」

 と、案じ続けた。

「ニャアアアア! 案ずるなと言っているではないか!」

 ドロシーは怒り、アロンの腕の中で暴れ出した。

 劣勢と認めても窮地とは思っていないドロシーだから、何度かぶたれ、掴んで放られた自身を受け止めた彼に不安な眼差しで見られると、苛立ちと、若干のこそばゆさを感じずにいられなかった。

 強引にアロンの腕から脱するドロシー。……常人を傷付けない力加減だが。

 それに確信を得て、アロンは思わず口元が緩んだ。

「ドロシー、良かった」

「良くない!」

「それで、思ったんだけど」

 良子たちを警戒しつつ、横目にアロンを窺うドロシー。

「ドロシー、加減してる?」

 敵視するように目を細め、溜め息を吐いた。

「やっぱり。櫛名さんもぶっ飛んでるけど、本来のドロシーなら勝てるはず。それでも今、こうなっている」

「本来? 私の力を全て明かした覚えはないが」

 心底苛立っている様子だが、アロンは真っ直ぐな視線を逸らさない。

「そうだね。でも、聞いた」

「あの娘に?」

「櫛名さんもだけど、もう一人の悪魔にも。ほら、あそこ……って」

 夜の校舎で唯一光を放つ箇所を指差し、アロン自身も違和感に気付いた。一階の一室、保健室には未だに灯りが点いている。夜の校舎で、他に人の気配もない以上、それはあり得ないことなのに。

「実真先生?」

 自分が保健室を追い出された後、実真がどうなったかなど考える余裕もなくて失念していたが、まさか、まだそこにいるのかと、それは何故かと、疑問が煮え立つように沸いてくる。

「私も聞いたぞ。あそこに私とデカブツ以外の悪魔がいるのだろう?」

「多分……いや、間違いない」

「そうか。『七匹ノ悪魔』が同じ人間界に三体もいるなど異例なことだが、その異例が今なのだろうな!」

 呆気に取られるくらいドロシーは理解が早かった。

 隣に立つ少女の朗らかな笑みにより、今日これまでの凄惨な記憶が薄れていく。やっぱり、ドロシーが……と、アロンも遠い目に笑みを重ねた。

「ドロシー」

 良子が歩き出し、周囲のタコ脚たちも距離を詰めてくる。それでもアロンはドロシーの横顔だけを見ていた。

「そこまでされても本気を出さないのは」

「我が同罪の冒涜者であるなら分かるはずだが?」

 綻びの黒衣と、痛めつけられた少女の体。それらから目を逸らさず、真っ直ぐ向き合って答えた。

「分かる。約束を守ってくれたからだろう?」

 ドロシーは横目に視線を交えたまま固まり、それから照れて目を逸らした。

「なるべく物を壊さないようにして戦う。モールの駐車場のように。その約束をちゃんと守ったから、苦戦を強いられてでも本気を出さないようにしている」

「……」

「ま、うちの教室クラスはあの様だけど」

「あれはお前の危機を察知したからだ! 仕方がないだろう! グルル!」

 とうとう唸りを上げるドロシーも、恐れる部分など一つもなく愛おしい。更に苛立たせるのも承知で笑いが溢れた。

「こら、冒涜者!」

「ごめん、ごめん」

 先程の悍ましいものとは違う。ここに在るのは大切な少女の、善意の裏返し。胸倉を掴まれようとも危機を感じるはずがない。笑いが乾いた後ですら多幸に浸かっていられた。

「全く! 最初から思っていたが、お前はマンタ市で最も無礼な男だな!」

「そんなことはない。ドロシーが来てくれて嬉しい。爆発するくらいの喜びを必死で堪えているだけなんだよ」

「むぅ? そうなのか?」

「勿論。ドロシーが一番だから」

「それなら良いが」

 胸元を正しながらドロシーを宥めるも、悍ましい空気を纏うものたちが立ち止まり、ハッとなった。

「お話はもうよろしいでしょうか?」

 タコ脚の軍隊を侍らす女子。その表情は、何か、夜の影より深いものを表しているように感じた。

「櫛名さん、こんな戦いは不毛だ。やめよう」

 緩い笑みを貼り付けて問うと、

「馬鹿を言うな! 私はまだ――」

 このようにドロシーが騒ぐので手で制す。

(さて)

 アロンにはアイデアがある。そろそろではないか、と思うことがあるのだ。

「卍田市に潜むタコ脚には二度と近付かない。櫛名さんたちが水平線の魔物ビッグパスを退治してくれるのならね」

 隣のドロシーがげんなりとした表情を浮かべているのが確かめなくても分かる。

 水平線の魔物ビッグパスはドロシーが倒す。その約束を破ろうとしている。失望されて然るところだが、今はドロシーより良子を止めなくては危険だ。

「私としては好ましい展開となりますね。水平線の魔物ビッグパスの討伐は準備が整い次第、迅速に行うつもりですし」

 和解の道へ歩み始めたようで、良子はまだこちらを疑っているのを、ドロシーも、アロンすらも感じていた。

「ただし、それまでの間、お二人が何もしでかさない保証が欲しいですね。信用するにはまだまだ足りませんので」

「どうすればいい?」

「まず、アロン君。ドロシーさんとの縁を切り、私と付き合ってください」

 つい吹き出しそうになった。

「ちなみにそれはどこまで本気で――」

「次にドロシーさん。あなたは別の世界への転移をお願いします」

 アロンはつい怒り出しそうになった。

「こちらには魔の気を探知する術がありますので、隠れても無駄です。あなたがこの世界から退去したのを確認できたら、こちらも水平線の魔物ビッグパスの討伐に本腰を入れます。討伐を果たした後でなら帰ってきても構いませんけど、その頃にはもうアロン君は私のものになっているはずです」

「いくら何でもこっちが不利過ぎる」

「嫌なら決闘です。そして、決闘を望んだのはそちらも同じ。手加減などして、このような状況を招いた自身を恥じることですね」

(この女!)

 ドロシーの善意を散々愚弄されることに耐えられなくなってきた。

(あの女も! まだなのか⁉)

 怒りに熱くなる頭と、わざと焦らされているような心地にソワソワし出すアロン。その様子を良子は当然怪しむも、隣のドロシーは我関せずと眠そうな顔でいる。

「ドロシー、言うことを聞く必要なんてない」

「……む?」

 ドロシーは眠気を奪われたような反応を起こし、アロンの顔が怒りと悔しさで彩られていることに気付くと、二ッと口角を上げた。

「うむ。退去するにしても、明後日の朝までは駄目だ」

「「え?」」

 アロンも良子も目を丸くした。反してドロシーは凛とした顔付きに変わる。

「朝パフェをまだやっていないからな! こうなってはモールに戻るのも面倒だ。材料の調達は他でも可能らしいが、冒涜者がこのように疲れ切っているようでは話にならん! であれば明日の放課後に材料を買い、明後日の朝に食べるしかないではないか! よって、そこな娘の都合が何であろうと、私の都合からしてその話は断らせてもらうぞ!」

 良子は尚も口を開けて固まり、アロンも似たようなものに。しかして自分たちと、自分たちを囲う世界とは、それで良いのだと、譲れないものを再度確かめたアロンは肩を上下させた。

「櫛名さん、そういうわけです」

「アロン君……」

「ドロシーは明後日までと言ってますけど、僕としてはもっと長くいてほしいので、ドロシーを追い出すのは諦めてください」

 アロンとドロシーは見つめ合い、同時に二ッと笑んだ。

「こら、冒涜者。長くいるかどうかは私が決めることだぞ」

「ドロシーはこれからも僕たちと生きていくことになるよ」

「何故そう言い切れる?」

「僕が飽きさせないから」

「ほぉう」

 彼と彼女の間にある、十日間とは思えない強硬な絆。それをまざまざと見せつけられても良子は奥歯を噛まず、訝しむこともなかった。……ないはずの部分がズキズキと痛みを訴えてきて、それどころではなかったからだ。

「……分かりました。結局譲らないのですね。構いませんよ。私はお二人が二度と調子に乗らないよう、捻じ伏せるのみですから!」

 タコ脚たちが一列に並び、先端を天へと伸ばす。そのままこちらに突撃してくるだけでも津波だ。四階建ての校舎すら一掃できるのではないか。

 そして、瞬きのうちに仕掛けられていた。母たる良子のみを器用に躱し、タコ脚の軍隊が砂嵐を起こして突っ込んでくる。

 躱せない速さだと勘付き、ドッと汗が噴き出すアロン。

 庇えばドロシーも重症だ。それなら今すぐ、逃げろ、と伝えなくてはならないが……!

 ペロッ。

 突如、右足の踵を何者かにくすぐられた。

(来た!)

 アオッピと呼ばれる青いツチノコが足元におり、その円らな瞳をジッと覗くと……。


『すぐ直るので、壊しても大丈夫です』


 蕩ける声音が脳か心に響いた。

「ドロシー、第二形態! 校内なら好きに暴れて良い!」

 一時は眠たそうだったドロシーの顔がパッと晴れた。

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