保健室、退場
状況が呑めず、アロンは壁掛け時計を、窓の向こうを、扉を、魔女の表情を忙しなく見返した。
こちらの動揺にも構わず、実真は全くいつも通り。困惑しているが自分だけと分かり、アロンは猛烈な不安に晒された。
「アロン君がいけないのよ?」
白い箪笥に腰を預け、クスクスと笑う実真。
「あの子の劣情を真っ向から受け入れるか、強引に押し留めておけば、穏便に済む展開もあったかもしれないのに。こんな時間稼ぎなんてする必要もなく、気が済むまでお話することができたのにねぇ」
童女のように箪笥を押してひょいと飛び、
「ごめんね! コーヒーに毒を盛らせていただきました!」
と、満面の笑みで敬礼。アロンはそんな実真にこそ飛び付きたい思いだったが、膝が震えて動けなかった。
「アオッピと同じように、飲んだ者の存在を地味にさせる魔法をね。現実として経過した四時間もの間、校内に限らず、世界中のみんながあなたのことを忘れていたの。
そして、ここの扉の鍵だけど、これを閉める際にお呪いを添えることで保健室の認識を二分することができるの」
「二分?」
「一つは、部活で怪我をした子や、私に対して個人的な用のある子を迎える普通の保健室」
(普通ではないな)
実真は人差し指を口元にやると、次いで中指も立ててピースサインを作った。
「もう一つは、あなたを匿うための保健室。あなたはずっと異空間にいたのよ。ほら、同じ保健室だけど、窓から見える校庭に誰も歩いていなかったでしょ? 気付かなかった?」
「馬鹿な……」
既に侵されていた事実に鳥肌が止まないアロン。
「でも、これまでずっと普通の方へ流されていた彼女がギミックに気付き、呪いを解いちゃった。凄いわね、あの子の執念。私が見込んだ通りだわ。校内であの子だけがあなたを追い求めていた。純愛ね」
「どうしてそんなことを!」
実真が保健室の鍵を外した。すると、久々に換気したように爽快な風が吹いた。汗ばむアロンからしてみれば凍えるほどの寒波となった。
「やっぱり敵なんですか、実真先生は」
「敵だったらどうするの?」
どうぞ、と手振りで退出を促す実真。扉の先に恐るべき存在が待機しているというのに。
「寂しい……とても寂しいですね」
「ウフフ」
後ろで両手を組み、上半身を傾けると揺れる、ブルーブラックのポニーテール。時折このように無垢な素振りを見せる実真の真実がアロンには紐解けない。
元は良子の劣情から恐怖を感じ、保健室へ逃げ込んだアロンだが、紆余曲折し、実真や『七匹ノ悪魔』に関する話を聞く流れとなった。何かが解決したわけでもなく、畳み掛けてくる、もう逃げられない、という現実にパニック寸前となった。
「アロン君、酷い顔。ここを切り抜けたら
「その前にもっと匿ってください! そうだ、窓から出れば――」
「駄目アンド無駄。あの校庭は幻よ。窓を開けて外に足を踏み入れたら、瞬間的にあなたの体は溶けて消えるわ」
「ふざけるな!」
「だってあなたばかり贔屓したらフェアじゃないもの。異空間への避難に、四時間の耐久。これだけしてあげたのだから文句言わないの」
「クソ! ありがとうございました!」
「また来てね」
「もう二度と!」
アロンは怒声を飛ばし、扉の引手に触れた。
「アロン君」
吹っ切れて豪快に開けようとしたところ、耳元に妖しい唇が迫った。
「一つだけ教えてあげる。良子ちゃんの愛は一点集中型なの。どうしてかしらね? 他の女の子が相手ならまだしも、良子ちゃん相手に紳士の対応は悪手でしょうね」
アロンは触れ合うギリギリの距離で保健室の魔女と見つめ合い、甘い花の香りに胸が高鳴るも……。
「真実を一つも掴めなかった!」
煩悩を断つように扉を強く開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます