3年1組の新たな月曜日 Ⅲ

 小テストなど所詮は腕試し。試験に直接影響するわけでもない以上、引きずることもない。生徒会長への言い訳を考える方に頭を傾け、三限後、アロンは村崎、目白と食堂へ向かおうとした。

 しかし、廊下へ出る直前で名前を呼ばれた。

「アロン君!」

 目と鼻の先というのに声を張る良子。驚きはしたが、アロンは狼狽えなかった。

「何だい?」

「あの……お昼休みですよね?」

「うん。あっ、食堂とか自販機の場所分かる?」

「はい。先週のうちに、生徒会長さんに案内していただいたので分かります。お昼ご飯も自分で作ったものがありますので」

「へえ、櫛名さんも料理するんだ。凄いなぁ、僕は朝だけで手一杯。昼は食堂頼みだから尊敬するよ」

「いえ、拙い腕です。……ですが」

 モジモジと、肝心のあと一歩を踏み出せずにいる良子。置いてくぞー、と廊下の村崎に言われ、アロンも惑う。

 一方、二人の会話に聞き耳を立てる男子たちは察し、アロンの鈍感さ、あるいは知っていて焦らしているのではないか……などと勘繰り、恨みを積もらせていた。当のアロンは、良子と昼食を一緒にしたい様子で窺っている齋藤に申し訳なさを思ったが。

「よろしければ、一つ、召し上がってくださいませんか?」

 意を決した良子が取り出したのは、ごく普通の、女子高校生らしい小さな弁当箱……ではなく、

(((何だそれ⁉)))

 決して、学生カバンに収まるはずがないサイズのガラス容器だった。

 大抵のことでは取り乱さないと、凄惨な体験を経て自信を付けたアロンだが、いとも容易く足が竦んだ。

「それって……」

「私、漬物に目がなくてですね。今日は青梅を用意しました。大きいので食べ応えがありますよ。お近付きに、是非食べてもらいたいと思い、まし、て……」

 良子はここに来てようやく反応に困る真似をしでかしたことに気付いた。

(どう考えてもやり過ぎですねこれー⁉)

 漬物作りが趣味で、習慣ということに恥はない。しかし、それを高校の昼休みに、しかも転校初日に前触れもなく公開するなど、紳士淑女の都でもフォローし切れないに決まっている。

 自らの狂気に動転し、真っ赤な顔を両手で覆う良子。叶うなら絶叫したいほどの羞恥だった。頼ってね、と言った齋藤も立ち尽くしている。

「ごめんなさい! ごめんなさい! 出直します! 先週の金曜日くらいからやり直してきます!」

 誰も割って入れる空気でなく、浅尾と大塚が昼食を買いに出掛けた今、適切に励ませる者がクラスに存在せず、激しい挙動で容器をカバンに詰め、先週へ逃げ出す良子を呆然と見つめるばかりだった。

 ただし、適切な励ましなど不可能でも、彼女の厚意に応じるくらいなら可能な男子がいた。

「待った!」

 良子の細い腕を取るアロン。泣き出しそうな顔を直に受けても迷わなかった。

「失敬して」

 容器を貰い、蓋を外し、大きく実った青梅をかじると、アロンは目を剥いた。

「意外と甘いね。ハチミツ漬け? ごちそうさま」

 膨らんだ頬で微笑み、容器を返して教室を出ていった。

 良子はアロンの背中を、見えなくなってもずっと見つめていた。

 アロン君……アロン君……アロン君……。

 操られたように何度も呟き、好機と判じて接近する齋藤を慄かせた。


 昼食を済ませて教室に戻る頃、懐が振動を起こした。

 スマートフォンを取り出すと、そこには目を疑う通知が届いていた。


『アロン君、放課後、保健室、待ってます』


 血の気が引くどころか、実真、の二文字だけで血液が全て抜き取られるような感覚を味わった。

 SNSを開くと、確かに『実真』というアカウントからのチャットだった。プロフィールが一切編集されていないのが不思議と、らしい、と思えた。

 村崎と目白には先に戻ってもらい、アロンは昇降口付近の壁に寄って立ち止まった。

『何で僕のアカウント知ってるんですか?』

 送ると、すぐに既読がついた。それくらい普通なはずも、相手が相手なだけに緊張が増す。

『探したら出てきました』

 何で敬語なんだ……と思わせられ、何故か悔しい気持ちになる。

『保健室に行く必要がないくらい健康になりました。あざっす』

『それはそれとして来てください。待ってます』

『すみません』『放課後は用事があって』(質素な顔のアザラシがお辞儀しているスタンプ)

『有益な情報を教えてあげます』

「……これも女の勘? 一体どこまで」

 悪魔と自称し、どうやら本当に悪魔らしい少女との出会いと、悪夢を孕むタコ脚を始末してもらったことが、まさか、知られているのだろうか。

 それなら無下にはできない。放課後どころか今すぐ保健室へ乗り込むべきだが……。

「『何を知ってるんですか?』っと」

『教えてくれたら教えてあげる』

 アロンは画面から目を遠ざけ、すれ違う男子女子を眺めて「面白い」とニヤリ。

『僕は先生の知っていることより、先生のことが知りたいですね』

 送信し、自然と溜め息を吐いた。

 それも束の間、返信はこれまでの最速かつ最高潮だった。

『やっぱり今すぐに来てもいいわ』『保健室でなくても』『場所の希望があれば付き合ってあげる』『おすすめは小会議室』『職員室の隣だけど出入りが不自然にならないから』『養護教諭であるからにはいくらでも誤魔化が利くわ』『死角も多い』『職員室の隣だから危なくて最高!』『積極的で良い』『やっぱり若い男の子が一番だわ』『やばい』『昂ぶってきちゃった』(質素な顔のアザラシが筋肉ムキムキになっているスタンプ)

 総毛立ち、スマートフォンを投げ捨てたい衝動に駆られた。

『やっぱりやめようと思います』

『寂しい』

『行かなかったらどうしますか?』『というか僕はどうなりますか?』

『とても寂しい』(質素な顔のアザラシが頬を濡らすスタンプ)

 眉間が歪んだまま固まっていたアロンだが、ついクスッと笑ってしまった。負けたのだ。

『可哀想だから行ってあげます』

(質素な顔のアザラシが万歳しているスタンプ)『お待ちしてます』

「不思議な女性ひと

 失笑し、スマートフォンを仕舞うところ、すぐ振動した。

「おっと」

 今ので話は済んだと思い込み、まだ、と驚いて画面を見た。

『昂ぶりといえば』

 再度SNSを開き、チャット画面に移ったところで新たな文章が届いた。


『良子ちゃんにはもう噛まれたの?』


「櫛名さん?」

 直後、初めて見る青い蛇のスタンプが送られてきた。マスコットとして丸くデフォルメされているとはいえ、青い蛇はどうやら怒っているらしく、その真意がアロンには理解できなかった。

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