魔の家 Ⅰ

 コンビニか、気分次第で店に入るのが土日の夕飯。父は時間が読めず、在宅もあるが、土日の夜だけは互いに勝手にやるようにしている。

 コンビニで適当に買い、動画サービスを漁りつつ夕飯を済ませる気でいたが予定変更。知り合いに見つからないよう祈り、慣れたファミレスへ入るアロンだが、確認不足だった。ドロシーはフードコートの出店を端から眺めているうちに老若男女から色々奢ってもらったらしく、空腹ではないというのを座ってから知った。

 とはいえ、入店を悔いるなどとんでもない。目の前には、黙っていれば人形のように完璧な美少女がいて、疲れた体に効く氷マシマシのコーラに、マルゲリータピザをシェアせず独占できるのだから至福の一時に違いない。

 設定を崩す隙を窺わせないが、ドリンクバーに目を輝かせたり、真剣な顔でメニューを眺める様子は健気の極致。皆がドロシーを喜ばせたくなるのもよく分かる。スパイシーチキンをしゃぶる様を瞬きせず見つめられると流石に気まずかったが。

(彼女というより娘だね)

 なんて言ったらどんな反応をするのか。それはデザートよりもずっと先のお楽しみ。


 家路につく間もドロシーは絶好調だった。

「冒涜者、冒涜者! あれは何だ?」

 ずっと、ずっと、あれこれを指差して問うてくるのだ。デカい声で。

 アロンは簡単に説明しつつも内心ハラハラしていた。深く、何のため、どういう原理で……などと追及されたら終わっていたからだ。

 ドロシーがフッと静かになったのは、マンションが見えてきた頃だった。それこそ海岸でドロシーが仕掛けた何かにより、一斉に憶病になった大型犬たちを思い出すくらい、唐突だった。

「ドロシー?」

 頬を膨らませながらも眉と目は通常で、どんな感情なのか読めない。ドロシー表情差分を抜きに、人間にそんな表情があったのかと驚く。

「任せるよ。強要なんてしないから」

 自宅を目前に気付いた一線を越える予感。ドロシーも同じことを感じているのなら、男の側はこう言う他ない。

(結構なことやってるなぁ)

 当のドロシーが望んだとはいえ、鵜吞みにして良かったのかと惑う。

「不慣れで、どんな対応をするのがイケてるのかがよく分か――」

「冒涜者」

 浮足立つ頭に氷柱を落とされたような、ドロシーとは思えない冷たい声音。迂闊な真似をしたと恥じ、恐る恐る見つめると……。

「……面白い。やはり運命共同体のようだな。所詮は凡夫かと思いもしたが、確信に変わった。冒涜者よ、やはりお前は私の共犯者に相応しい」

 アロンはいよいよ混乱した。愉快気で、邪悪とも取れる含み笑いを連続するため、邪に考え出す自分さえ下らないと思えてきた。

 そういった奇想天外な帰路に加え、トドメも強烈。アロンの住居がどれかを当ててみせたのだ。確信があったらしく、驚愕のアロンに鼻を膨らませた。

「凡俗には計り知れないことだが、私にはよぉく分かる! あそこだけ魔の気が集中しているからな!」

 ストーカーなの、と聞くと、脇腹をつねられたが、何とかの悪魔かはともかく、これまでの様子や、そういった独特の感性から、ドロシーが特別なのは本当かもしれないと認めるようになった。


 505号室の前まで来ると、アロンは更に頭を悩まさせた。

「さて、ノープラン」

「んー?」

 下から覗き込んでくるドロシーの澄んだ瞳。罪深い真似をしている気が蘇る。

 カーテン越しにリビングの灯りが点いていたのは確認済み。父が帰ってきている。

 彼女ではない。彼女だと誤解されるのも構わない。問題は確実にアルコールが回っているということ。アルコールを抜きにしても時間経過で面倒になる男だ。率直に絡まれるのが嫌だった。

「こういう時に限っているんだよなぁ」

「分かるぞ! 冒涜者の家族だな!」

「そう。いなければ最後までバレずに済む未来もあったから、そっちに期待が傾いてたんだけど」

「丁度良いではないか。私を紹介するんだ。冒涜者の家族なら快く我が眷属に加えてやるぞ!」

「むぅ」

 真似してみたがちっとも可愛くないので二度とやらない。

「とことん素直なんだなぁ」

「む?」

「いや、僕もやましいことなんてこれっぽっちも、全く、毛ほども考えてないけど、普通はもっと疑ったりするものだと思ってね」

「何を言う。疑うなら初めから付き合わないぞ。もし騙されたとしたら、それはこっちの器の底に穴が空いているのを自分が見落としていただけではないか」

 このような独自の哲学を帰路でも数度聞いたが、今のは大分感銘を受けたため、適当にあしらえなかった。

「君は本当に凄い女の子なのかもしれない」

 疑うより騙される方が楽と。アロンの中で、いつ、どこで使うかも分からない銘が生まれた。

「確かに、時間の無駄だった」

 差し込んだ鍵の音が、これほど心地の良いものだったのかと、初めて思うほど痛快だった。


 ドロシーがブーツのまま上がり框を越えようとしたので、着地の寸前で脇腹を掴んで止めた。

「ニャッ⁉」

 と驚くドロシーは、アロンを真似てブーツを脱ぎ、これでどうだと言わんばかりのドヤ顔を浮かべた。

 磨き上げられたように綺麗な両脚だった。アロンはそこから、邪な発想ではなく、ドロシーを招く上での最大の問題を連想する。

「君を家に入れるのにはやっぱり抵抗がある」

 意外にも、何だと、と返ってこなかった。

「君は何も悪くないし、僕も彼女がほしい。ワンチャンあるんじゃないかと思っているのが正直なところです」

 廊下を進み、唯一光を放つフロアを目指す。

「ただ、君は妹と近い年齢だし、その……もしかしたら、似ているような気もするから」

「もしかしたらとは何だ。はっきり言わないか」

「うん。僕はほんの少し、君に妹の面影を重ねているのかもしれない」

 リビングへ繋がる扉を前に立ち止まる二人。……やかましい足音で迫っていたくせに、扉の先に待つ人影までもが共に立ち止まった。

「妹は死んだのだな?」

「……そう。そうだよ」

「最近だな?」

「元日だよ。三か月前。死ぬしかない状況に陥った。だから――」


「お帰りー! 我が愛しのせがれちゃん! 一人でお留守番なんて寂しかったよー!」


 扉を開くのと同時に飛び出してきた男がおり、流石のドロシーも眉間に皺を寄せた。

「こいつに、妹の面影でも追ってんのか、と思われるのが癪なんだよ!」

「グヘッ⁉」

 男の腹部に加減なく拳を撃ち、先手を取ることに成功した。

 腹を押さえて苦悶するも、幸智はニヤニヤと口角をつり上げている。テーブルには缶ビールが数本置かれ、テレビには苦手なワイドショー。アロンにとって嫌な世界となっていた。

「やるな、せんがれよ……。父親相手に迷わず腹パンをかますとは」

「正当防衛。目には目を。ハラスメントカウンター。そういうの好きだろ?」

 顎でテレビを示すも、幸智が顔を上げるタイミングと合わなかった。

「流石、妹相手でも躊躇わないだけある」

「次はあんただな」

「口悪くなったなぁ。村崎君の影響か?」

「あんたこそいつまで……」

 苦虫を噛む息子に幸智は失笑、咳払いをして若人たちを窺った。

「それで?」

「それで……」

 当然、一番の関心は息子の背後で無の表情を浮かべている少女に向く。……この時、蝋木親子は無の表情と捉えたが、ドロシーの心境は異なっていた。

「彼女はドロシーって名前で、のっぴきならない事情によりうちに招くことになりました。はい」

「のっぴきねぇ」

「のっぴき!」

 自分たちを真似て発するドロシーに、うわ可愛い、と驚くアロン。

「いや、実は僕もよく分かってないし、あんたの職業は分かってるけど、静かにするから見逃してくれませんか?」

 説得材料を一つも持たぬまま粘る気でいるアロンを他所に、ドロシーは幸智の顔やリビングの物を順に眺める。さっきまで面倒なジジイだった幸智も、そんな少女に微笑した。

「つまり彼女だろ? 素直にそう言えよ」

「彼女じゃない。僕としてはやぶさかでもないけども」

「やぶさか!」

 ドロシーはまたも飛ぶように発した。

 自分が妹を連想したように、父も何かを感じたのか、リビングの空気が神妙になるも、ドロシーがおもむろにビール缶を手に取ったので慌てて取り上げると、時計の針も回り出した。

「彼女じゃないの? できるならこのタイミングだと思ったんだが。じゃあ在砂の面影でも追ってんのか?」

「ドロシー、ごめん。間違えた。ここは知らない人のお宅だから即出よう」

「まあまあ。そう怒るなって」

 ここまでは想定内のくだり。

「冒涜者、私を欺くことなど不可能だぞ」

 想定外は、説明さえすれば素直に従ってくれたドロシーが、今はここに留まる気でいるのがひしひしと伝わってくること。

「この男は紛れもなくお前の父親であろう!」

「そうだ! そうだ!」

 拳を突き上げる父に激しい怒りを覚える息子。

「むしろ冒涜者より冒涜者の父の方がより濃い魔の気を感じるな! もしや真なる我が同罪の冒涜者はこの男か?」

「え……ドロシー様?」

「おかしいとは思っていた。マンタ市の民もだが、どうにもお前は私を崇拝したがらない。これは不敬の極みであり、不可解な状況なのだ。どうやらお前は私が転移するための標ではなかったようだな」

「どうして僕は勝手に同罪にされて、勝手にフラれているんだろう?」

「父冒涜者よ、お前はどうか? 海岸やモールに劣らず、魔の気漂う一室で晩酌を決め込む変人よ。お前が弁えるのであれば、新たなる我が同罪の冒涜者として認めてやってもいいぞ!」

「分かりました。何かが偉大なドロシー様」

「は?」

 この男とは親子で、当然長い付き合いだが、まさか片膝を突くまで少女の妄想に付き合うとは思わず、アロンだけが置いてけぼりになった。

「こんな唐変木なんかより、大人の恋してみませんか?」

「やめろ! 死ぬまで母さんの幻影追ってろ!」

 本気ではないはずだが、現実になってからでは遅いため、アロンは父に蹴りを入れてからドロシーを連れ出した。

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