おいでよ、シーサイドモール Ⅱ

 海岸で別れる前、アロンはドロシーに引き留められていた。

「早速あのデカブツ悪魔めを討ち果たしてみせよう!」

 ドロシーは唐突に戦意を剥き出し、砂や毛玉で汚れた格好を更に水に漬け、四百メートル先のタコ脚へ向かおうとした。アロンは密かに心躍るものがあり、一旦は戸惑いながらも様子を見る気でいたのだが、多くの視線を背に負う手前、

「ドロシー!」

「ニャッ⁉」

 と、慌てて羽交い絞めにしたのだった。……少女の手から赤黒い光が放たれた気がした。

 目と鼻の先にあるドロシーの表情は戸惑いに満ちていた。信じられないことに本気だったらしい。

「冒涜者、何故止めるのだ⁉」

「あれはデカいだけで無害なんだ! 知らないの?」

 制止は正しい判断のつもりだが、妹と近い年齢に思える少女に怪訝な顔をされ、アロンはそこそこ傷付いた。

「……とにかく、放っておいて大丈夫だから」

「むぅ」

 羽交い絞めを解き、一つ深呼吸をした。

「君はどこから来たの? あれを知らないなんて。卍田市どころか世界的に有名らしいのに」

「決まっている。私は悪魔だぞ。であれば、生まれ、巣立つ地は一つに限られる」

 足元が濡れる場所で腕組み瞑目のマリーゴールド。チラチラと片目で窺い、答えてみよ、と期待する様子は悔しいことに微笑ましく、出勤時間を気にしつつも面倒を感じなかった。

「魔界とか?」

「分かっているではないか全くぅ! ……うむ」

 感心というより余韻。望郷か、遠い目をするドロシー。大人びた表情を垣間見せる様子も在砂に似ている。

(という設定ね)

 詰めるのも大人気ない気がして、貼り付けた笑みだけを残した。

「それで、悪魔さまがどうしてこのような場所に?」

 ハッとするドロシー。

「そうだ! お前、我が同罪の冒涜者! 大事ないのか?」

「え? まあ、健康だけど?」

「む、そうなのか? 不思議だな」

「こっちの台詞よ」

 激しく飛沫を立て、ドロシーが顔を近付けてきた。息を呑むアロンを見開いた真紅が縛ると、次に海岸の人々を窺った。

(びっくりした……)

 魔界出身はともかく、水平線の魔物ビッグパスについては本当に知らないよう。水平線の魔物ビッグパスだけでなく、先程の大型犬大集合があっても、それも過去として各々の目的地へ踵を返していく人々の存在がある。紳士淑女とも取れ、呑気とも取れる。後者を思っているからこそ、

「むぅ? んぅ?」

 と、左右へ首を傾げているのだろう。

 忙しない少女を眺めるアロンも呑気だが、もういい加減に刻限だ。

「ドロシー」

 ピタッと止まり、振り向く少女は猫みたい。

「何だ、冒涜者」

「僕で良ければ色々と案内させていただくところだけど、これから用事があってね。明日……もバイトだけど、午前だけ、あとは明後日の放課後なら空けられる。いかがでしょう?」

 妹と近い少女に軟派な真似をしていると、言ってから気付く。

「……まあ、放っておいてもいいか。ギリギリだが」

「ギリギリ?」

「しかしだな、あれを放っておくにしても、私とお前はここに縁を結んだのだから、お前が何より優先すべきはこの私に決まっているだろう。もてなせぇい」

「今日は無理だって。バイトなんだよ」

「バイトが何かは分からんが、せっかくあの巨大な魔力の傍に、酷似する魔のを感じて見にきてやったのだぞ。危機であれば救済してやろうと思ったのに、誰も彼も悠長なものだな! 冒涜者、お前は既に私を失望させているのだぞ? つまらない減点なんてさっさと帳消しにすべきではないのか?」

 ほとんど何を言っているのか分からなかったが、この自己設定遵守娘が、何か、確かな意味を持ってここに現れたのなら、それを理解しないまま拒むだけの自分が不人情に思えてくる。

「ごめん。けど、バイトはサボれない」

「私とバイト、バイトの方が大事なの?」

「裏切りたくない場所なんだ」

「むむむむ」

 幼い頃に妹と、役や設定を考えて遊んだっけ……と思いを馳せ、眩しくなってきた水面に目を細める。トラウマと向き合っているつもりになれる海岸で出会った少女。真に克服するための引き金が彼女であるのなら、中々によくできている。

「私と比べれば全てが些事のはずなのに。不敬だが、信念揺るぎないとも取れるか。うぅむ」

 腕を組んで独り悩むドロシー。また時間が掛かりそうで、いっそ走って逃げてやろうかと思った矢先……。

「ま、私は寛大であるからな! 惨殺も喫するのも免除してやろう!」

「ありがとうございます、ドロシー様。寛大!」

「うむ」

「案内はいい?」

「やるんだ」

「では、明後日の十七時にここで再会するというのはどうでしょう?」

「分かった!」

「案内役、誠意をもって務めさせていただきます」

「うむ、うむ!」

 ドロシーが満面の笑みになると、アロンの心も満たされた。


 よって、再会は明後日のはずなのだが……。

「用事は済んだようだな。さあ、マンタ市を案内せよ。我が同罪の冒涜者よ」

 目の前にいる約束のマリーゴールドに、何故と問うのも億劫になった。

「ずっといたの?」

「うむ。海岸から後をつけていたぞ」

「えっ⁉」

「お前が砦の裏手に入り、装いを変えたあたりで退散したのだ」

「気付かなかった……」

 したり顔で席を立つドロシー。放置されたカップをアロンが拾い、近くのゴミ箱に捨てるまでの一部始終をジッと見ていた。ゴミ箱の中を覗き、

「なるほど!」

 と頷いた。あまりにも無垢な反応で、アロンはクスッと笑んだ。

「ずっとモールにいたの? ずっといられる場所だけど、昼からこの時間まで?」

「端から端まで覗くつもりだったが、時に羽交い締めで止められることもあった。不敬者ばかりだな、この都市は。しかし、入っていいところは練り歩き、色々なものを見てきたぞ!」

「楽しかった?」

「うむ。先程のシェイクも、私の偉大さに気付けた慧眼の男に奢ってもらったのだ! 不敬でない者もちゃんといるのだな!」

「それって……ま、いいか」

 気になる点がいくつかあるが、本人が楽しかったのならそれが全て。シーサイドモールを愛するアロンは、極一部に貢献しているだけのくせ、誇らしく感じられた。

「モール内は大体分かった。次は外を案内してもらうぞ、冒涜者!」

「いや、明後日って言ったじゃない。それに全部は無理だからね」

「明後日も明日も今日であろう。よく考えたら今宵で良いじゃん、と気付いたのだ。さては騙したのか?」

「スケジュールというものがあるの」

「言っただろう。私を優先しろ。その方が良い」

「本当に魔界出身だったり、なんて」

 聞こえないくらいで言うも、

「む、いま何か不敬なことを思ったな?」

 と、睨まれた。

 汗でべたつく頬が、モールを出て浴びる夜風にひんやりするも、仕事を遂げた充足はなく、当然のように隣を歩く少女の横顔が気になって止まない。

「ドロシー、失礼な聞き方になるけど」

「もう十分極刑に値する無礼を働いているぞ」

「本当にどこから来たの? 卍田市どころか日本人ですらないようだけど」

「魔界と、お前こそが当ててみせたではないか。魔界からマンタ市へ。その間には何も挟んでいないぞ」

「今の住居は? 遠くなければ送っていくけど」

「ないぞ」

 呆気に取られ、二十時を過ぎても人の行き交う入り口広場で立ち止まる。

「ない?」

「ない」

「じゃあ、とりあえず警察に」

「無用だ」

 豆鉄砲を食らったようなアロンに、白く細い指が差される。

「今、向かっているのだろう?」

 今宵の風は痺れる熱を帯びていた。

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