第25話
浜辺に戻ってきたのは、三時すぎ。 昼より陽が傾いていて、空も海も、さっきとはちょっとちがって見えた。
海は、白っぽくてやわらかい色になっていた。 きらきらした青じゃなくて、光がにじんでるって感じ。時間が進んだってことなんだろうけど、静かで、きれいだった。
足元では、小石がごろごろ転がる音がする。サンダルの裏に伝わる感触も、さっきより少しだけ冷たくなっていた。
こていちゃんは、あたしの横を歩いていた。ぴこぴこを光らせたまま、海のほうをじっと見ていて、何かを探してるみたいだった。
そのとき、「きゅん」って、かすかに鳴き声が聞こえた。
なんの声? 音? 風に乗って、耳の奥に届いた。
こていちゃんが、ぴたりと止まる。それから、くるっと向きを変える。
海じゃなくて、鳴き声がした反対側――小石が終わって、草と土が混じった、歩きやすい地面のほうへ。
「え? どこ行くの?」
呼びかけても、こていちゃんは止まらなかった。 髪をぴこぴこを光らせたまま、てくてくと進んでいく。
あたしも、お兄ちゃんも、はるかさんも、つられるように歩き出した。 石でごつごつしていた浜辺から、少しずつ足元がやわらかくなって、 気づけば、草と土がまじった、歩きやすい道に出ていた。
そっちへ向かった理由は、最初はわからなかった。 でも、すぐにわかった。
道の向こうから、小さな犬が歩いてきていた。白い毛のかわいらしいシーズーだ。ふわふわの毛並みに、茶色いセーターみたいな服にハーネスがついている。 ちょこちょこと短い足を動かして、こていちゃんへ向かっている。
そのすぐ後ろに、女の人がひとりいた。 水色のTシャツにジーンズ。ゆるっとした服装で、きっと現地の人だろう。 肩までの髪が、風にそよいで揺れている。
犬を見守りながら歩いていて、近づくにつれて、顔の輪郭がはっきりしてきた。
知らない人のはずなのに、視線がそこから離れなかった。 なんていうか、静かな目をしていた。 その目が大きく開いて、こていちゃんに向けられ、揺れていた。
「……えっ、ナナミ? どうして、ここに」
女の人が、問いかけた。
「お久しぶりです、ハナちゃん」
こていちゃんが、そう言った。 え? 今、ちゃんって……。 あたしたちのことは、ずっとさまって呼んでたのに。 そんな呼び方、初めて聞いた。
ああ、そうか。 この人が、こていちゃんの前の主人なんだ。 そして、こていちゃんは、ナナミって名前だったんだ。
そう思ったら、なぜか、どこか奥のほうがぐらっと揺れた。 でも、今は立ち止まっていられなかった。
あたしは前に出た。
「こんにちは! あたし、小南夏帆って言います! わけあって、この子と暮らしてるんです」
ぺこっと頭を下げた。ちょっと大きめに。
女の人――ハナさんは、戸惑い気味に言った。
「え……あ、はい。ムラカミハナと申します。……あの、ごめんなさい。ちょっと混乱していて……どうしてこの子……ナナミが、ここに?」
その声に、お兄ちゃんとはるかさんもすぐそばまで来て、それぞれ自己紹介をした。
「実は、七月に、僕たちの家族が中古でこの人型AIを購入しました」
お兄ちゃんは、あたしの知らない大人な話し方で、ことの経緯を説明し始めた。
お兄ちゃんが話しているあいだ、ハナさんは、ときどき、こていちゃんに視線を向けていた。表情はほとんど動かないのに、まなざしだけが、どこか探るように揺れていた。
話がひと区切りついたところで、ハナさんが口を開いた。
「私には、兄がいて……処理は、全部兄がしていたはずなんです。記録も、応答履歴も」
短く息を整えるように、間があった。
「でも……残ってたんですね。ナナミが、あんなふうに呼んでくれるなんて」
こていちゃんは、足元でじゃれつくシーズーを、優しく見つめていた。そっと手を伸ばして、犬をなでようとするしぐさが絵になって、どこか懐かしい風景みたいだった。
風が通り、ハナさんの髪がやわらかく揺れる。犬の尻尾が、こていちゃんのスカートの裾にぴょこぴょこと触れていた。
すべてが、最初からそうだったように、そこに馴染んでいた。
――そうなんだ。
ここが、こていちゃんの場所だったんだね。
そう思って、あたしはひとつ、小さく息を吐いた。海のにおいに混じって、夏の終わりみたいな気配がした。
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