第16話

 そんなふうに思っていたら、映像が次の浜に切り替わった。


 七里御浜しちりみはま。初めて聞いた名前の浜だ。



 画面いっぱいに、小さなまるい石がぎっしり敷きつめられている。
波がその石をさらって、ざらざらとした音だけがゆっくり繰り返されていた。光も強すぎなくて、全体が落ち着いてる。静かで、なぜか目が離せない。


 ──そのとき。
すぐ横で、こていちゃんの髪がぴこっと光った。
さっきまで無反応だったのに、急に何?


「どしたの?」
 


 あたしが聞くと、こていちゃんはモニターをまっすぐ見つめたまま、ぽつんと言った。


「七里御浜……少しだけ……なつかしいような……そんな、気がします」


「まじ?」



「はい」


「ねぇ、体験してみない?」


 こていちゃんは、こくりとうなずいた。さっそく列に並び、順番が回ってきたところで、係の人、っていうか人型AIが、機械的だけど丁寧な声で言った。


「では、こちらの椅子へおかけください。視線の調整後、自動で開始します」


 あたしはこていちゃんと並んで腰を下ろす。


「始まったらしゃべれないと思うけど、終わったら感想教えてね」


 小声でこていちゃんに話しかけると、ぴこっと髪を光らせて「はいっ」とうなずいた。


 ゴーグルとヘッドホン、それから手首と足首に小さなブレスレット型のセンサーをつける。
こていちゃん、こういうのちゃんと反応するんだろうか……なんて、今さら気になりながら、ゆっくりとゴーグルを下ろした。


 視界が暗くなる。
音も一瞬、すっと消えて──って思ったら。ぱっと目の前に、浜が広がった。



 一面、石。白っぽくて、ちょっと透けた感じのある丸い小石が、ごろごろと重なり合っている。
波が寄せてきて、それらをざらざらと撫でる音が響いた。
それとはちがう音も。こつこつ、とか、じゃりじゃり、とか、そんな不思議な音。


 足元を見れば、小石の感触がわずかに伝わってくる。
ほんとに歩いてるわけじゃないのに、足の裏のどこかがじんわり反応してる。
トリックアートの超本気版っていうか、気づけば、あたしの脳みそが「これは現地です」って勝手に納得してる感じ。


 視線を動かすと、広がるのは海と空。圧倒されるのに、落ち着く。そんな海だった。
空はどこまでも青くて、雲もおだやかに浮かんでいる。
 


 風が吹いてる気配もあって、髪がなびくわけじゃないのに、頬にはやわらかい流れを感じた。そんな不思議なVR体験は、十分ほどでおしまい。


 もうちょっと見てたかったなーと思ったけど、係のAIが「終了しました」って、余韻とか一切許しません的なテンションで声かけてきたから、しかたなく立ち上がった。
人だかりを避けて、壁際の端っこでこていちゃんと向き合う。


「ね、どうだった? ちゃんと見れた?」


 こていちゃんは、少しあいだをあけてから、静かに言った。


「……はい。七里御浜は、とっても、とっても、たいせつな場所で、しあわせがたくさん、あります」


 ……え?


 目は潤んでるような、でも涙じゃなくて、なんていうか、心が揺れたあとの静けさ、みたいな顔。
料理頼んだときのテンパリモードとはちがっていて、すごく落ち着いていた。


 あたしの中で、がかちって噛み合った気がした。


「ね。もしかして。きみが昔いた場所なの?」


「いえ。記録では、ありません……」


「え、じゃあ、なんで『たいせつ』って言えるの?」


 問い詰めるみたいな口調になっていた。ちょっと、こわい顔してたかな。
こていちゃんは何も言わなくなった。


 でも……うんっ。これ、もう確定だよね。


 たぶん、前の主人の家があの浜の近くで、記憶(ログ)が残っていた。そのかけらでも、反応するってことは、過去が、本当にしあわせだったってことだ。


「ね、トイレ行きたい」



「はいっ」


 人目を避けたかった。運よく、トイレには誰もいなかった。
鏡の前に立つと、こていちゃんの視線が背中にあるのが、なんとなくわかる。


「こていちゃん、ちょっとだけ、そっぽ向いてて。じっとしてて」



 肩に手を添えて、くるんと向きを変える。
こていちゃんは、素直にぴたっと止まった。


 じゃーっと水を出して、勢いよく顔を洗う。冷たっ。でも、ちょうどいい。


「夏帆さま、どこか、悪いのですか?」



 律儀に後ろ向いたまま、心配そうに声をかけてくる。その感じが、ちょっとくすぐったい。


「もう平気」



 そう言って、ハンカチで顔を拭く。ドアを押し開けながら、スマホを取り出す。
深呼吸をひとつ。


 相談するなら、お兄ちゃんじゃない。はるかさんだ。チャットを開いて、ぽちぽちと打つ。



『はるかさんに相談したいことがあります』


 すぐに既読がつく。



『今ロボ動作確認のバイト中。夕方には終わるけど緊急? 要件は?』


 あたしは、もう一度だけ深呼吸してから返す。



『夕方会えるとうれしいです』


 ……からの。



『こていちゃんの故郷がわかりました。この子を返してあげたいです』

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