第17話

「なんで急にそんな話になるの?」



「唐突すぎだろ」


 ふたり同時にツッコまれて、あたしはつい「えへへ……」って笑ってごまかした。
 

 その日の夕方、リビングのソファで、あたしはクッションを抱えて座っていた。右にはお兄ちゃん、左にははるかさん。ふたりに挟まれるような形で、まるで家族会議というか、軽い取り調べというか。こていちゃんは、あたしの部屋で充電中。念のため、聞かれないようにって配慮。


 あたしは、水族館での出来事をふたりに話した。はるかさんだけに相談しようと思ってたのに、お兄ちゃんが居合わせてしまって、結果こうなった。


 内心、はるかさんはこっちの味方になってくれると思っていた。でも、出てきたのは「それでいいの?」っていう、まさかの保留スタンス。
お兄ちゃんにいたっては、朝から「ログは掘る意味あるのか」とか、ずっと変なテンションだった。


「気が変わったのは本当だよ。だってさ、こていちゃん、あのとき初めて『しあわせ』って言ったんだよ?」



 思い出すだけで、じんわりくる。


「東京より、あの浜辺が好きってことじゃん。だったら、帰してあげたいって思うの、そんなに変かな?」


 言い切ったあたしに、はるかさんがゆっくり眉を寄せた。



「気持ちはわかるけど……夏帆ちゃんは、ほんとにそれで納得できるの?」


「うん。だって、家のことはもう大丈夫だし。はるかさんがいろいろ教えてくれたおかげで、けっこうがんばれてるし!」


 はるかさんは腕を組んで、うーん、と声を漏らす。なんだろ、この人にしては珍しく歯切れが悪い。
そこへお兄ちゃんが割り込んできた。


「おまえだけで決めることじゃないぞ。そもそも、あいつは親父の名義で買ったものだ。契約上も小南家の所有物だし、おまえの小遣いから一円も出てないだろ」


「何それ。ちょっと前と全然言ってることちがくない? もしかして、あたしの言うことだからって、わざと逆張りしてる?」


「アホか。そうじゃねえ。おまえが変わりすぎなんだよ」



 お兄ちゃんは、むすっとした顔で続けた。



「『しあわせ』なんて言っても、あれだって応答記録を拾って反応してるだけだろ。定型パターンの出力に過ぎない。感情じゃなくて処理結果だ」


「は? それ、専門用語っぽく言えば正しいっぽいけど、だからって無視していいの?」


「うるせ。そもそもあんなガラクタ屋に売り飛ばされる時点で、前の持ち主もろくなやつじゃない。戻ったって、向こうに居場所なんてあるわけないだろ」


「それ、あなたの感想なんですけどー」



 わざとらしく語尾を伸ばして、軽く煽ってみる。


「それにさ。お兄ちゃん、固定型ってあんまり好きじゃないでしょ? だったらむしろ、こていちゃんがいなくなる方が、どっちにとっても良くない? お互いハッピーってやつ」


 言い終わったそのとき、はるかさんがぴしゃりと入ってきた。



「夏帆ちゃん、今の言い方は、ちょっとダメ。陽太、夏帆ちゃんのこと心配してるんだよ。わりとまともなこと言ってる」


「心配してねえし」



 お兄ちゃんがぼそっと返す。


「バカ。そういう言い方が燃料になるんだってば」



「はいはい、黙りますよー」


 ふたりで何いちゃついてんの。
うざっ。むかつく。あたしだって、何も考えずに言ってるわけじゃない。
だけど、ちょっとムキになったのは否定できなくて、口を閉じてうつむいた。



 誰もしゃべらない時間が少し流れて、ため息とソファの軋む音だけが部屋に残る。

 

 沈黙を割ったのは、はるかさんだった。



「折衷案ってのは、どうかな」


 顔を上げると、はるかさんはまっすぐこっちを見てた。



「七里御浜まで、こていちゃんを連れて行ってみる。あの子が何か反応を示せば、それをひとつの判断材料にしてもいい。でも、何もなければ、この家で今まで通り暮らす。どう?」


「意味ねえだろ」



 お兄ちゃんが、ぼそっと言いながらスマホをいじる。すぐに、AIの機械音声が流れた。


『七里御浜は、三重県南部の熊野くまの市から続く、日本で最も長い砂礫されき海岸のひとつです。その全長は、およそ二十二キロメートルに及び、熊野市、御浜町みはまちょう紀宝町きほうちょうなどの沿岸を通過します──』


 お兄ちゃんは、画面を見せることもなく淡々と続けた。



「これだけ範囲が広けりゃ、どこが『記憶の場所』だったかなんて特定できるわけがない。視覚記録も曖昧だし、GPSログもない。固定型の反応なんて、だいたい『それっぽい』で片付くレベルだ」


 まるで答え合わせに意味はないって言い切るみたいな口ぶりだった。


 でも──それでも。


 あたしの中には、どうしても引っかかっているものがある。あの子が、あの場所で「たいせつなところ」って言ったときの、あの声。それだけは、絶対に「それっぽい」で済ませたくなかった。


 あたしは、抱えてたクッションをぎゅっと握る。

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