第9話

 学校が終わって、途中であゆみたちと別れたあと、そのまま家に戻った。
門の前まで来ると、中に見慣れた背中が見える。
お兄ちゃんが、ガレージ手前で中腰になり、例のガラクタ車をいじっていた。


 くたびれたスモーキーブルーの車体は、今日も健在。というか、まだあるのが逆にすごい。
ボンネットはぱかっと開いたままで、中からコードや金属の部品がごちゃごちゃ顔を出している。


「またそれ?」


 声をかけると、お兄ちゃんが片手を止めて、ちらっとこっちを見た。


「ちょっと見てただけ。放っとくとバッテリー上がるから、たまには触っとかないと」


「ふぅん。暑いのによくやるね」


「……うるせ」



 めんどくさそうに会話を切り上げて、また工具を持ち直す。


「こていちゃんは?」



「充電中」



「……それ、差しっぱってこと?」



「そう。固定型でも、さすがに過充電にはなんないから放っといても平気」


 こっちを見ずに、さらっと答える。


「そういうのじゃなくてさ。なんか話しかけたりしてあげてよ。ずっと差しっぱで無視って、かわいそうじゃん」


「話しかけたって、なんも学習もしねーし」


 そう言って、またボンネットの中をのぞき込む。完全に意識がそっちにいっちゃってる。これ以上何か言うのも疲れて、あたしはそのまま家の中へ入った。


 リビングに入ると、部屋は暗くて静かだった。
エアコンは、あたしが入ってやっと反応して動き出す。
こていちゃんいるんだから、ずっと動いといてよね。エアコンなんだから。


 そんな中で、ぽつ、ぽつ、と控えめな光だけが灯っていた。
その光のもとにいたのは、さらさらと揺れる、こていちゃんの髪だった。あたしはすぐにコンセントを抜いて、声をかける。


「ただいま、こていちゃん」


 その声に、こていちゃんはぱちっと目を開けて、ふわぁっとあくびをした。


「お帰りなさい、夏帆さま。手洗いうがい、忘れずに」


 第一声がそれ。まあ、正しいけどさ。


「はいはい」



 言われた通りに洗面所へ行って戻ると、あたしはもう一度、こていちゃんのほうを見た。


「ね、暑くなかった?」


「大丈夫です。わたしの設定では、室温が八十度までなら、ふつうに動けるようになっています。それ以上になると、ちゃんとお知らせも出るので。心配、いりません」


 いや、そういうことじゃなくて。まあ、いいや。
今日は、この子の秘められたプログラムを引き出すんだ。料理作ってって言ったって、どうせ「できません」って返ってくる。
じゃあ別の切り口からいこう。


「ねえ、今日さ。いっしょに晩ごはん、作ってみない?」


「夏帆さま、ごめんなさい。わたしは、お料理ができません……」


 変わらなかった。
こんなふうにしょんぼりされたら、またいつものコンビニ弁当コース一直線だ。


「平気平気。あたし、ちょっとはできるから。いっしょにやろ?」


「夏帆さま、お料理ができるのですねっ。すごいですっ!」


 けろっと明るくなる、こていちゃん。


「ま、おにぎりくらい」



 たぶん……。


「でも、きみも作るんだよ?」


「ええっ、そんな。どうしましょう……」


 って、なんでそんな世界の終わりみたいな顔するの。


「大丈夫。焦げても爆発しても怒んないから。ほら、立って立って」


 そのとき、ガレージのほうから、シャーッとシャッターが横に滑る音がした。
続けて、「ぶるるっ」「ぼふっ」と、まるで咳き込んでるみたいなくぐもったエンジン音がうなる。


 あたしはリビングの窓に目をやった。
ガラクタ車が、のっそり道へ出ていくのが見える。


「……信じらんない。ほんと、丸投げすぎでしょ」


 もう、お兄ちゃんの分なんか絶対作ってあげない。


「こていちゃん、早く早く!」


 そう言いながらキッチンに向かって、ふと気づく。


 ──あたし、ごはん炊いたことないじゃん。


 さっきまでは勢いで言ってたけど、よく考えたら、全部お母さんがやってた。何となくだけで、実はゼロ経験。


 でも今さら、「やっぱ無理」なんて言える空気じゃないし……。


 あっ、ひらめいた。
なんかさ、ライオンの親って、子どもを崖から突き落とすとか? そういう話、なかったっけ?
 どこで聞いたのかも覚えてないけど、たぶん、あえて厳しく育てるやつ。

 

 こていちゃん、わりとここで覚醒するかもしれないし? うんっ! ナイスアイデア!


「こていちゃん、炊飯器、任せた!」


「えっ? 炊飯器……ですか?」


「うん! 何事もチャレンジ精神だよ、チャレンジ!」


 あたしはさっそうとリビングに撤退した。
何も見ていない。何も知らない。これは教育。たぶん。

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