ひゅるるん教室、かちこち数学? 先輩のヒントはあったかい?

ひゅるる……。

窓の外では、冷たい風が、木の枝に残った最後の葉っぱさんたちを、寂しそうに揺らしてる。もうすぐ冬が来るんだなぁって、なんだか、きゅって身が縮こまっちゃう。そんな放課後の教室は、ストーブがまだついてなくて、ちょっとだけ、ひんやりしてる。


わたし、小鞠鈴こまり りんは、窓際の自分の席で、分厚い数学の問題集と、にらめっこ中。……ううん、にらめっこっていうか、数字さんや記号さんたちが、みんなでぐるぐる踊ってるのを、ただ呆然と眺めてる感じ、かなぁ? 次の小テスト、範囲が広くて、すごく難しいって噂なのに、わたしの頭の中は、もう、かちこちに凍っちゃったみたいに、ぜんぜん働いてくれないよぅ……。


(うぅ……。この問題、さっきから全然わからないよぅ……。解説を読んでも、宇宙語みたいで……。このままじゃ、また赤点スレスレかも……。どうしよう……しょんぼり……)


シャーペンを持つ手が、寒さと不安で、ぷるぷる震え始めた、その時!


「おやおや、こんな凍えるような教室で、一人孤独に精神修行でもしているのかい? 小鞠ちゃん。その、石のように固まった姿と、虚空を見つめる瞳は、まるで、難解な数式によって魂を抜かれてしまったかのようだねぇ」


ひゃあっ!?


びっくりして顔を上げると、いつの間にか、すぐ隣の通路に、斜道誠はすみち まこと先輩が立っていた! マフラーを首に巻いて、ちょっとだけ頬を赤くした先輩が、いつもの、あの、にやり、とした、わたしの心をかき乱す笑顔で!


「せ、せんぱい! ち、ちがいますぅ! 精神修行じゃありません! す、数学の、小テストの勉強を……ですぅ……!」


わたしの声は、びっくりしすぎて、まるで、凍った地面を滑るみたいに、うわずっちゃった! もう、先輩ったら、わたしの悩んでる姿、ぜったいお見通しなんだもん! は、はずかしいよぅ……!


「ほう、数学ねぇ。なるほど、その、きみのメルヘンチックな思考回路とは、最も相性の悪い分野に、果敢にも挑んでいる、と。その心意気は買うが、その、問題用紙に穴が開きそうなほどの、絶望的な視線を見る限り、前途は多難、いや、遭難寸前といったところか」


うぅ~~~! そ、遭難だなんて、ひどいよぅ! わたしだって、頑張ってるのに!


「だ、だって、難しいんですもん! この問題、ぜんぜん意味がわからなくて……!」


ぷくーって、ほっぺを膨らませて、問題集の、ぐちゃぐちゃになった計算跡を指さす。


先輩は、ふむ、と、わたしの手元を覗き込んだ。


「ふん。この程度の問題で、脳がフリーズするとは。きみの思考プロセッサの性能は、寒さによって、さらに著しく低下するようだな。実に興味深い生態だが、テスト対策としては、致命的だ」


うぐぐ……! やっぱり、先輩には簡単なんだ……。しょんぼりして、また俯いちゃったわたしを見て、先輩が、ふぅ、と、今度は、なんだか、仕方ないなぁ、って響きの、ほんのり温かい(気がした!)息をついた。


「……やれやれ。その、凍えた子リスのような姿を見ていると、どうにも、こちらの集中力まで削がれる。……特別に、ヒントだけ、授けてやらんでもない」


え?


そう言って、先輩は、わたしの前の席の椅子を、するり、と引いて、座った。そして、わたしのノートを、ぐいっ、と自分の方に引き寄せたんだ!


ひゃっ!? ち、近い! 先輩の顔が、すぐそこに……! マフラーから、ふわりと、冬の匂いと、先輩の匂いがして……ど、どきどきしすぎて、息が止まりそうだよぅ……!


先輩は、わたしが悩んでいた問題の式を、指でなぞりながら、低い声で説明し始めた。


「まず、ここ。きみは、この公式をそのまま使おうとしているが、この問題の場合は、少し応用が必要だ。……ほら、この部分を変形させて……」


先輩の声は、いつものからかう調子じゃなくて、すごく落ち着いてて、分かりやすい。凍ってたわたしの頭の中に、するするって、言葉が入ってくるみたい……。


「……あ」


「それから、ここ。計算ミスをしているな。符号の扱いに注意しろと、あれほど……」


先輩が、わたしのノートに、赤ペンで、ちょん、て印をつけようとした、その時。


あっ!


先輩の、少し冷たい指先が、わたしの、ノートを押さえていた指に、ふわり、と触れた!


(ゆ、指……! さ、触れちゃったぁ……! ひんやりしてるけど、なんだか、あったかい……!? ど、ど、どうしよう!!!)


どきゅーーーん!!! ばくばくばくばく!!!


わたしの心臓、今、教室のストーブがついたみたいに、とんでもなく熱く、激しく鳴ってる! 触れた指先から、じわーって、不思議な熱が伝わってくるみたい! 顔が、かぁぁぁっ!って、窓の外の寒さなんて、ぜんぜん感じないくらい、熱い! 熱いよぅ!


先輩は、すぐに、ぱっ、て手を引っ込めて、わざとらしく咳払いをした。


「……こ、こほん。……まあ、そういうことだ。あとは、自分で考えろ。僕の親切にも、限度というものがある」


先輩は、ぷいっ、て、ちょっとだけ顔を逸らした。でも、その先輩の耳が、ほんのちょっぴりだけ、マフラーの色より、赤いような気がしたんだ!


(きゅんっ! きゅんっ!)


「あ……あ、ありがとうございます……! せんぱい……! な、なんだか、分かりました……!」


まだ、どきどきが止まらなくて、声が上ずっちゃってるけど、ちゃんとお礼を言ったら、先輩は、「別に」って、短く答えただけ。


「それより、そんな薄着で、いつまでもこんな寒い教室にいるな。風邪でもひいたら、馬鹿は治らないという俗説を、身をもって証明することになるぞ」


ば、馬鹿じゃないもん!


「じゃあな。……せいぜい、テストで、僕の顔に泥を塗るような、惨憺たる結果を叩き出さないことだね」


先輩は、最後までそんなことを言い残して、ひらりと手を振って、教室を出て行った。


一人になった、ひんやりした教室。でも、なんだか、さっきより、ずっと温かい気がする。先輩が教えてくれたヒントと、触れた指先のひんやりした熱さと、胸の中の、ぽかぽかした気持ち。全部が、冬の日の、特別な宝物みたい。


(先輩、ありがとう……。ぶっきらぼうだけど、やっぱり、優しいなぁ……。「風邪ひくなよ」って、心配してくれたのかな……? かっこよかったなぁ……)


今日の出来事も、もちろん、ぜーんぶ、わたしの宝箱に、大切に、大切に入れるんだ。寒い日の教室、難しい数学、先輩のあったかい(?)ヒント、触れちゃった指先、そして、胸いっぱいの、ぽかぽかしたどきどき。


よし! 先輩が教えてくれたヒントで、この問題、解いてみせるんだもん!


また明日、先輩に会える。そう思うだけで、わたしの心は、寒い冬空の下でも、ふわふわ、温かい気持ちでいっぱいになるんだ。


たとえ、明日もまた、先輩に「やれやれ、あの程度のヒントで、きみの凍てついた脳みそが、ちゃんと解凍されたのかね?」なんて、やっぱり失礼なことを言われちゃうとしても、ね!

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