ひえひえ体育館、ふんばる小鞠? 「せーの!」で心臓どっきどき!

ひゅー……。

放課後の体育館は、広くて、しーんとしてて、なんだか、冷蔵庫の中にいるみたいにひんやりしてる。高い天井の窓から差し込む冬の弱い光が、床にうっすらと白い線を引いてるだけ。


わたし、小鞠鈴こまり りんは、その体育館の隅っこで、大きな、ふかふかの、でも、ずっしり重たいマットさんと格闘中。さっきの体育の授業で使ったんだけど、わたし、ジャンケンで負けちゃって、一人で用具室まで運ぶ係になっちゃったんだ。でもね……。


うぅんしょ、こらしょ……!

だめだよう……! このマットさん、わたしの力じゃ、びくともしないよぅ……! 引きずろうとしても、重たくて、床に引っかかっちゃって、ぜんぜん進まないの。このままじゃ、日が暮れちゃうどころか、体育館に閉じ込められちゃうかも……!


(どうしよう……! 先生はもう帰っちゃったし、他の子たちもいないし……。わたしが、もっと力持ちだったら……! マットさん、ごめんなさい……! うぅ、寒いし、寂しいし、しょんぼり……)


半べそになりながら、もう一度、マットの端っこを掴んで、えいっ!って引っ張ってみた、その時!


「おやおや、こんな極寒の闘技場で、マットと熱い抱擁を交わしているとは。さては、小鞠ちゃん。新たな冬眠スタイルでも開発中かね? その、マットにすがりつく姿は、氷河期を生き延びようとする、健気なマンモスの赤ちゃんのようだが」


ひゃあっ!?


びっくりして振り向くと、体育館の入り口に、斜道誠はすみち まこと先輩が立っていた! 部活帰りなのか、ジャージ姿で、少しだけ息を切らせている先輩が、いつもの、あの、にやり、とした、わたしの心臓をきゅーってさせる笑顔で!


「せ、せんぱい! ま、マンモスじゃありません! か、片付けをしてるんですぅ!」


わたしの声は、びっくりしすぎて、まるで、凍ったボールが跳ねるみたいに、高くうわずっちゃった! もう、先輩ったら、わたしの情けない姿、また見られちゃったのかなぁ? は、はずかしいよぅ……!


「ほう、片付け、ねぇ。なるほど、その、きみの華奢な体格とは、著しく不釣り合いな巨大物体を、単独で移動させようという、壮大な試み、というわけか。その無謀さは、ドン・キホーテが風車に挑む姿にも匹敵する、感動的な悲劇性を帯びているが」


ひ、悲劇だなんて、ひどいよぅ!


「だ、だって、わたしが運ぶ係なんですもん! でも、重たくて……!」


ぷくーって、ほっぺを膨らませて、しょんぼりマットを見つめる。


先輩は、ふむ、と、わたしとマットを交互に見て、ため息をついた。その白い息が、ひんやりした空気の中に、ふわりと消えていく。


「……やれやれ。きみのその、絶望的なまでの非力さと、問題を一人で抱え込む悪癖は、もはや改善の見込みがないようだな。見ている方が、凍傷になりそうだ」


そう言って、先輩は、体育館の中に入ってきて、わたしが掴んでいたマットの反対側に回り込んだ。そして、ジャージの袖を少しまくって、ぐっとマットを掴んだんだ!


「せ、せんぱい!?」


「仕方ないだろう。このままでは、きみがマットと共に、この体育館の床で、永遠の眠りにつくことになりかねない。僕の貴重なエネルギーを、ほんの少しだけ、きみの救済に充ててやることにしよう」


きゅ、救済……!?


(で、でも、手伝ってくれるの……? わ、わたしのために……?)


どきゅーーーん!!! ばくばくばくばく!!!


わたしの心臓、今、体育館の床を叩くドリブルの音みたいに、とんでもなく速く、力強く鳴ってる! 先輩の、そんな、ぶっきらぼうだけど、あったかい行動に、わたしの体の中が、じわーって、温かくなってくるみたい!


「ほら、行くぞ。せーので、引くんだ。……いいか、僕の合図に合わせろよ。きみのその、独特な体内時計で、勝手に動き出すんじゃないぞ」


「は、はいぃ!」


先輩の「せーの!」の声に合わせて、二人で、ぐっ、とマットを引く。

わ! 動いた! さっきまで、あんなに重たかったマットが、するするーって、床の上を滑っていく!


二人で、息を合わせて、マットを運ぶ。先輩と、こんなに近くで、力を合わせるなんて、初めてかも……! 横を見ると、先輩の真剣な横顔。額には、うっすらと汗が光ってる……?


(すごい……! せんぱい、やっぱり力持ち……! それに、真剣な顔……かっこいい……! きゅん……!)


体育館の壁際にある用具室の前に、マットを運び終えると、二人とも、ふぅ、って、白い息をついた。


「あ……あ、ありがとう、ございます……! せんぱい! た、助かりました……!」


わたしが、はぁはぁ息を切らせながら、精一杯の笑顔でお礼を言うと、先輩は、ふん、って鼻を鳴らした。


「別に。僕にとっては、ウォーミングアップにも満たない程度の運動だ。……それより、きみは、もう少し、体力をつけた方がいいんじゃないか? その貧弱な身体では、冬を越すのも一苦労だろう」


ひ、貧弱って……!


「じゃあな。……あまり、体育館の備品と、一体化しないように」


先輩は、最後までそんなことを言い残して、ひらりと手を振って、体育館を出て行った。


一人になった、ひえひえの体育館。でも、なんだか、さっきより、ずっと温かい気がする。先輩と一緒にマットを運んだ時の、息遣いとか、隣にいた時の、あったかい感じとか、全部が、胸の中に、ぽかぽか残ってる。先輩が触ったマットの端っこを、そーっと撫でてみる。なんだか、特別なマットみたい。


(先輩、ありがとう……。ぶっきらぼうだけど、すごく、頼りになったなぁ……。力持ちで、かっこよかったなぁ……)


今日の出来事も、もちろん、ぜーんぶ、わたしの宝箱に、キラキラした思い出として、大切にしまうんだ。寒い体育館、重たいマット、先輩とのひみつの共同作業、そして、ちくちく言葉の裏に隠れた、あったかい(?)パワー。


よし! わたしも、もう少し、頑張って片付けしなくちゃ!


また明日、先輩に会える。そう思うだけで、わたしの心は、寒い冬の中でも、ふわふわ、温かい春を待つ蕾みたいに、きゅって、希望で膨らむんだ。


たとえ、明日もまた、先輩に「やれやれ、きみはマンモスの赤ちゃんと同レベルの非力さなんだから、無理をするんじゃないよ」なんて、やっぱり失礼なことを言われちゃうとしても、ね!

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