第十二話【リオ先生の魔法講習・前編】



翌朝。


天井の岩盤に走る亀裂から、やわらかな朝の光が斜めに差し込み、宿屋の中庭を静かに照らしていた。

朝露の残る石畳の上に、シノンとリオが立っている。



「かんっ――せいしました!!」


リオが勢いよく、手帳のようなものを高く掲げ、光を浴びて仁王立ちする。


「……どうした、リオ先生」


あまりのテンションに、シノンはぽかんと声を漏らした。



「シノンくん限定!光魔法超適応マニュアル(仮)が! ついに完成したんですよ!!」



「おおっ……」


よくわからないまま、とりあえず相槌だけは打つ。


 

「今まではね、僕のまわりにシノンくんみたいな“戦闘型光魔法”の使い手っていなかったんです。だから理論だけで止まってた部分も多かった。でも――今回は違う! いよいよ、実証実験の時です!」


リオは得意満面で手帳をパラパラめくり、びっしりと書き込まれた中身を突き出してくる。

 ――殴り書きだらけで、もはや何が書いてあるのか判別不能だった。


「というわけで――ここに、シノンくんのための光魔法の“効率的な練習法”をまとめました!!」


「……おぉー!」


なにがどう凄いのかはわからなかったが、とりあえず手を叩いておく。


ぱちぱち。


リオのテンションとは裏腹に乾いた音が広がっていく。



「僕、自分では魔法が使えないぶん、誰かに“教える”ことで満たされるタイプなんです!」


リオは真顔で力強く宣言した。


「さあ、逃しませんよ!? 最短で、最深で、最も楽しく! 光魔法を扱えるようにしてみせます!!」


「す、すごい気迫だな……」


(ていうか、朝から全力すぎないか)


シノンは思ったが、口には出さなかった。


「当然ですっ! 逸材を前にして冷静でいられる研究者なんて、逆に変人ですよ! 僕がどれだけこの瞬間を楽しみにして部屋に籠もってたか……!」


シノンは軽く息を吐き、肩をすくめる。


「……わかった。はじめよう、先生」


「よっしゃ来ましたーーーっ!!!」


リオは手帳を高く掲げたまま、なぜかその場で一回転してから、庭のど真ん中に堂々と立った。


(いや、何故回る――?)


シノンは、ぽかんとしたまま、ひと呼吸おいて――そっと一歩、彼の前へ踏み出した。




* * *




リオは手帳をパサッと閉じ、顔を上げると、少年のように瞳を輝かせた。

 

「魔法というのは、結局――アルカナに“特定の性質”を与えて、現象を起こす技術なんです!」


「現象を……起こす?」


リオは勢いよく手のひらを返し、くるくると舞うように動かしながら語る。


「体内の魔力を使って空気中の魔法の素――アルカナに命令を与えて、物理現象を起こしてもらうんです!」


言葉のリズムに乗せるように、リオの声はどんどん熱を帯びていく。


「現代の魔法理論だと、“属性”っていう分類で整理されてるんです。

たとえば――アルカナに

熱くなってもらうのが火属性、

冷たくなってもらうのが氷属性、

流動性を与えるのが水属性、

動きを与えるのが風属性、

磁力を操作してもらうのが土属性――そんな感じです!」


シノンはしばらくリオを見つめた後、ぽつりと口を開いた。


「……細かいことはよくわからんが――つまり、空気中にある魔法の素に、“こうなれ”って命令を伝えると魔法が発生するんだな?」

 

「そうですっ!!」


リオは満面の笑みで即答した。


 

「じゃあ……光魔法って? どういう特徴があるんだ?」


シノンの問いに、リオの顔がぱっと輝いた。


「いい質問です! シノンくん、光って、何でできてるか知ってますか?」



「……何で、って?」


「はい! あれ、全部――“電・磁・波”なんですよ!!」


リオは指を鳴らし、まるで講義の決め台詞のように得意げに言い放った。


「でもこの電磁波ってやつが、厄介なんですよ~! 人間が直接触れたり扱ったりできない領域――」


「……そういえば、光って、触れないもんな」


「そうなんです! 神の領域とでもいいますか!」


リオは手帳をぐっと握りしめた。


「他の属性と違って、光属性だけは、精霊に頼んで、アルカナを加工してもらうしかないんですよ!」


「光だけ複雑なんだな……?」


「そう。しかも、そのお願いも“特殊な言語”を使って詠唱しなくちゃいけない。普通はこれがめちゃくちゃ難しい!

――超難しい他言語を確実に使いこなさなきゃいけないようなものですから!」


シノンは少し眉をひそめた。


「……それは難しそうだ」


「普通は、ね。でも――」


リオは笑って、シノンの胸を軽く指差した。


「シノンくんは、詠唱がいらない。直接精霊にお願いできるんです!」


シノンは目を丸くした。


「他言語を覚える必要がないってことか?」


「そう!! だから、シノンくんの光魔法は、“ここを照らしてほしい”とか、“この場所を守ってほしい”とか――」


リオは手を広げながら、やわらかく続けた。


「そんな願いを、素直に、感覚で伝えるだけでいいんです!――多分。仮説ですが」


シノンは小さく息を吐いた。


(……意外と、難しくないかもしれない)


リオはにっこり笑って、拳をぎゅっと握る。


「だからこれからやるのは――感覚の精密化!」


「……?」


「感覚を、もっともっと磨いていく。それがシノンくんの光魔法の修行です!!」


リオの目には、完全に授業モードの熱が宿っていた。


「ちなみに――属性ごとに面白い応用もありますよ……」


――空気が変わった。


リオの眼鏡が光を反射し、嬉々としてまくし立てた。


「たとえば氷魔法! 温度の変化を使えば氷を出すだけじゃなくて霧を作り出すことも出来る!」


「……な、なるほど?」


「土属性なんかはもっとヤバいです! 磁力を操って、金属を引き寄せたり、武器を弾き飛ばしたりできる!」


リオは拳をぎゅっと握り、興奮を隠しきれない。


「お、おう?」


たじたじになりながら、シノンは一歩下がった。


「さらに! 磁力操作を応用して、筋繊維の動きをサポートしたり――耐久力を底上げしたり!」


ぐっと身を乗り出すリオ。


「そして! 上級者になれば……雷ですよ! 雷!! ゴロゴロバリバリです!!」


「……か、雷――?」


ぽつりと漏らしたシノンに、リオの目がキラッと光った。


(あ、やばい)


直感的に危険を察知したが、もう遅い。


「気になっちゃいましたか? いいですよ!? 説明します!!」


変なスイッチが入ったリオは狂気的な笑みを浮かべながら、半ば強引に捲し立てはじめる。


「雷はですね、“電荷差”が生むエネルギーなんです! 自分と対象に+と-を設定して、空気中に導電ルートを作って――そこに電子を流し込むと! でも空気は絶縁体だから、そのままじゃ通らない! だから! 湿度を調整したり、金属粉をばらまいたりして! 磁力でルートを作って!! そっから――バリバリドカーーーン!!」


最後の勢いで、リオは両手を突き上げた。


 

「…………」


ぽかんとした顔のまま、シノンがぽつり。


「……いや、全然わからんが」


リオはぴたりと固まり、わずかに顔を引きつらせた。


「……失礼しました」



ごほん、とわざとらしく咳払いをして、何事もなかったかのように態勢を立て直した。



「話を戻しますが――!」


リオはくいっと身を乗り出し、目を輝かせた。


「君は、感覚だけで精霊に願いを伝えられる。誰とも違う規格外の存在なんです!」


シノンくんは心底すごいんだ、とばかりにリオは強く言い放った。


「シノンくん。君は今、光という――一番理屈が難しくて一番ロマンのある魔法の本質を学ぼうとしている。……楽しくなってきたでしょ?」


そして真剣な目で、真っ直ぐシノンを見つめながら――


「君がこれを極めたら、きっと誰にも真似できない光魔法を使えるようになりますよ」


その言葉でシノンの目が見開かれる。


「……ああ。ちょっと、ワクワクしてきた」


それを聞いたリオは嬉しそうに手を打ち、目をキラキラさせながら続ける。


「もうね、こういう子を見ると教えたくてたまらなくなるんです……! そんなわけで、次は……実践あるのみですッ!」


リオの声には、もはや隠しきれない興奮が滲んでいた。


その勢いに、シノンも思わず笑ってしまう。


 

(本当にこの人……楽しそうだな)


 

だが、確かにその熱は――シノンの胸にも、静かに灯り始めていた。




* * *




「さて、いいですか、シノンくん。先ほども言いましたが……そもそも、“光属性”そのものが、めちゃくちゃ特殊な魔法なんです!」


リオは教えるのが嬉しくて仕方ないといった様子で、満面の笑みを浮かべながら胸を張った。


「他の属性と違って光の仕組み自体が、五感だけだととってもわかりにくい」


「……あぁ」


「なので、どこで、何が、どう作用してるかが、わからない!」


リオは勢いのままに指先で空中に円を描いた。表情はまるで劇団員のように誇張されていて、見ているこちらまで楽しくなるほどだった。


「でもね、精霊がいれば違うんです! 精霊ってのは、光を糧にしている生き物なんです! つまり人間の代わりに、光という現象を――ズバッと理解してくれる!」


「つまり……こちらのやりたいことを精霊が翻訳して伝えてくれてる?」


「そうです! そうなんです! 光エネルギーを生み出すには、精霊の“はい、代わりに加工しとくよー”っていう優しい協力が必要なんですよ!」


ドヤ顔で親指を立てるリオ。テンションは完全に子どもが好きな図鑑を読んで語っているときのそれだった。


そして、ふいに真顔に戻る。


「だから、まずは精霊を感じてもらうために、基礎中の基礎“照らす光”っていう技を、今から体感してもらいます!」


「照らす…光――?」


「シノンくんがこの間、スライムに放った魔法――あれ、おそらく可視光を高圧縮して放つ魔法です。今度は、その力を空気中に留めるんです」


「留める? どうやって?」


「“ここだよって場所を指し示して、精霊にアルカナを光らせてもらう”――ただそれだけ。でも、放出するよりも空間に固定する方が遥かに難しいはず!」


リオは嬉しそうに一歩前へ出ると、空中を指さした。


「しかしながら、特別なことは考えなくて大丈夫です。精霊にね、『ここを光らせたいんだ!』って、素直にお願いしてみてください!――普通は詠唱や魔道具を使って伝えるんですが、シノンくんの場合はそれを、“イメージ”だけで伝えてみてください!」


「イメージだけで……」


「はい! 気持ちで! でもなるべく具体的に!」


シノンは深くうなずいた。


「じゃあ、まずこのあたりを光らせてみましょう。“ここに灯りを”って、精霊にそっとお願いするつもりで」


「……やってみる」


シノンは目を閉じ、右手をゆっくりと掲げた。


朝の陽光とは違う、ほのかな光の粒が――シノンの指先に、そっと生まれはじめていた。

リオの期待とシノンの静かな興奮が、そこに重なる。

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