第十三話【リオ先生の魔法講習・後編】
シノンは静かに息を吸い、指先をそっと空中に掲げた。
(……ここに、光を……)
声には出さない。ただ、胸の内でそっと願う。
“照らす”のではない。ただ、“ここに在ってほしい”と想像する。
すると――
空気の粒が、ほんのり揺らいだ。
指先から、やわらかな光の粒がひとつ、ふたつと浮かび上がる。
朝靄のなかで、それはかすかな蛍火のように瞬きながら、ゆっくりと空中に灯っていった。
「うおおおおおっ!? すごい、すごいですシノンくん!! やっぱり仮説通りだ!! 無詠唱ですよ!? 無詠唱魔法!! これ、初めてですよね!? しかも、こんな素直に精霊が応えるなんて、ほんとにすごいっ!」
リオの声が裏返るほどの勢いで弾ける。手帳を放り出して、メガネを曇らせながら興奮して絶叫する。
「って――ちょっと待ってくださいよ。光らせろとは言ったけど……」
光の粒は、静かに回り始めた。
空中に、直径二十センチほどの淡い輪を描いている。
それは線ではなく、編まれた糸のような光。
ちりちりと優しく弾けながら、空間をなぞるように輪郭を保っていた。
「輪っかを出せ――なんて言ってませんよ!? せいぜいちょこーんと小さな明かりが灯ればいいかなーくらいにしか思ってなかったのに! 何をどうしたんですか! あぁ――もう、あとでいいのでちゃんと詳しく聞かせてくださいね!」
リオはもう夢中だった。光の輪のまわりをぐるぐると歩きながら、指を立ててまくし立てる。
「光は目に見えるけど、掴めない。だからね、“ここに、こうあってほしい”って、感覚をちゃんと精霊に伝えないと――こんな綺麗な輪にはならないんです! 輪を保ててるってことは、相当意志が通じてる証拠なんですよ、これ!」
シノンはその言葉を聞きながら、静かに輪を見つめた。
輪郭は、ほんの少しだけ揺れていた。
だが、それでも崩れずに、そこに在り続けている。
まるで小さな命のように、淡く、たしかに呼吸している――そんな錯覚すら覚えるほど、静かで確かな脈動だった。
「……これが、“照らす光”か」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥にひとつ、熱のような感覚が灯る。
「いやいや――正直出来過ぎなんですけどね! でもまあ、この光らせる、というのが光魔法の本当に最初の一歩です!」
リオは嬉しそうに、輪の上にそっと手をかざした。
「シノンくん……精霊が、こんなふうに応えるなんて。ねえ、普通、ありえないんですよ、こんなの。楽しくないですか? 感覚が世界と繋がってるって、実感できるでしょう?」
シノンは小さく笑った。
「……うん。なんだろうな。うまく説明できないけど、楽しい。知らないものに触れて、わかってくるのが……すごく、面白い」
「ですよね! それそれ! 魔法の醍醐味って、まさにそこなんですっ!」
リオの目は、まるで子どものように輝いていた。教えること、伝えること、そのすべてを心の底から楽しんでいるのが伝わってくる。
そしてシノンもまた、教わることに、応えることに、確かな楽しさを見出していた。
世界の理に触れる、その一歩を――確かに、今、踏み出している。
* * *
リオはぱちんと手を打ち、指先で空気を指さした。
「よし、それじゃあ……次のステップも、ちょっとだけ試してみましょうか! 《熱する力》――いわゆる“赤外線”の応用です!」
「赤外線……?」
「はいっ! 光って、実は目に見える部分だけじゃないんですよ。たとえば太陽。明るいだけじゃなくて、照らされてるとこ、あたたかいでしょう?」
シノンはうなずく。
「うん……確かに、そうだな」
「そのぬくもりを運んでるのが、“赤外線”ってやつです!」
「……見えないのに、扱えるのか? なかなか想像が出来ないな…」
「そう! そうなんです! 存在してるけど見えない。だからね、精霊にこの《熱する》って願いを伝えるのは、《照らす光》よりずっと難しいんですよ」
リオはメガネを指でくいっと引き上げ、そのまま
石畳の一点を指さした。
「でも、これだけ精霊と仲良しこよしなシノンくんなら、何かしら“手がかり”を掴めるかもしれない。試すだけ、試してみましょう!」
「……あたためる、か」
シノンは一度、小さく呼吸を整えると、指先を石畳の一角にそっとかざした。
“ここに、熱を与える。ゆっくりと、やわらかく、しみこむように――”
言葉にせず、静かに、精霊に願う。
一瞬――空気が、ふっと震えた気がした。
指先の奥に、何かが集まりかけたような……そんな錯覚。
だが。
それきりだった。
光は生まれない。空気の密度も変わらない。
先ほどのように粒が浮かぶ気配すらなく、ただ、わずかに冷たい風が通り抜けていくだけだった。
「……ダメですか」
ぽつりとつぶやく。
リオは一瞬、目を伏せた。ほんの少し、残念そうな色がその表情をよぎる。
けれど、すぐに顔を上げ、ぱっと明るく笑った。
「いや、でも――それでいいんです! むしろ、当然ですよ!」
声には、今までと変わらぬ熱がこもっていた。
「どんなにすごい力を持っていたとしても、いきなり全部使えるなんてことのほうが、おかしいんです!」
「……ああ」
シノンが小さくうなずくと、リオは満足そうに笑って続けた。
「《熱する》ってね、精霊にとってはすごく繊細なお願いなんです!」
リオは両手をぱっと広げ、熱を込めて続ける。
「あたたかくしてほしいって願っても、ちょっと強く意識しすぎると、“燃やす”とか“焦がす”って伝わっちゃうことがある。だから、精霊が戸惑うのは当たり前なんですよ」
「……つまり、伝え方が少し雑だった、ってことか」
「おそらく! 精霊はすごく敏感ですからね。言葉じゃなくて、イメージの正確さとか、温度感とか――要は目的が曖昧だと混乱しちゃうんじゃないでしょうか」
リオはしゃがみこみ、シノンが手をかざしていた石畳を撫でた。
「でも、拒否されたわけじゃない。今はまだ、精霊が“ん?”って首をかしげてる段階。この力をどういう目的で使いたいか、シノンくんの中にハッキリとした答えが出来たら必ず応えてくれる気がします」
シノンはふっと息を吐き、頷いた。
「……なるほど。ちょっとずつだな」
「だいたいね、さっきの時点でもシノンくんの光魔法はとんでもないですからね!」
リオは勢いのまま立ち上がり、両手をぶんぶん振ってみせた。
「でも……わかる気がしたよ。精霊たちが、なんかこう、こっちの意図を探ってる感じがした」
「おぉ! すごい!」
リオは指をびしっと立てる。
「言葉にできない領域を、感覚で理解していく――それが光魔法の核心です! シノンくん、もう片足は完全に踏み込んでますよ!」
シノンも思わず笑って、頷いた。
「……へえ。こんなに楽しいんだな。魔法って」
「でしょ!? 僕、今ちょっと泣きそうですよ!」
リオは手のひらで目頭を押さえるふりをしてから、にかっと笑った。
「今日はここまでにしておきましょう! 魔力の使いすぎにも気をつけないと!」
「……確かに、少し気だるいな。光の輪を作っただけなのに……」
木漏れ日のような光がまだ残る空気の中に、
淡く揺れる光輪がひとつだけ、そっと輝き続けていた。
「ふぅ――僕も、さすがにちょっと、燃え尽きたかも……はしゃぎすぎました」
リオのその言葉と同時に――
光輪は、ふっと――
静かに、消えた。
「……あ、今の僕のテンションの残火です」
* * *
「シノンくん、少し疲れたでしょう?」
縁側に腰を下ろしたリオが、息をつくように言った。だが、その顔色も、どこか青ざめているように見える。
「先生こそ、やけにぐったりしてるじゃないか」
「ふふ……そりゃあもう、教えるってエネルギー使いますから。僕、熱が入るとつい全力になっちゃうんですよね」
「先生、って感じだったな。すごかった。――でも、光の輪ひとつで、けっこうな消耗なんだな」
「ですね。光魔法は、魔力の消費がかなり激しいんです。精霊への“お願い”と、アルカナへの“加工命令”――二重に魔力を使いますから。
シノンくん、見たところ魔力量そのものは、そんなに多くないですしね」
「魔力にも、量の違いってあるんだな」
「ええ、魔力には“種族差”があります。シノンくんは平均的な人間族ですが、幻魔族なんかは総じて多い傾向があります、特に――パティちゃんは別格です」
リオは目を細め、静かに言った。
「本気で放出すれば、環境ごと変えてしまうほどの魔力量です。……あのスライムが異常だったのも、当然かもしれませんね」
シノンの脳裏に、禁足地の奥で見た“異常な巨大スライム”の姿がよぎる。
(あれ、パティの“魔力ゴミ”ってことだもんな……)
背筋に冷たいものが這った。そのとき、リオが指を立てて言った。
「ところで、魔法の仕組みを改めて整理していたら――“ぬるぬる様”の“幻覚”について、ちょっと引っかかることがあって」
「引っかかる?」
「ええ。“もしも”の話としてですが……今回のような、恐怖や不安を伴う幻覚。これを“闇魔法”の一種だと仮定した場合――少し妙なんです」
リオの表情から笑みが消える。空気が一瞬、ひやりと冷えたような錯覚が走った。
「闇魔法というのは、生物の“魔力”に干渉して発動するものです。つまり、対象に近づく必要がある。最低でも、“視界に入る距離”でなければ、魔法を発動できません。発動させた後は別ですが――」
「……見ずに呪う、みたいなことはできないってことか」
「そう。こういう魔法は、精密な干渉を要します。見えない相手に向かって撃つ“弾丸”じゃない。“呼吸を合わせて、精神に潜る”。そういう性質の魔法なんです」
「他に――幻覚を見せるような魔法はないのか?」
問いに、リオはしばし考えてから答えた。
「光魔法の中にも、“錯覚”を引き起こす魔法はあります。たとえば、光の屈折を利用して像をずらすような魔法ですね」
首を傾げながら続ける。
「ただ……今回の現象は、それとは性質が異なります。錯覚というより、もっと感情に直接訴えるような……不安や恐怖を揺さぶる、“精神干渉系”の印象が強い」
言葉を選ぶように、静かに続ける。
「そうした干渉が可能なのは、闇魔法くらいです。少なくとも、既知の体系では。
“魔法じゃない何か”という可能性もゼロではありませんが……今のところは非現実的ですね」
「じゃあ……」
「そう。“もし今回の現象が闇魔法だったとしたら”――敵は、“近く”にいたことになります。
それも、魔力干渉が可能な距離……つまり、“目に見える場所”に、いた可能性がある――ということなんです」
シノンは、息をのんだ。
――いた……? ずっと?
「……まさか。じゃあ……俺たちの目の届く場所に、ずっと……?」
「ええ――闇魔法の魔法士が、自分の存在を完全に隠しながら魔法を発動することは、ほぼ不可能です。」
リオは、ぽつりと静かに言った。
「つまり――僕たちはすでに敵を“見ている可能性”があるということです」
なんだ? 思い出せ。何を見ていた?
ここまで――ここまで出かかっているんだ。
たしかにずっと――何かがいた気がする。
「シノンくん……?」
リオの声が届くより先に、シノンは音もなく立ち上がっていた。
(ずっと――見えていた?)
それなのに、なぜ――いままで気づけなかった?
(……いるんだ。ここに)
気づいた瞬間、視界が狭まるような感覚があった。
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