第27話 白銀の狼に餞を

「加勢します!」

 槍を携えた礼花がこちらへ駆け寄ってきた。女学校の制服に長槍という取り合わせは奇妙に見えたが、今はそんなことを考えている暇はない。先ほどまであった張りつめた気配は消えている。何かつきものが落ちたかのよう。


(戦うつもりは最初からなかったからな)

 ここに自分たちが来たことに驚きはしつつも、足止め程度に止めていた。全力で戦うつもりならば、まずもって茂治がかけていた”山守”の加護を解くはずだからだ。

「まずはこの雨をやませることはできるか?」

 礼花が首を振り、赤い方の龍を指した。

「潮満足の力が作用しています。あちらを倒さない限り、雨はやみません」

「私が行く、お前が隙を見て倒せ」

「………?」

 なぜそんなキョトンとした表情をするのだろう。戦うと言うなら役割というものがある。しばらく礼花の表情をうかがっていると、礼花が槍をトントンと地面に打ち付けた。このご時世に槍を持ってくるのは、さすがは”山守”と言うべきか。

「わ、私が囮に!」

 そういうことか、と清霞は腑に落ちた。却下に決まっている。指を2本立てて礼花に見せる。

「お前は茂治さんの娘でまだ17だ」

 一つ、年齢と立場の違い。恩人の娘に危険なことはさせられないし、"山守"とはいえ軍人でもないただの女学生に課すべきことではない。


「山での戦いはお前の方に利がある」

 二つ、異能の違い。"山守"の山であるなら、礼花の方が都合がいい。ここまで調査を邪魔してきた彼女だ、ならば山が彼女に味方するに違いない。

「で、でも……」

「それでもだ」

「で、でも! 久堂様に危険な真似は……」

 それでもまだ引き下がろうとしない。聞かん坊なのは子どもの頃から変わらない、か。そうだ、この礼花はもともと仁花のような少女だった。自分から一本取れれば帝都に行き、自分を攫った犯人を捜そうとする程に。

(しかたあるまい、な)

 咳払いをし、礼花に向き合う。この手は本当は使いたくないが、このままいてはらちが明かない。

「少しばかり花を持たせてもらえないか? 私にも守るべきものができたのだと、お前だってわかるだろう?」

「……あからさまですね」

 冷めた表情だったが、ようやっと理解してもらえたようだ。まだ何か言いそうな表情をしているが、軽くにらんで黙らせる。

「久堂様、私は潜みます。合図とともに現れます」

「そうしてもらえると助かる」

 では、と礼花が頭を下げるとその姿を濃霧で覆って消えた。さすがは”山守”だ。気配を消すことも己の山では造作もない。


「……神代の怪異、か」

 とぐろを巻くその姿は、絵物語のそれと何ら変わりはない。打ち付ける雨のせいで視界が悪いが、結界のおかげで服や髪は濡れていない。戦い方は先ほどのそれで何となくつかめている。おおよそ角で雨を制御しているのだろう。龍が雨や風を起こす際、角の辺りで力の渦が起こっていたのが見えた。角を切り落とした後、四肢を切り取れば龍を倒せる。

(足場がないな)

 上空に逃げられては、こちらからできることは限られてくる。雷で顔や体の向きをある程度操作できるが、決定打にはならない。

(後門が消えたなら、ここで撤退するのも手だが)

 だが、美世を連れてあの龍から逃げきるのは至難の業だ。それに、神代の怪異が生き残っていることが上に知られればこの山はただでは済まないだろう。


 それこそ、500年前と同様大規模な掃討作戦が行われ、この山の自然は消え果るだろう。一度失われた自然は容易には元に戻らない、それに今の特務隊の実力ではこれを打倒できるとは思えず、またこれに割く時間も資源も足りない。

 どうすれば———。


『議を述べるな、構えよ』

 はっと、清霞が振り返るとそこに居たのは後門だった。先ほど、儀式とやらで礼花の影に溶け込んでいたはずなのに、白銀の狼がこちらを見ていた。

「な、ぜ……」

 ”門番”の言葉は”山守”にしか分からないはず、それなのにどうしてはっきりと聞こえるのだろう。そもそも、なぜ消えたはずなのにここにいる———。

 清霞が何から話せばよいのかためらっていると、後門がせわしなく尾を揺らした。

『足場をよこせと言ったのはそちらではないか。我ら”門番”の役目をここで果たそうぞ。いずれ”門”が耐え切れず自壊する前に、某が止めるとな』

 清霞の前に体を伏せた後門からは、つい先日対峙した時の荒れ狂う姿は見えなかった。むしろそれよりもっと昔、初めて会った時の———。

「……正気に戻ったのか?」

『議を述べるなと言ったのが聞こえなかったか?』

 小僧、と悪態をつかれ清霞は目を丸くした。あぁ、そうだった。後門は昔自分をそう呼んでいた。

 こみあげてきた懐かしさや慕わしさをぐっととどめ、清霞は後門の背に手を当てた。ふさふさとした毛並みは何一つ変わらない。

「私はもう小僧などという歳ではありません、殿

 ぷしゅん、と気の抜けた息を後門が吐いた。ひらりとまたがると、一気に後門が跳躍した。勢いで投げ出されそうになるのを、身を低くしてこらえる。


 ふわり、と一瞬だけ体の重さを感じなくなり下を向くと、龍の角が見えた。

『行け』

「はい」

 後門の背中に乗せていた手をずらし額の辺りで止め、体重を前にかける。

『先へ』

「言われずとも」

 たっと、足に力を込め跳躍する。人の力だけでは飛び上がれないその高さは、人によっては恐怖するだろう。けれど、今は進む場所が見えているから怖くはない。

『左様ならば』

 降りていく刹那、後門の声が聞こえた気がした。振り返りそうになった心を振り払い、龍の角に手をかけた。

「鎮まれ! 神代の残滓よ!」

 空を裂いて天の矢を龍に放つ。白い瞬きとともに轟音が山中にとどろいた。視界を白く塗りつぶしたから、槍を構えた礼花が飛び出してくると、槍をくるりと回し龍の眉間に槍を突き立てた。

 龍は反撃しようにも力の源である角を砕かれ、力が出せずそのまま湖に沈んでいった。そして、そのあとを追うようにもう一対の龍も力を失ったかのようにふらふらと水に沈んでいった。


 雨を呼んでいた龍が消えうせたため、洞窟は薄暗いそれに戻っていった。あれほどあった龍の気配が消えていく。高ぶっていた心がゆっくりと正常に戻っていった。とことこと槍を携えて礼花がやってくる。

「これで……終わり、か」

「そのよう、です、ね」

 何を言うか礼花が戸惑っていると、奥から美世が駆けだしてきた。

「旦那様! 礼花さん!」

 結界のおかげで服は濡れていないものの、縁遠い戦いを見せつけられたその表情は固かった。


「よかった……。お二人とも、無事で」

 ホロホロと泣き出した美世の頭を清霞が撫でようとして、変に止まった。礼花の視線に気づいたからだ。この表情には覚えがある。昔の、清霞の記憶にあったそのままのいたずら好きの顔だ。

「私の事はお構いなく」

「いや、その顔は茂治さんに言うつもりだろう」

「はて、何のことやら?」

「このっ……!」

「旦那様、お怪我は?」

「問題ない」

 そういって視線を逸らそうとして、深く息をついた。

「すまない。とんだ小旅行になってしまったな」

「そんなことありません。それに、礼花さんが”門番”にならなくてすんで……。

良かった、です」

 涙をぬぐってもう一度顔を上げるころには、安どの表情に戻っていた。

「戻ろう」

「はい」

 そういって美世が手を差し伸べたとき、ふと礼花の姿が消えていた。きょろきょろと辺りを見渡しても、あの学生服が見えない。

「礼花さんがまた攫われたのでは!」

「いや、大方先に連れ戻されたのだろう。ほら、迎えが来た」

 そういって清霞が指さした先には東風椿が旋回していた。ぐるぐると回っていた東風椿が高度を下げ、2人の前に飛んでくると、背をくるりと向けた。

「東風椿、お願いしますね」

 東風椿がほう、と短く鳴くとまた飛び上がり洞窟の先へと進みだした。背を追いながら、2人はゆっくりと歩き出した。

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