第28話 咲きたいところで咲くといい

「あ、セイカ君! 美世さんも、無事でよかった!」

 屋敷に戻ってきた二人を茂治が出迎えた。2人を送り届けた東風椿は、一仕事終わったと言わんばかりにすぐどこかへ飛び去って行った。

「あら……礼花さんは?」

「滝さんにお説教されているよ。礼花が終わったら次は俺の番だって、滝さん張り切っちゃってまぁ」

 あはは、と頬を掻いているが茂治の目元には涙の痕があった。

(茂治さまも心配していらしたのだわ)

 大変なことが起きたが、礼花は無事に戻ってこれた。ひとまずはこれで一件落着だ。時計を見れば昼を少し過ぎたころで、今から列車に乗ればあまり遅くならずに帝都に戻れるだろう。


「後門は消滅しました」

「……そのようだね」

 清霞の言葉に、低い声で茂治が答えた。

「”門番”も”門”も消えたら、あなた方”山守”の力も……」

「いいんだ。言ったろう、俺の代で終わらせるって」

「……私はまだ後門殿の問いかけに答えていない」

「?」

 そういえば、と美世は思い出した。かつて清霞はこの山に来たことがあるのだと言った。それならば、後門に会ったことがあってもおかしくはない。

 そうなんだ、と茂治が懐かしむような声を漏らした。

「”門番”の言葉を聞けるのは何も”山守”だけとは限らないんだ。後門殿が認めた人間なら言葉を聞くことができる」

「そうだったのですか!?」

「私はかつてこの山で後門に一つ問われた」

「問い、ですか?」

 その問いは訊いてもいいものだろうか。美世は後門が尋ねることは何だろうかと考えてみた。けれど、どれも綿のようにふわふわと浮いてしまってうまくまとまらない。

(旦那様が答えに詰まることなんてあるのかしら)

 とても優秀な彼に答えられないものがあるのだろうか。美世が1考えている間に100も200も答えそうな彼だ。そんな彼が答えられない問いがあるとするなら、美世には絶対答えられるわけがない。気になる。いや、気になってはいけないのだけれど……。

(そもそも、旦那様と後門様の関係って一体? いつから知っているのかしら?)

「美世、何か妙なことを考えていないか?」

「い、いえ!? なんでもありません……」

 美世がぐるぐると考えの沼にはまりそうになっていると、屋敷の方から礼花と滝がやってきた。自分がやったことの重さを改めて思い知ったのだろう、頬が濡れていて鼻や頬がリンゴのように赤くなっている。


 そして、とことこと三人の前にやってくるとぺこりと頭を下げた。さらりとした黒髪が肩からこぼれて風に揺れている。

「ご、ごめんなさい。ごめんなさいっ!!」

 は、は、ととぎれとぎれの吐息が聞こえてくる。泣きながら謝るその姿は、先ほど見せた勇敢な少女とは真逆。その姿は、美世がずっとやってきたそれと———。

「礼花っ! お前がやったことは———!」

 開口一番に清霞が声を荒げようとしたが、茂治が手で制した。急に止められて、目を丸くした清霞だったが茂治が静かに首を振ったことで落ち着きを取り戻した。

 清霞が視線をそらしたことを見届けると、茂治は改めて頭を下げている娘に向き合った。

「帝都に行くと言わなくなった理由は”門番”になるためだったのかい?」

 その問いかけに礼花は頭も声を上げずに、こくりとうなずいた。

「父さん達はそんなに信用できなかったのかい?」

 それには強く礼花は否定した。ぶるぶると犬のように頭を横に振った。それを見た茂治はぽん、と礼花の肩に手を置いた。その行動にびっくりして、礼花がはじかれたように顔を上げた。

「礼花、どうして勘解由の家に生まれた女の子が”花”の字もらうか知っているかい?」

「女の子の名前ではよくあるから?」

「違うんだよ。それもあるけれど、本質はそこじゃないんだ」

「?」

 礼花が首をかしげると、茂治はコホンと咳払いをした。そして、目を愛おしげに細めるとゆっくりと口を開いた。


「咲きたいところで咲きなさい、それが勘解由の家に伝わる言葉だよ」


 まぁ、男は茂って文字だけど、とわざと茶化すように茂治が言うとぷるぷると礼花が震えだした。半開きになった口を両手で押さえ、ぽろぽろと涙さえ流しだした。

「どうしたんだい、礼花?」

「後門様が……後門様がよくおっしゃってた、から……」

「後門殿が?」

 両手で口を抑えたまま、礼花が何度も何度も強くうなずいた。

「わ、私達が……咲き誇る様を、見届けたかったって。私には、もっとふさわしい、咲くところがあるって……」

 そういった礼花の言葉に美世はどこか既視感を覚えた。おぼろげな記憶ではあるけれど、自分が後門と初めて言葉を交わした時も、美世のことを花にたとえていた。

 初めは山の守り手から来ること馬鹿と思っていたけれど、人間の時の記憶がそうさせていたのだろう。

「だから、私……。私が”門番”になって、もっとふさわしい場所に、近づけたらって……。でも、本当は後門様ともっと一緒にいたかった」

「あぁ。父さんもそう思う」


「さめざめ泣いているところ悪いけれど、清霞に言うことがあってきたの」

 泣き出した夫と娘を横目につかつかと滝が清霞たちに視線を合わせた。

「今回の件、本当に迷惑をかけたわ。”山守”の妻として謝罪します」

 滝に頭を下げられ、清霞はちょっとだけ肩透かしを食らったかのような表情を浮かべた。

「なに? 私がこうするのがおかしい?」

「そうではない、が、あまりに不気味で———」

「勘の良さは親譲りね」

 清霞の言葉をさえぎり、滝は美世の方に顔を向けた。

「美世さんも本当に疲れたでしょう。もう帝都に戻るのかしら?」

「え、それは……」

「特段の事がなければ、すぐにでも荷をまとめて出ます。帝都でも気がかりなことがありますから」

「そう、なら少しだけ美世さんを貸してくれないかしら?」

「私を、ですか?」

「……」

「ちょっとした贈り物があるだけよ。あなた、礼花、落ち着いたら清霞の荷物の整理を手伝ってあげなさい」

 そう声をかけられても、落ち込んでいる二人が反応できるはずもなく。滝はそんな二人にため息をついて、それから歩き出した。

「贈り物って何ですか? 滝さん」

 廊下を歩いていきながら、美世は先に進んでいく滝に声をかけた。

「贈り物は贈り物。いいえ、あなたに渡すべきもの、と言った方が正しいかしら?」

 渡すべきもの、と言われ美世はますますわからなくなってしまった。そもそも、滝とは初対面なはずだ。だから、渡すべきものがあるとは到底思えない。

(滝さんから頂く物なんてあるのかしら。なんだか申し訳なくなってきてしまったわ)

 こんな広い屋敷の女主人だ。貴重なものだったり高価なものだったりしたら、それこそいたたまれない。


 どうぞ、と滝に通されたのはこじんまりとした和室だった。丸窓からは庭が見え、中にあるのは箪笥と鏡台、長持ちといかにも女主人の部屋といったところだろう。

「こちらに座ってちょうだい。すぐに出せるように整理していてよかったわ。あなたが来ると分かって、部屋中をひっくり返したんだから」

「え、ええ?」

 促されるまま座布団に腰かけてしまったが、本当に分からない。部屋をひっくり返すほどなら、ますますもらえない。

「あの、おかまいなく」

「いいからもらってちょうだい。これは、本来あなたが持っているべきものだから」

 そういって、滝は鏡台の下についている小さな引き出しからこれまた小さな箱を取り出した。箱は木でできていて、朱塗りがされていた。

 つるりと丁寧に磨かれた箱は使い込まれているようで小さな傷がついているものの、大切に扱われていることが一目で分かった。

「はいどうぞ」

 そう言われても、素直に手を差し出せない。何せその小箱は初めて見たのだから。記憶にあれば、手を出せただろうが何も分からない。

「そうよね。これを私が預かったのは、あなたがまだすみのお腹にいたころだもの。知らないはずだわ」

「え?」

 すみ、確かに滝はそういった。母の名だ。

「ど、どうして滝さんが母の名前を?」

 その問いに滝の顔が悲しげに揺らいだ。

「私とすみはね、女学校の頃の親友だったの。あの子がお嫁に行ってからはぱったり連絡が取れなくなったけど」

「そ、そうだったんですか……」

 母の親友がいたとは思わなかった。母はずっと孤独の中にいると思っていたから。家の中で所在なく立ちすくんでいる母の背はおぼろげに覚えている。

「でも、たった一度だけ。一度だけあの子の式が学校に来たことがあったの。すみが女学校を辞めさせられてお嫁に行った後の話よ」

「…………」

 嫁に行くために女学校を辞めさせられる話はよく聞いたことがある。母もそのような目に遭っていたとは思わなかったけれど。

「これはね、すみと私がお揃いで買ったものよ。友情の証ってやつよ」

「母の……」

 そうつぶやいて改めて木箱を見た。もうこの世にはいない、おぼろげな記憶の向こうに行ってしまった人の欠片が、遠く離れた場所に残っていた。それはどんなに不思議な出来事だろうか。

「受け取ってくれるわよね?」

「はい……」

 ようやく手を伸ばすことができた。両手で受け取ると、それは思ったよりもずいぶんと軽かった。

「中身を見ても?」

「当然よ。あなたに渡してほしいってことだもの」

「そう、ですよね」

 何を当然のことを、と顔に書いてある。愛想笑いを浮かべながら、美世は小さな木箱のふたを開けてみた。そこには、綿を布でくるんだものの上にちょこんと置かれたガラス製の小さな筒があった。筒は美世の小指よりもさらに小さく、指でつまんでみると、薄桃色の表面には流れるような白い模様が描かれていた。

 派手な装飾ではないものの、かわいらしい色合いの中に凛とした雰囲気を感じる。 

(これが……お母様の……)


「トンボ玉の……なんでしょう?」

「帯留めよ、知らない?」

「え……」

 帯留めといえば帯を縛る帯締めを飾る装飾品の一種だ。中が空洞になっているということは、帯締めに通して使う種類なのだろう。

「本当は直接渡したかったでしょうね。でも、あの子勘が鋭かったから、きっとこれはすぐに処分されると悟ったのでしょうね」

「母は、ほかには?」

 その言葉に滝は静かに首を横に振った。

「この小箱だけよ。受け取った時は驚いたけれど、そのあと色々調べてなんでこの小箱だけを真っ先に渡したのか分かったわ」

「…………」

「その顔、言わなくったって分かるって事よね。そうよ、この帯留めはそれほどあの子にとって大切なものだったって事よ」

 その先の言葉は言われなくても分かる。父は母を愛してなどいなかった。それどころか、母が亡くなった後はその存在を抹消するかのように動いていたほどだ。

 生きていた時でさえ、邪険に扱っていたのなら、こんな帯留め一つなんでもない顔をして捨ててしまうだろう。そんな父だった。


 帯留めはただの装飾品だ。余計な装飾品で、普段は使わない人の方が多いだろう。それに、トンボ玉なんて価値が分からない人から見れば余分なものでしかない。これが金塊や宝石なら、目の色を変える人もいただろう。ただのつまらないガラス玉にしか見えないかもしれない。

 でも、この小さなガラス玉に込められた思いは値千金。長い間の友情を守り抜きたいという願い、その願いを汲む誓い。押し入れの中にしまい込んでしまえば分からくなってもおかしくはない、小さな小さな木箱だ。それでも、今こうして目の前にあって、それを今自分は手にしている。

 遠い場所なのに、全くの偶然なのに、どこか必然のようにも思える。ただの小さな木箱なのに、そこに詰まっている物は何にも代えがたい。


 どんな言葉を返せば、その思いに応えられるだろうか。

「あの……」

 ぽつり、と美世は声を漏らした。そして、ゆっくりとかみしめるように言葉を選ぶ。あまり得意ではないけれど、これだけは言わなくてはいけない気がした。


「ありがとう、ございます。母の思いを守ってくださって」

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