第26話 何もかも、もう失いたくない
(”門”の力を持っても有効打にできないなんて、さすがはお父さんたちの結界だわ)
”道”をくぐる前に、茂治がかけたのだろう。”山守”が見逃す、というのだから山の全ては彼を見逃している。
こちらからは有効打は打ち出せないのに、じりじりとこちらを削ってくる。並の術士ならここまで行くこともなく、波にもまれているだろう。今更ながら、彼の持ち味である戦闘のセンスに舌を巻く。有り余るほどの異能なら、力任せに振り回せばよいものを、緩急をつけた術で翻弄してくる。
(これが……彼の、実力ね)
彼についての詳細な記憶は分からない。一番厄介な炎を封じたというのに、すぐに対応してこちらのすきを窺ってくる。このまま持久戦に持ち込まれたら、もしかしたら父が来るかもしれない。
(そうなったら、私に勝ち目は———)
礼花は焦りから声を張り上げる。
「後門様、今のうちに……早く!」
後門の額に手を当てて、礼花は深く息をついた。潮満足が足止めをしている間に、この儀式を完遂させなくては。次の500年がどんな世界になるか分からない。
”門”だっていつまであるか分からない。でも、足元に迫ってくる恐怖の方が勝る。
目を閉じれば、だんだんと自分の体の輪郭が溶けていくのを感じた。後門の体が霧に溶けるように薄くなっていくのも分かる。そうやって、自分と”門番”の境目が完全になくなった時、自分は新たな”門番”になる。
「何もかも、もう失いたくないの」
夢は諦めた、あこがれは本棚に閉じ込めた、想いは桐箱にしまい込んで自分は此処に居る。
「礼花! お前は帝都に行くんじゃないのか!」
「……?」
帝都、というのはこの国の中心の事だ。そんな所になぜ行く必要があるんだろう、と礼花は思った。この山でいいじゃないか。
「帝都に行って、お前は特務隊に入りたいと言っていたじゃないか!」
「……………」
何の話をこの青年はしているのだろう、と思った。礼花、と何度も自分を呼んでいる。おそらく自分の名前で、それを呼びかけて自分のしようとしていることを止めたいのだろう。
(私はもう、失いたくない)
失わないために、自分という存在全てをこの山に捧げよう。だから、もう自分を呼ばないで———。
「礼花さん」
「っ!!???」
閉じた目を見開いた。なぜなら、すぐ近くで聞こえるはずのない声だったから。ひきつった顔で振り返ると、悲しげな眼をした娘がこちらを見ていたからだ。
「……美世、さん?」
思い出せないはずなのに、なぜこの人の名前はすぐに出てきたのだろう。彼女の周りに飛んでいる黒い蝶がかばっているように見えた。その蝶を見た途端、自分の中に溶けていく”誰か”が反応した。
「礼花さん、お願いですから、考え直してください」
「……」
手を差し伸べてくる。怖いだろうに、この暴風雨では苦しいだろうに、それでもこちらに手を伸ばしている。その手の先に蝶が止まる。
どうしてこの場所まで来れた、なんて思わない。なぜなら、黒い蝶があの人を導いたから。あの蝶は……あの蝶は!
「
うろたえているのはきっと先代の”門番”の記憶だろう。でも、なぜだろう交じり合っているからか自分も同じように泣きたくなってきた。もう二度と会えない、触れられないと思っていた愛しい存在が目の前に現れた。
「あ……あ……」
「礼花さん。お願いです」
「私……は。失いたくない」
「私も、礼花さんを失いたくありません」
それに、と悲しげな笑顔をした美世が言葉をつづけた。美世から見れば、己の姿など見るに堪えないものだろうに、なお”礼花”と呼んでくれた。
「だって、まだ礼花さんに焼リンゴの作り方を教わってませんから」
「!!?」
その言葉に礼花ははっきりと目を開けた。そうだった、あの時自分の中にあったかすかな罪悪感が消えたのを感じたのだ。あの人と分かり合える、歩み寄れるという確かな希望を抱いた。そう、私はあの人に拒絶されるのが恐ろしかった。弱々しい魂の色をしているのに、なぜ恐れたのだろう。でも、それより、どうして。
——— どうして忘れていたんだろう。
「私は私のまま……みんなを守っていいの?」
そうつぶやく言葉は、歳相応に聞こえた。夢から覚めた途端、美世の目の前にいたのは白く輝く礼花の姿だった。先日見た夢と同じように、後門の影と溶け合っているようにも見え、ぱっと見は薄手の衣を頭から被っているよう。
「はい、戻って来てください」
「……」
「私は……失いたくない、私達はもう失いたくない」
その言葉に美世は強くうなずいた。
「私も、あなた達を失いたくありません」
その言葉のなんと強いことだろう。この人は弱い光しかもっていなかったのに、いつの間にこんなに強い光を持っていたのだろう、と礼花は思ったがすぐに訂正した。
これこそが、彼女の本来の光なのだ。
「あ……ぁ」
ぽつり、ぽつり、と目から暖かいものが流れていく。冷えていくばかりだった体に熱がともるように、止まりかかった風車がまた回るように、じんわりと伝っていく。
衣のような光がはらり、と地に落ちた。そこから現れた礼花の顔は涙にぬれていた。その顔は戸惑っているようだったが、次第に瞳の色がはっきりとしてきた。美世が差し伸べた手をしっかりと握り返し、礼花はゆっくりと立ち上がった。
「もう一度、あこがれていいの? 私の夢、また持っていいの?」
あぁ、やっぱりだ……美世はそう思った。戸惑う礼花の頭を静かに撫でた。
「怪異に襲われる人を助けたい」
「ご立派です」
「都会の素敵な服、妹たちに着させてあげたい」
「それは素敵なことですね」
「料理だって……お父さんに、カステラやビーフシチュー食べてもらいたいの」
「それは……優しいですね」
「私、まだやりたいこと……あったんだ」
書面をたどるような声だけど、少しずつ礼花のまとう雰囲気が柔らかくなっていく。
「はい。ですから、あの龍を鎮めてもらってもいいですか?」
「……はい、はい!」
ごしごしと顔をこするときには、もう光は消えていて”儀式”は中断したのだろう。礼花が手を伸ばし、何かつぶやいた。しかし、すぐにその顔が引きつっていく。
「どうしたの?」
「塩満足、潮干乾に……私の声が、届かない?」
「そんな……」
「久堂様が危険ですっ!! 私も行きます!」
そういって礼花が駆けだすと、黒い蝶も一緒に飛び出していく。バシャバシャと水を踏み鳴らすたびに、 黒い蝶の纏う青い光も強さを増していく。小さな火の玉のようなそれは長く伸び、槍へと姿を変じた。
黒塗りの軸に、細長い穂先。穂先はまっすぐの両刃だが、その途中から一回り小さくした同じ刃が右側に突き刺さっている。反対側にある石突の代わりに、こちらにも両刃がついていた。
(これを持ってきてくれたのね……私の槍)
いつも鍛錬に使っていたこの槍があれば、きっと倒せる。
「下野国が”山守”! 勘解由礼花、いざ尋常に参ります!」
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