第21話 寄っては離れて 

「礼花っ!?」

 バタバタと数寄屋に駆け込んできたのは滝だった。滝は倒れていた美世を支えると、自分の胸に手を当てて深く息をついた。その表情はこわばっていて、まさかこんな展開になるとは思っていなかったと言わんばかりだ。

(まずは、謝罪しなければ……)


「滝さん、申し訳あ———」

「謝るのは後! むしろ、うちの子達の我がままに付き合ってもらっているのだから、こちらが謝る方です!」

 きっぱりと真っ向から否定されているのに、おそれはなかった。今までなら、少しでも美世をとがめる言葉が聞こえていたら、耳をふさぎたくなっていたのに。

 目を白黒させている美世に気が付くと、滝は声を潜めた。こわばった表情をいくらか和らげている。

「何があったか、話してちょうだい。少しずつ、覚えていることを羅列するだけで大丈夫よ」

 その声色は”母親”そのもの。美世にとっての母親の記憶は遠いものになっているけれど、その声を聴くとほっと一息つくことができた。


「礼花さんが……狼に、攫われて……」

 一瞬の出来事だ。目でとらえられたのはその一瞬で、もし夢で見ていなければただの獣害事件としか思わなかったろう。

「狼……もしかしなくても、後門様で間違いないわよね?」

 その問いかけに、美世はしっかりとうなずいた。取り繕うことではないし、ただ一人の目撃者なら、分かる情報は全て伝えなければ。


「あの掛け軸の中から飛び出して……そして、消えてしまわれました」

「そうみたいね。結界の綻びが見える。後門様なら、”山守”の結界を突き破ることなど造作もないことだわ」

 掛け軸の方へと歩いていった滝は中指と人差し指をそろえ、口元にやる。何をしているのだろうと美世が思っていると、滝が何やらつぶやいた。

「美世、悪いけれどうちの人と清霞を呼んできてくれる? おそらく、これを通って後門様の領域に行くことになるから、そのように伝えてちょうだい」

「は、はい!」

 そう言われ、美世は立ち上がった。

(あれ、でもどうやって二人を探せば?)

 調査に言った二人を追うのは難しい。町中ならまだしも、人気のない山奥だ。それに、山には異形もいる。そう考えたところで、美世の勢いがしゅるしゅると静まっていく。落ち込みそうになった美世に、滝がくすっと笑みを向けた。

「探しに行くのに私の式を貸しましょう。おいで、白紋はくもん

 そう言ってた気が袖元から呼び出したのは、白い羽に黒色の縁取りがされた蝶だった。この蝶は見たことがある。畑によく遊びに来ていた蝶で、春先にしか見たことはないが式だから関係ないのだろう。


「モンシロチョウ、ですか?」

「ええ。蝶の方が美世はいいでしょう?」

「え、えぇっと……」

「無理しなくていいわ」

 前回美世が滝の蛇を見て悲鳴を上げたのを知っているので、蝶にしたのだろう。大きさは美世の手のひらに収まる程度で、ひらひらと美世の周りを飛び回った。

「本来なら、異能の力がまだ弱いあなたを巻き込むことはしたくなかったけれど、こんなことになって御免なさいね」

「いえ! そんなことはありません」

 たった数日間だけれど、滝を含め勘解由家の人々にはよくしてもらった。何より、この山の紅葉の美しさに心を洗われた。あの木々がはらはらと落ち、雪景色になればどうなるだろう。そして春になり、新芽が出てくるころはまた違った趣になるだろう。

「私はこの山の事が好きになりましたから」

「……ありがとう」

 その感謝の言葉には様々な感情が乗っているように思えたが、話を続けている場合じゃない。美世は深く頭を下げると踵を返し、蝶を追うように走り出した。美世を送り出した後、滝は深く息をついた。

「…………私が心配することはなかったわね。そうよね、あんたの娘だもの」

 すみ、とつづけた言葉は誰にも聞かれることはなかった。


「旦那様! 茂治様!」

 蝶の後を追っていくと、門の先で話しながら登ってくる二人を見つけた。朝の探索から戻ってきたころ合いらしい。

「美世? どうした、そんなに慌てて……それは、滝さんの式だな?」

「本当だね。蛇やトカゲじゃないな」

 目を丸くした清霞は、美世の周りを飛んでいた蝶を手に止まらせた。それを隣にいた茂治に手渡す。

「珍しいな、滝さんが蝶の式を使うなんて。よっぽど前回美世さんを怖がらせちゃったのを気にしてるみたいだね」

 のんきに言われたものなので、美世は申し訳ないやら、今はそれどころじゃないと言いたいやらで言葉を飲み込んだ。

「なっ!? 礼花が!!」

 式をじっくり見ていた茂治が急に大声を張り上げた。

「礼花がどうしたんです?」

「後門殿が……礼花を……またかっ!!」

 悔しそうに拳を握りしめ、歯を食いしばるその姿は鬼気迫るものがあり、美世は思わず後ずさりした。

!」

「そ、それは違います!」

 美世の声にはっとした茂治は、気まずそうに眼をそむけた。そして、美世の方に軽く頭を下げ、右手で目を覆った。

「茂治さん、今は過去をほじくり返している暇はありません。礼花が”門番”を継承しようとしている、それは阻止しなければならないはずです」

「そうだね、そうだよ。セイカ君の言うとおりだ……情けない。俺はまた間違う所だった」

「美世、これから先は荒事になる。お前は滝さんの所に戻り、ほかの二人とともに残っていろ」

「わかりました」

 こくり、とうなずき屋敷の方へと美世が歩いていく。そして、そのあとを二人が追った。三人が屋敷の中へ入ると、ざぁざぁときぎがざわめいて大きく揺れ始めた。

 そして、揺れが収まった後、そこには何も残っていなかった。”山守”の結界の力であった。

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