第22話 道行、共鳴、鼓動。

 礼花が目を開けると、そこは見たことのない場所だった。否、正確に言えば知っている場所の知らない一部分、と言ったところだ。例えるなら、いつもの道を一本それた場所だろうか。

 見知った場所ではあるけれど、知らない場所でもある。視界は洞窟の中のように暗いが、上を見上げると遠くに青空が見える。


「……”門番”の領域ですね」

『そうだとも。ここから先に立ち入れるのは、異能者の中でもごく限られたものだけだ。”山守”は子どものころからここに立ち入ってはいけないと云われて育ったな』

 ”言われて育つ”ではなく、”言われて育った”と少しだけ自分の事のように話すのは、後門の過去が関係しているのだろう。

 

 ——— 後門様は人に対しての強い憎悪がある。


 それを忘れ去ることで”門番”として生きながらえている。ある意味、禊の様な解脱の様な物なのだろう。だから、5年前に引きずり出された憎悪のせいで”門番”の資格を失った。正確には”門番”としてこの地に存在することを彼自身が望まなくなったのだ。当然だと思う。

 人間は彼の”家族”を奪った。それでもなお”門番”としてこの地を守れ、と命じられていたのだから。忘れていたからその役目に疑問を抱かなかったのだ。思い出してしまえば、これほど屈辱的なこともないだろう。

 だから、自分がその役目を引き継ぐのだ。自分が引き受けさえすれば、彼は彼自身の憎悪に身を焼かれなくて済むのだから。

(仁花や智花にさせられない。この山は私が守るから。だから———)

 私の代わりに、自由に生きてほしい。

 職業婦人になってもいい、仁花の明るさならバスガイドもいいし、百貨店に勤めるのもいい。あの人当たりの良さと大胆さは、客商売にもってこいだ。

 智花はまだやりたいことは見つからないだろうが、古書店の店員でも何かの研究員になってもいいだろう。一緒に勉強をして、難問を解けたときの顔はとてもよいものだった。自分が集めてきたたくさんの書籍は彼女たちの役に立つはずだ。


 礼花は女学校の制服の袖を強くつかんだ。洞窟の中なのもあるだろうが、とても冷える。秋口の涼しさよりも、真冬の刺すような寒さを感じる。一歩一歩進めていくたびに肺が凍りそうなほどに。

 前を進んでいく後門の後を追っていく。洞窟の奥に何があるのか、想像すらつかない。けれど、不思議と恐れはなかった。ゆるゆると眠りに落ちていく、そんな感じすらあった。

『礼花、あの久堂という男はやはり侮れんな。おまえが式の解呪をしなければ、早々に某の居場所など暴かれたろう』

「そうですね。久堂様は式の扱いにもたけていらっしゃいます。南風楓で本体を砕き、追跡できないように解呪しなければ……。特務隊の隊長の名は伊達ではないのでしょう」

『……お前を探しに奔走していると、皆が言っているぞ』

「ええ、ですから。東風椿、南風楓に頼んで足止めをしてもらっています。他のみんなにも協力して、”道”を隠してもらっています」

『あぁ、その方がいい。某ではもう、”道”を十分に閉ざせることができなんだ』

「いえ、後門様にはこれからの儀式の方に力を注いでいただきたいので、これくらいお安い御用です」

 正直、彼らには悪いことをしたと思っている。特務隊の隊長ともなれば、体が空く暇などないはずだ。それなのに、4日も足止めをして結局”門番”を討伐できなかった、という結末になるのだから。

 まだ、慰安旅行という形であればいくらかましだったろう。そうであれば、あの婚約者とも別の関わりができただろう。


(まだ話したかったけれど、私は香耶の友達だったから)

 彼女のたどってきた境遇を想えば”最良”とは言い難い。その原因が自分の友人であることがなんとも後味が悪い。彼女は気にしないと言ってくれたが、その目は穏やかとはどうしても思えない。香耶からの手紙など、見たくもなかったろうに。

(恨みごとの一つでも言ってくれれば、幾分か気が楽だったのに)

 でも、もういいか。礼花は一歩、また一歩と山の最奥へと足を進めていく。そのたびに、自分の体からはらはらと何かが剥がれ落ちていくような気がする。まるで桜の花びらが散るように、洞窟の湿った足場に落ちていく。 


 と、不意に後門が足を止めた。ふと足元を見ると、明らかに足元の雰囲気が変わっていた。水だ。かすかにさざめいて岸を濡らしている。顔を上げると、子どもの頃によく遊んだ池と似た光景が広がっていた。

 池の中央にあるしめ縄の巻かれた岩があることは同じなのに、周りにあるのはごつごつとした岩場だった。それらの所々が赤く輝き、まるで紅葉しているようだった。

『礼花、これより”門番”の継承を行う』

「承知しました」

『本来ならば、お前には咲くにふさわしい場所があったろうに』

「構いません」

『今更議を述べても詮無きことか。お前に託そう』

 そう、静かに告げられても、礼花は何も感じなかった。なぜなら、自分が次の”門番”になることは当然のことだから。

「はい、長らくのお役目。よくお勤めくださいました、次の五百年は私が———」

 預かります。そう言いかけた言葉は後門の毛皮に阻まれた。何が起こったのか、それはすぐに分かった。

「礼花っ!」

 稲光の轟音をとどろかせ、怒気のはらんだ声が耳に届いたからだ。ぱっと声のした方へと首を傾けると、白皙の青年がそこに立っていたからだ。


「礼花さん、その先に行ってはいけません!」

 男だけじゃない、女もいる。あれだけ”道”を閉ざしていたというのに、まるで自分を呼び戻しに来たようだった。でも、。それに、


「礼花さん?」

 どちら様、と問う前に自分は気が付いた。あれは自分が”門番”になるのを阻みに来た”敵”なのだと。目を閉じ、驚きで跳ねた心を鎮めゆっくりと開いて敵に向き合う。そうだ、ここは”門番”の地。何人たりとも立ち入れぬ、神域でもある。ならば、自分がするべきことは———。

 手を挙げ、この地に鎮まるものたちを呼び出す。後門が守っている”神”とも呼ぶべき存在。”門”そのものでもあるその存在を。


潮満足しおみつたる潮干乾しおひふる——— おいで」

 緋色と紺碧の竜が水柱を立たせながら水面から姿を現した。

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