第11話 炯眼は憎悪に満ちて
低くうなる声は、まさに”門番”にふさわしい。だが、これで探し回る手間が省けるというものだ。
(さすがは”門番”。対峙したのは初めてだが、ただの獣ではないな)
「アォオオオオオオオン!!」
威嚇するように今度は高く吠えたてる。オオカミは野犬を一回り大きくした程度という知識しかなかったので、目の前にいる後門の大きさに目を見張る。馬と同じくらいの大きさはあるだろう。
子どもであれば背に乗って移動することもできるだろう。それほどまでに巨大な犬は聞いた事はない。まさに”門番”の名にふさわしい、と思った。
美しく、そして、威厳に満ちたその姿。何もなければ、見とれていただろう―――人を害する物でないと知らなければ。
懐から短刀を取り出し、逆手に構えながら茂治が声を張り上げた。
「後門殿! 私です、勘解由茂治ですっ!」
「ウォオオオオンっ!」
「下がってください!」
そういって、腰の軍刀を引き抜き清霞が後門に肉薄した。横薙ぎは軽くかわされ、距離を離された。しかし、急には襲ってこない。体勢を低く保ち、こちらの動きを待っているかのようだった。
(茂治さんには結界を張って……隙を見て、仕留めよう)
”山守”の術式はどちらかと言えば防御を主軸としている。”山守”は己の山を管理するのが第一であって、異形と戦う術はほとんど持ち合わせていない。
唸り声を上げてこちらの様子をうかがっている姿からは、到底自我を失っているようには見えない。しかし、取り巻いている力の流れはとても強く、そして速い。確かに、自分が出ていかねばならない案件なのがひしひしと伝わってきた。
(”門番”はただの獣ではない。だが、実態がある以上、異形とも違う……!)
「
戦術を練ろうと身をかがめた清霞の頭上を突風が吹き荒んだ。突風は二つで、それぞれ後門の左右をすれすれに穿って上空へと逃げた。
後ろを振り返ると、茂治の左右に新たな影が降り立った。御門が陸の獣ならば、左右のそれは空の獣。二羽の大鷲が翼を広げ、茂治の術式のおかげだろうかわずかに光り輝いている。
「援護する! セイカ君は好きに暴れてくれ! なに、ここはおれの”山”だからな!」
「それを聞いて安心した!」
軍刀を構えなおし、距離を詰めた。するりと躱されたその刹那に、炎の柱を立てて閉じ込める。
「いかに”門番”とて、獣であることには変わるまい!」
しかし、その炎の柱はあっけなく消し飛んだ。御門が遠吠えをした途端、内側からはじけ飛ぶように風が舞う。
「”門番”に術式を使った攻撃は効かない! それこそ、心を操るでもしない限り!」
「っ!!」
心を操る、その術式を行使できる一族は1つしかない。そして、その萌芽を抱えたものは———。
(そのために、美世を……?)
「セイカ君!」
一瞬途切れかけた思考を茂治が呼び覚ます。とっさに感じた殺意を感じ、半身を引いたところに、鋭い爪が切り込まれた。あと半歩気を抜いていれば致命傷は避けられなかった。茂治が駆け寄り、西風たちを使いまた距離を離す。後門から目をそらさず、大声で張り上げる姿はかつての軍人時代をほうふつとさせた。
「言ったろう! ”門番”の討伐にはそれこそ一個中隊が必要になると!」
「そんな余裕、今の帝都にはないっ!!」
「知ってるさ、そんなこと!」
短刀を地面に突き刺し、手で印を結ぶ。すると、地面から無数の蔓が伸びたかと思えば縄のように束なって錐のような形を形成する。それを後門に向かって放った。
「纏え、テイカカズラ!」
とっさのことで反応が遅れた御門の左前脚を貫いた。よろめいた瞬間を見逃さないように、清霞は後門の喉笛に切っ先を向けて振り下ろす。赤い血があたりに飛び散り、軍刀が赤に濡れて月に照らされた。
(浅いっ!)
異形相手とは違う感覚だが、それでも感触で分かることはある。よろめいた瞬間に清霞の気配を察知したのか、わずかに身をひねったのだろう。
(”門番”と呼ばれるのもうなずける。獣ではなく、人と対峙しているようだ)
「アァオオオオオオオン!!!」
傷ついた喉でも構わずに吠えたてる。赦さない、と訴えかけるような鳴き声だった。猛る慟哭のせいで、じわじわと白い毛並みが赤く染まった。
タシ、タシと地面を数回ひっかいた後、急に後門が身を伏せた。何か来る、と思い身構えていると、跳躍した。ざかざかと夜の森をかける音が暗闇から聞こえてくる。
「行け!」
撤退するなら好都合だ。清霞が式を音のしてくる方へとはなった。同じく、西風と北風もそれに続いた。上手くねぐらが特定できればいいが、相手はあの”門番”だ。しかし、一度その姿を捉えてしまえば次の手も考えられる。
(しかし……あの威圧感。気を強く持たねば容易に持っていかれる)
経験の浅い隊員であれば、あの一吠えで恐怖に支配されるだろう。軍刀を杖のように地面に突き刺し、思考を落ち着かせるために一度瞑目する。
「セイカ君、けがはない?」
「……美世を同行させた理由。”あの方”の命以外にもあるとみていいですか?」
顔を上げずに問いかけた。先ほどとは違った風が吹く中、茂治はしばらく沈黙していた。
手拭いを持った茂治の手が止まった。
「あなたは先ほど、心を操るでもしない限りはと言った。異能者の家では有名な話だ……。人心を操る異能を持つ家は1つしかない―――薄刃家」
「そうだね。そんな恐ろしい一族は会いたくないものだね。でも、薄刃の情報なんてそう出回らない。俺は単に異能者の暴走を防ぐための一種の作り話だと思って———」
「いつから?」
「?」
話を無理に終わらせる。この人はわざと明言を避けている。けれど、顔をもたげた疑念を払拭せずにこの任務にあたることはできなくなってしまった。
考えたくはない。この人には恩がある。この数日も、とてもよくしてもらった。そうでなくても、自分が軍に入るまでの数年間、弱体化してしまった軍の再編にどれだけ貢献してくれたか。
(だからこそ……。俺は、この人に疑念をぶつけずにいられない)
「いつからですか?」
「…………話が見えないな」
ゆっくりと軍刀から頭を離し、茂治に向き合う。いつもの”父親”の穏やかな表情から”元軍人”の顔へと変わっていた。優しさを冷酷さで塗りつぶした男は、眉一つ動かさずに腕を組んで、こちらを見ている。
「美世が薄刃の血をひいていることをいつからご存じだったんですか?」
美世の異能はまだ萌芽の兆しを見せているだけだ。例えるなら、くっついたままの地面に顔を出した双葉だ。異能者であればだれもが持つ力さえ持たない美世を異能者だと断ずることは難しいだろう。
「”あの方”からの情報ですか? それとも軍の? それとも———」
「いいや。いいや、違うよ、セイカ君」
ザァアアアア、と周囲の木々が風もないのにざわめき始める。それに合わせて茂治の短い髪も強く揺れだした。まとった羽織もバタバタと音を立てた。
「彼らが……。この山全ての木々が美世さんを”薄刃の巫女”だと言って騒いでいるんだ。山は嘘をつかない。俺はね、最後の”山守”として美世さんに頼みたいんだ」
「…………」
「あぁ、その顔はもうわかったって顔だね……。そうだよ」
——— 美世さんに後門殿を殺させたいんだ。
「そんなこと、させられるわけがないだろう!」
「セイカ君の言うことも分かるよ。俺だって人の親だ。若い子にこんなことをさせるなんてできない。でも、”薄刃の巫女”なら話は別だ」
「美世の異能はまだ不完全だ。異能を使えばどうなるか……」
情報を渡すわけにはいかない。茂治はどこまで知っているのだろうか。山の木々が茂治に伝えたとなれば、こちらから知るすべはない。
「だけれどね。俺は後門殿には役目を終えてほしいと願っている。”山守”が”門番”に干渉することはできない。だが”薄刃の巫女”なら”門番”を殺すことはできる」
「…………」
「知っての通り、”門番”はただの獣じゃない。実際に対峙した君は知っているだろう。あれには知性があり、感情があり、記憶がある。記録じゃない、記憶だ。情動、信念と言ってもいいだろう」
「…………それを破壊しろ、という事か。巫女の持つ”夢見”の異能で」
100年前であれば、そのようなことを考える者はいなかったろう。
「俺達が山に引っ込んだのも、それが理由さ。この時を待っていた、薄刃の者がこの山を訪れるのを」
「それは……。第一、”門番”がいなければ”門”を誰が守るというんだ」
「言ったろう。俺の代で”山守”を終わらせる。俺は人の親だから、娘たちには自由に生きてほしいんだ。こんな何もない山に縛られて、一生を過ごさせるようなことはさせたくない」
「独りよがりだ……。娘たちに聞いたのか?」
大きな矛盾だ。娘たちには帝都に行く条件として無理難題を押し付けておいて、その口で”自由に生きてほしい”など、到底理解できない。
「仁花が帝都に行きたい理由は知っている。だから、認められない。自由は認める、だけれど帝都に行くことだけは看過できない」
「理由?」
「それは———」
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