第12話 黄金の海と東風椿
その日の朝早く、身軽な恰好をした仁花と智花がやってきた。ひょこっと障子から顔を出した姿がかわいらしく、思わず吹き出してしまう。庭先にやってきた雀の子のように見え、まだ丸みを帯びた頬の雰囲気もそれらしい。
「美世さん、稲刈り初めてなんだ。鎌の使い方は大丈夫?」
美世は動きやすいように、振袖から小紋に着替えてたすき掛けをした。鎌は庭の雑草を抜くときに使ったことはある。けれど、稲刈りは初めてだ。
斎森の家には畑はあっても田はなかった。畑仕事で作ったのは野菜が中心で、手際の悪い自分はよく狩らしていたっけ。
「ええ。わくわくします!」
「美世」
「旦那様?」
先ほどから書き物をしていた清霞が振り返って美世を見た。昨晩からなんだか様子がおかしい。元々無口な性格だが、それに輪をかけて不機嫌さが加わった気がする。元々不愛想な面もあるので、いつもの通りと言われればそうかもしれない。
(でも、なんだか……)
言葉では言い表せない不自然さを感じた。
「なぜお前が見知らぬ家の野良仕事に行かねばならんのだ」
「でも、仁花ちゃんたちにはお世話になってますし……」
「お前が世話をしている方だろう。仁花、美世に妙なことばかり吹き込むのはよせ」
仁花と智花がわざとらしく視線をそらした。この山鳥が、と悪態をついたのを美世は聞こえないふりをした。
「田んぼを見たことないって美世さんが言ってたから、見せたいの」
「そうだぞ。帝都は確かに物が多く素晴らしいことは知っているが、そればかりではいかん。それすら分からん朴念仁とは思わなかったぞ、久堂清霞」
「美世さんにも息抜きが必要だと思います」
「智花の言うとおりだぞ、いつも家事に追われているのであればこの時ばかりは息抜きしてもらうのもいいことだと、うちは思う」
「あの……。私は別に……」
「お前達、はぐらかすのもいい加減に……!」
「私からも……。いつも食べているお米の本来の姿を見たくて……。二人にお願いしたんです」
美世に言われてしまい、清霞の上がりかけた苛立ちが下がっていく。甘いなぁ、と子どもたちの茶々が入ったが、挑発に乗る気が失せたようだ。
「私も同行する」
「わー……あからさま」
「そこまでしなくてもいいのではないか? 見損なうことはないが、さすがのうちも引くぞ。”山守”の客なら、誰もが丁重に扱うぞ」
「うるさいっ!」
大声を張り上げたものだから、子どもたちも目を白黒させて小さく悲鳴を上げた。
「それなら、私の
すぃと、部屋の中に一羽の黒い鳥が飛び込んできた。とっさに仁花が腕を差し出すとそこに止まった。初めはカラスかと思ったが、それにしては色が薄く、そして頭の上には耳の様な羽が生えていた。
「礼花、お前もいくのか?」
ふすまの先に立っていた礼花は首を振った。
「試験が近いので。それに、連日の調査で久堂様もさぞかしお疲れでしょう。東風椿、久堂様の代わりに美世さまをお守りしなさい」
ほぅ、と東風椿と名付けられたミミズクが翼をはためかせた。美世が恐る恐る手を伸ばすとぐるり、と首を回す。
「ひゃっ!!?? く、首が取れましたよ!??」
「東風椿の挨拶だよ。胸を掻いてくれだってさ」
驚いた美世を落ち着かせるように仁花が言う。
「掻く……?」
「猫とか犬とかにするみたいに、指先でちょいちょい触ってあげて」
「怖かったら人差し指でもいいので。こんな風に」
智花が何でもない、とでもいうように東風椿の頭を撫でてやるとうれしそうに目を細める。気持ちよさそうな顔で、とろんとしだした。
その猫や犬と触れ合ったことはめったにないのだけれど、と美世は言いそうになってぐっと飲みこんだ。智花に手を持ってもらいながら胸の辺りに触れると、ふわふわとした羽毛の感触がした。
(暖かい……。それに、この大きな目も慣れてくると可愛く見えるわ)
「ミミズクか? この手の鳥は夜行性だと相場が決まっているが?」
「”山守”の術下にあるからな。だから、夜行性でも昼間に動くことができるし、昼行性のものは夜目が効くようになる」
「は、はぁ……」
そう言われても美世にはさっぱり分からない。だが、清霞は理解できたようで渋面を作ったままうなずいていた。
「昼前には一度戻ってくるから、案ずることはないぞ久堂清霞」
「お前が一番の懸念材料だ。と、言わねば分からんか、仁花」
「ご安心を、東風椿が止めます」
「もう、おねぇってば!」
「…………」
それでも頭を縦に振らない清霞に業を煮やしたのか、仁花がとっさに美世の手を取った。その勢いに引きずられるように美世も廊下に出てしまう。
「あっ!! 戻れ仁花!!!」
「こちらも人を待たせている身でな! ふはは!! 姫はもらったぞ!!」
「お昼までには戻りますから、どうかお許しを———」
「い、行ってきます!!」
どたどたと美世を連れて走り去っていく妹たちがいなくなると、礼花が申し訳なさそうな表情で清霞を見てきた。
「申し訳ありません、久堂様」
そう言って頭を下げる礼花に問うべきか清霞は迷った。昨夜、父親はこの娘たちに”自由”を望んだ。”山守”は山があってこその存在。なのに、それを捨て去ることを娘たちは本当に望んでいるのだろうか。
「久堂様。少なくとも、私は山を継ぎたいと思っています。婿養子を迎えることになるでしょうが、私はこの山が好きです」
「…………」
「仁花がなぜ帝都を目指すのか、父から聞いたのですね。ならば、私に聞きたいこともおのずと決まってくるのではありませんか?」
一方、山を下りた三人はすぐに村人たちに囲まれた。村人、と言っても仁花とそう歳の変わらない女の子たちだが。
「ほーん。これが仁花が昨日言ってたお客様ねぇ~。ほんと、きれいな方」
「そ、そんなことは……」
「ねー。髪洗い粉何を使っているの?」
「えっと……。髪洗い粉はいつも葉月さんが……」
「お姉ちゃん、帝都の女の子ってみんなお姉ちゃんみたいにきれいなの?」
「わ、私なんてとてもとても―――!!」
「手もしっかり手入れしてる……。毎日の積み重ねってやつね?」
「あの、ですから! 私は……!」
ざわざわと囲まれ、美世は急に恥ずかしくなってきた。皆、美世を見てきれいだのかわいいだの言ってくるのだ。手放しに誉めてくれる環境にまだ慣れない。
帝都にいれば褒めてくれる人は片手の数だけなのに、今現在両手の数以上の子どもたちに褒められている。
(は、恥ずかしいわ! だ、旦那様がいればこんなことには……)
言葉を返すのに戸惑っていると、ひゅんと風が吹いた。その風の強さに子どもたちが一斉に口を閉ざした。そして、美世の持っていた籠のふちに東風椿が止まった。東風椿の姿を見た途端、子どもたちが急に押し黙ってしまった。
「こ、東風椿……。東風椿の大将だぁ……」
「大将が来たら仕方ないよ」
「東風椿には逆らえない」
「くわばらくわばら……」
そういって子どもたちは意気消沈して、散らばってしまった。よかったのだろうかと仁花たちを見たが、何も言わなかった。
「東風椿は子どもたちの大将で、みんな逆らわないの」
「へぇ……。大将?」
「正確には礼花お姉ちゃんのことだけれど……。でも、東風椿がいれば子どもたちだけじゃなくて、大人も滅多なことはしないから安心して」
「そう……」
こんなにかわいらしい鳥のどこを怖がるのだろう、と美世は不思議に思った。美世はそのまま仁花たちに言われるまま、田んぼへとやってきた。
「これが……稲ですか……」
圧倒される黄金の原に、美世は言葉を失った。秋晴れの空に黄色がよく映えた。豊かに実った穂柱からは、よい匂いが漂ってくる。その上を飛び交うアキアカネの光景は、童謡の世界に迷い込んだかのような気にさせた。
「さぁ、美世さん! 頑張って収穫しよう!」
「は、はい! 私もお手伝いします!!」
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