第9話 袖すりあうも他生の縁
「5年前まで私と父は帝都に住んでいました。そのころにはもう、仁花も智花もいましたが、勘解由の長女ということで社交界に出したかったんでしょうね」
「そう、なんですね」
名前だけ見ても、まだ動機が収まらない美世を気遣って、礼花が顔色をうかがいながら話し出した。
「彼女と会ったのも丁度その頃です。彼女はその頃、家の期待を背負うためにあちこちに名を売っていました」
彼女、とあえて婉曲な表現を選んでくれている。そのことが、美世にとってはありがたい反面、気遣いをさせてしまった後ろめたさを感じた。
「学校を何度も変わっていることはうわさでよく聞いていました。いずれ私の尋常にも来るのだろうな、とも」
「それは……、術者の通う学校が少ないから?」
こくり、と礼花がうなずいた。
術の修行はそれぞれの家の方針にゆだねられていて、学校で指導されることはめったにない。けれど、鳥は鳥に集まるというように術者の家系の子弟はある程度決まった学校を選ぶことがあった。その方がいろいろ便利なのだろう。
「言うまでもないことですが、彼女の性格で周りと軋轢がなく過ごせるわけがありませんから、ころころと学校を変えていました。私もそんな彼女とここまで縁が続くとは思いませんでした」
「…………」
身内からではなく、周りからもそうみられていたのだと思うと、少しだけ胸のすく思いがした。
「頻繁に学校を変えるから、教科書が合わないことも往々にしてあります。転校してきたときに、私が教科書を半分渡して見せあったのが始まりです」
「そう、なのですね」
相槌しか打つことができない。あの大量の手紙は5年か、それ以上の年月が経っている物だろう。それくらいの年月があれば、その仲は深いに決まっている。
(礼花さんが香耶のことを大事に思っているなら、香耶の未来を閉ざした私を悪く思っていてもおかしくない……)
だから、隠していたのだ。どろどろとしたものが膝にとぐろを巻き始めた気がして、美世は頭を振った。
「美世さん?」
「い、いえ! 私のことは気にしないでください……」
「ごめんなさい。結論から先に言うべきでした」
「……はい?」
まだ何か話したかったろうに、礼花は一気に湯吞の茶を飲み干した。
「彼女とは文通をするだけの間柄です」
「それは……仲が良かった、のでは?」
「定期的に近況を話すだけの間柄、というだけです」
「それは、仲がいいことの証明では?」
「……」
釈然としない、と言いたげにこちらを見てくるがこちらだってそうだ。知り合い程度の人間とあんなに多くの手紙のやり取りをするわけがない。ちらっと見ただけだが、旅行先からも手紙を出しているのだから、相当仲が良くないとしないはず。
「私は彼女が成したことに対して、当然の報いと思っています。そして、美世さん。あなたに、謝らなければならないと思っていたのです」
ごめんなさい、と座布団から離れ礼花が深々と頭を下げた。
「え、え???」
「私は、あなたのことをずっと彼女から聞かされていました。でも、私は何もあなたにできませんでした。それどころか、彼女を止めることができませんでした」
「……」
「今更謝られても、って顔に書いていますよ?」
「そ、そう?」
思わず頬に手を当て、顔をそらした。ふっ、と吹きだした礼花は座布団に戻ってきた。そして、缶から二通の手紙を取り出した。
一つは、今年の春ごろの消印のついた封筒。そして、もう一つは消印がついていないものの、真新しい封筒。
「彼女の部屋から私からの手紙があったので、久堂様は私にも関係しているのではないかと考えていらっしゃいました」
「旦那様が……」
家を消し炭にするほど怒っていたのなら、疑いの目を向けるのもおかしくはないだろう。でも、茂治自身が今回の婚約の事は初耳だったし、娘同士の関わりはあっても、親同士の関わりはないときっぱり言ったそうだ。その上、勘解由の家が関わった証拠は出ていなかったことから、疑いはすぐに晴れた。
「軍から問い詰められたときは驚きました。こちらの消印がない手紙は、彼女の今後が決まった時、軍に直接渡した手紙です。事の顛末がここに記されていました。驚きました、彼女があんなことをする子ではないと思いたかった」
独白の様なぼそぼそした声だった。ずっと家にいた美世には、2人の関係は分からない。友達と呼ぶほど長く一緒にいたわけではなく、知り合いというには手紙で何度もやり取りをした間。
この関係に明確な言葉はないのだろう、それでも礼花は自分が取れた”もしも”を想像してしまったのだろう。
婚約の事を知っていたら、祝福の手紙を送っただろう。
美世が攫われたことを知ったら、香耶を問い詰めることができただろう。
ほかにも、たくさんの”もしも”が頭をよぎったのかもしれない。たくさんの本に囲まれ、高等女学校で優秀な成績を修めている彼女だ、美世には思いもつかない”もしも”があったにちがいない。
知らなかったのなら、できるはずもない。そのことで、礼花を問い詰めるのは美世はしたくなかった。
「礼花さん……」
「ごめんなさい」
「……礼花さんが誤る理由はどこにも、ないと、思います」
「……でも」
「礼花さんは何もご存じなかったのでしょう?」
「そう、です……。だから……」
「私はもう、大丈夫だから」
「……久堂様も大概甘いですね」
「甘い、ですか?」
「ええ、最早別人のようです」
ふいに礼花がつぶやいた名前に美世の目が丸くなった。聞き間違いかと思っていると、礼花がやれやれと言わんばかりに焼リンゴを食べ始めた。
「ここに来る前にも、念を押されたのです。美世さんの妹と知人だったと言ってもいいが、傷つけたら絶対に許さない、と」
「は、はぁ……」
容易に想像できてしまう、様な気がする。美世の家の事情を全部知っている清霞は美世がこの関係に気づいたことで傷つくことを懸念していたのだろう。
「傷つけずに話をしろとは、針に糸を通すようなことをおっしゃる」
「そ、れは……」
「でも、美世さんが気にしていないのであればよかった……。美世さんに伝えるべきかやめるべきか迷っていました。でも、伝えられてよかった」
匙を小皿に置き、つっかえたものが落ちたのだろうか礼花がため息をついた。今まで美世と距離を置いていた理由が、はっきりとわかった。
「いいえ、私も礼花さんと仲良くなりたかったので……言ってくださってありがとうございました」
「本当ですか!」
ぱっと顔を上げ礼花が声を張り上げ、はっと口を抑えた。そうだ、今はもう11時を回っている。子どもたちはもうとっくに寝てしまっているし、そうでなくても静かにしないといけない時間だ。
「リンゴ、ありがとうございました……。どこかで作り方を教えてください」
「はい、こんなものでよければいくらでも!」
大きくうなずいた顔は、晴れやかで見ていた美世もぱっと心が温かくなった。
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