第8話 Pen pal

 山の中なので、夜になるとぐっと気温が下がる。夕飯は食事は家族の中に混ぜてもらっているのだが、礼花が席に着くことはなかった。夕食に合わせて彼女用の膳を作り、姉妹のうちのどちらかが彼女の部屋に置いておき、いつの間にやら空の膳が台所に置かれている……そんな感じだった。


(礼花さんともっと話がしたいわ……)


 布団にくるまって、一人で天井を見上げながら美世はそんなことを考えていた。今晩もまた清霞と茂治は山に出かけている。大きなけがはしないだろうが、それでも朝に見たバラバラになった式が気がかりだ。 


 美世にとって、一番年の近いのが彼女だ。もしかしたら家族に言えない事情を抱えているのかもしれないし、単に家にやってきたよそ者を警戒しているのかもしれない。でも、おやつの時間などは時折顔を見せてくれるし、会話が成り立たないほどでもない。


(それに、旦那様が”変わってしまった”とおっしゃったのも気がかりだわ)

 

 昔は礼花も明るい性格で、訓練に来た術者たちに帝都に連れて行ってくれ、特務隊に入れてくれとせがんでいたそうだ。そのたびに父親から反対されていたが。”山守”の術式は山の中でこそ真価を発揮する。山から下りてしまえば並みの術者程度の実力しか出ない、と清霞は言っていた。


(眠れないわ……。胸騒ぎが収まらない)


 先日までは疲れと、すぐに帰れるだろうという楽観からすぐに眠りにつくことはできたけれど、だんだん眠れなくなってきた。何の力もない、力があってもそれが何なのか分からない自分ができることなんてない。自分にできることは清霞が無事に任務を終えられるよう、祈ること。


「少し、夜風にでもあたろうかしら……」

 眠れない時は少しだけふすまを開けて外の風を入れることがあった。す、とふすまを開け廊下を見やると、向こうの渡り廊下に人影が見えた。

 目を凝らしてみると、明かりを持たずに月明かりだけで礼花が台所の方まで進んでいくのが見えた。


(お夜食かしら?)


 育ち盛りで、しかもこんな夜遅くまで勉強をしているとなれば腹もすくだろう。明かりを持たないのは、満月に近くなった月が十分な明かりをともしてくれているから。長年住み慣れた家であれば、多少暗くても迷わずに進める。


(これは、いい機会だわ)


 そう思った美世はそばにかけてあった羽織をまとい、ろうそくに火をつけて廊下を進んでいった。にぎやかな昼間と違い、ひっそり静まり返った廊下はどこか恐ろしい。けれど、目的が分かっているのだから進んでいける。


「間違いないわ、誰かいる」

 台所の戸が開いているので、少しだけ除いてみるとやはり、礼花がかまどの前に立っていた。寝間着姿ではないので、本当に勉強していたのだろう。長い髪をうなじの辺りで軽くまとめ、暖かそうな綿入れを羽織っている。

「後は、焼きあがるのを待つだけ……」

「礼花さん?」

「うわぁ!? な、なんですか……美世さまだったんですね」

 慌てて振り返った礼花の顔は、歳相応。その姿に思わず美世はくすっと笑ってしまう。

「美世さま、なんて呼ばないでください。私とあまり年が違わないのですから。仁花ちゃんや智花ちゃんと同じように呼んでください」

「……でも、あなたは久堂様の婚約者で……」

「あなたは、私の婚約者の恩人の娘さん、ではないですか?」

「…………」

「…………ね?」

 口をきつくつむんでしまった礼花の顔を覗き込んでいると、あぁとうめき声が漏れた。

「分かりました。美世さんはなぜこんなところに来たのですか?」

「廊下を渡っている礼花さんを見かけて。お夜食を取りに行っているのかと思っていたのですが……これは?」

「焼リンゴです」

「焼……リンゴ????」

「親戚からたくさん送られてきたんです。悪くしてしまうのも悪いですから、消費を手伝っているんです」

「そうなんですね……」

 美世は想像ができずに目を丸くした。リンゴと言えば、木になっている赤くて丸い果実の事だ。妹に言われ、よく皮むきをさせられたものだ。要領の悪い自分はよくうさぎにしようとして、皮がちぎれたこともあったっけ。

「リンゴの中身をくりぬいて、砂糖と調味料を混ぜたものを詰め込んで蒸し焼きにするんです。本当は天火オーブンを使うのですが、家にはないので底の浅い鍋で代用しています」

「は、はぁ……」

 そう言われてもぴんとこない。ただ、バターの濃厚な匂いが漂っているのは分かった。調味料と溶け合った複雑な香りで、夜中なのに食べたくなってくる。

「美世さんは料理がお好きなのですか?」

「…………いえ、とくには……」

 実家ではそうしないと生きていけなかった。だが、それを目の前の少女に話しても理解されないだろう。

「私もです」

「でも、今こうやってお料理をされているのでは?」

「夜食は自分で作れ、という母からのお小言です。でも、料理をしていると余計なことを考えなくてすむので、休憩にちょうどいいですね」

「…………」

「久堂様から私について何かききましたか?」

「はい。昔は活発だった、と」

「そう、ですか。なにぶん、何もない所ですから山が私たちの遊び場だったんです。”山守”が自分の山でけがをすることはない、だから昔は無茶な遊びをたくさんしました」


 ふふっと思い出し笑いをする姿は、昼間みせた表情と打って変わってかわいらしく思えた。思い出し笑いをしながら、礼花が戸棚から湯呑を取り出した。

「例えば……。そうです、崖に生えてある松に縄を吊るして向こう岸まで跳んでみたり、池に丸太を浮かべて櫂でこいでみたり……帝都の方から見れば、私たちの遊びなんて野蛮でみっともないでしょうね」

「いえいえ! とても、楽しそう……ですね」

 美世がもし同じ遊びをしたら……想像するだけでも恐ろしい。縄が急に切れてしまったら? 対岸に獣がいたら? 丸太に亀裂が入ってしまったら? 悲観的な想像ばかりが頭をよぎった。言い返しが思いつかず、視線をさまよわせていると、また礼花が小さく笑った。

「無理に言わなくても大丈夫です。事実、帝都にいたときは田舎者だと散々馬鹿にされてきましたから。そんな品のない遊びをするわけがない、と」

「え?」

 急須に茶葉を入れる手を止め、美世は隣に立つ礼花を見た。先ほどまでの笑顔が急に曇りだし、声色もだんだん元気がなくなってきた。

「いいんです。花には花の咲く所、人には人の居るべき所があるんですから。あ、ちょうど焼けたみたいです」

「礼花さん……」

 何か言おうとして、手が止まる。断片的な情報で、彼女の何に言及できるだろう。かつて帝都で暮らしていて、帝都に行きたいと言っていた活発な少女がたった数年でここまで変わるだろうか。清霞に会うまで何一つ変わらなかった自分には想像すらできない。


「実は、二つ焼いていたんです。おひとついかがですか?」

「え!? いい、のですか?」

 差し出された小皿に乗っていたのは、蒸気で皮が柔らかくなったリンゴだった。溶けたバターと砂糖が蒸気に乗ってふわふわと甘く鼻をくすぐり、砂糖水が塗られた表面はかすかな明かりでキラキラと光っている。

 見た目は簡単そうだが、天火と違って火力の調整の難しいかまどで焦がさずに焼けるのはすごいと思う。受け取ってみると、やわらかくなった皮から漂ってくるリンゴ本来の甘みも加わって、食欲をそそる。


「両親から言われたんです。あと、久堂様からも念押しされていましたね」

「なにを?」

「美世さんに隠していること全部言ってきなさい、って」

 隠していること、という言葉に美世の舞い上がりかけた心に冷水がかけられたようだった。美世に隠していることなんてあるのだろうか、という疑問と、彼女に対する若干の不信感が顔をもたげてきた。

「リンゴを用意したのも、何か食べながらの方が話しやすいからです。安心してください、私は美世さんに伝えないといけないことがあるだけです」

 そういって、二人分の湯飲みと美世に渡した小皿を回収して礼花が戸へと向かった。そして、台所から出るように目配せをした。


(隠していることって、なにかしら)

 

 少なくとも、美世と礼花は初対面のはずだ。帝都で暮らしていたと言っても、彼女が尋常に通っていたころには自分は屋敷から出られない生活を送っていたのだから、社交界で会うこともない。遠い記憶を探ってみても、彼女は出てこなかった。


「どうぞ。私の部屋です」

 そういって、障子を開けると美世は感心のため息をついた。令嬢の部屋、と前置きをされなかったらどこかの学者の書斎かと思うだろう。

 基本的なしつらいはほかの部屋と変わらないが、目を引くのは部屋の左右にびっしりと並んだ本棚だろう。分厚い本もあれば、手軽に読めそうな雑誌もある。植物の本もあれば、異国の言葉で書かれた本もあった。

「いっぱい本があるのですね……」

「大抵が、ここに来る訓練生の方が置いていかれたものです。田舎ですから、本を手に入れるのも一苦労で、父に頼んで買いに行ってもらっています」

「そうですか……」

 これほどの量の本を読めと美世が言われれば、何年かかることだろう。勉学に使われているだろう文机はきちんと整頓されていて、覚えることなのだろうか見慣れない図形が、丁寧にえがかれていた。


「こちらへどうぞ」

 そういって、部屋の真ん中に座卓を出した礼花が美世に座布団を差し出した。暗いままでは不便だからと、礼花がランプをつけてくれた。座卓の丁度上にランプを吊り下げるための梁があり、そこから柔らかな橙色の光が下りてきた。

「すぐに本題に入ってしまっては、美世さんも落ち着かないでしょう。まずは食べませんか?」

「そう、ですね。いただきます……」

 恐る恐る匙でリンゴを割ってみると、香りが一段と強くなる。砂糖水とリンゴを混ぜて口に運ぶと、香ってきた匂いがそのまま口の中に広がってきた。焼いたリンゴの歯触りは柔らかく、口に入れた途端解けていくようだった。

(おいしい……。作り方をぜひ教わりたいわ)

 甘みを砂糖水で調整しているのか、くどくない甘さですいすい食べられる。匙が止まらずにいる美世を見て、礼花はほっとした笑みを浮かべた。自分の分を半分食べ終えたころに、礼花は思い立ったように立ち上がり本棚の間にしまってある缶を取り出してきた。

 元はせんべいなどが入っていたのだろう、表面にはかわいらしい花の絵が描かれている四角い缶だった。

「この中に美世さんに見せなければいけないものが入っています」

「私に、見せなければならないもの……ですか?」

 ますます意味が分からない。

「開けてもよろしいのですか?」

「はい」

 そういうので、ふたを開けてみると中に入っていたのは便せんやはがきだった。かわいい絵が描かれてあったり、見事な風景の写真も入っていたりしてどこにも怪しいものはなかった。よくある、家に届いたはがきなどをまとめておく缶にしか見えなかった。

「どこも怪しいものは……」

「美世さん、差出人をよく見てください」

「差出人……?」

 そう言われ、美世は一番上にあった封筒を拾い上げた。最近届いたものらしく、消印は今年の夏のはじめ頃だった。表面には墨のつけすぎなのか、にじんでしまっているが”勘解由礼花様”とあった。

「礼花さんのお名前?」

「美世さん、それは宛名です。差出人は裏です」

「あ、そうでした! えっと……え?」

 裏にあった名前に、美世は心臓が止まるかと思った。忘れもしない、それは斎森香耶——— 妹の名前だった。

「香耶……どうして? ここに? 礼花さんとどういう……?」

 名前を見るだけで、ぐるぐると迫ってくるものがある。妹が書いた手紙がここにある。信じられない表情のまま、缶の中を広げてしまうとさらに驚いた。

「こんなに……。ほとんど香耶からの手紙、なんですね」

 はがきや便せん、絵はがきと形式は違っても、缶に入っているもののほとんどが美世の妹からのものだった。彼女が美世に何をしてきたか、思い出したくもない。けれど、今はもう会うこともない妹の欠片がここにあった。


「私と香耶は同じ学校に通っていました。と、言っても尋常の……彼女が転校するまでの数か月のほんの短い間でしたけれど」

「礼花さん……」

 そういって、礼花は美世が広げてしまった手紙を缶にしまった。


「昔の話を、させてください」

 その顔は今にも罪悪感で押しつぶされそうだった。

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