第2話 山守の夫婦

(あの方は、いったい誰なのかしら……。旦那様のお知り合い? よね? ゆり江さんとも親しいということは、それこそ遠縁の方なのかしら)


 あの背格好から言って、美世より少し年上なくらいで旦那様と同じぐらいだろうか。それにしては、日に焼けすぎているような気もするし、どこか口調も古めかしい。


「お嬢さん、お嬢さん」

「はいっ!?」

 はっと、慌てて顔を上げると机を挟んだ向こう側でにこにこと笑っている青年がいた。いつの間にいたのだろうか、慌てて立ち上がろうとすると手で制された。

「セイカ君の婚約者なのだから、上座はお嬢さんではないかね。俺は家はこの家に比べたら何もかも劣っているのだし。それに、セイカ君がいないうちに我が物顔でふるまっては、セイカ君に口きいてもらえなくなるかもしれないからね」

「あの、その……」

 セイカ君とは誰ですか、と口を開く前に青年はこくりとうなずいた。

「あぁ、名乗るのを忘れていたね」

 さっと、座布団から降り青年は正座をして頭を下げた。とたん、青年がまとう雰囲気ががらりと変わった気がした。先ほどまでは子どものように暖かな雰囲気だったというのに、まるで年相応になったかのような……。畳敷きの場所が道場になったかのような……。


「俺は勘解由茂治かげゆしげはると言います。かげさんとでも、茂さんでも好きに呼んでくれるといいよ。下野の”山守”をしている一族の出でね、セイカ君とはお父さんのころからの長い付き合いだ」

「勘解由様、ですか?」

「……まぁ、それがいいか。セイカ君からは何も聞かされてない?」

「は、はぁ……」

 その”セイカ君”と言うのがだれなのか、こちらには皆目見当もつかないのだけれど。セイカ君と呼ぶときの声の調子から、子どもを指しているのは何となくわかる。けれど、この家に子どもはいない。昔どこかで子どもが住んでいたのだろう。

「本当は軍に直接持ち込む案件なのだけれど、”さる方”からセイカ君の家で話せと言われてしまってね。俺としては気が楽でいいのだけれど、セイカ君にどつかれやしないかとひやひやしている」

「どつかれ、るのですか?」

 茂治をどつくほどの気の強い”子ども”、また難しくなってしまった気がする。

「どつくどつく。まぁ、彼なりの言葉なのは分かっているのだけれど、もうちょっと真心というか、手心というか……。まぁ、お嬢さんを見ていると、お嬢さん相手にはして……たね……」

 はぁ、と長いため息をつかれてしまった。して”いた”とはどういう意味だろう。茂治の言葉が正しければ美世自身、その”セイカ君”に会ったことがあるようだ。けれど、そんなことなかったはずだ。


「あの、勘解由様」

「何でしょう、美世さん?」

「先程からおっしゃっている”セイカ君”とはいったいどなたなのですか?」

「…………?」

 湯呑を持ったまま首を傾げられても、こちらが聞きたい。

「その、先ほどから私も会ったことがあるようなおっしゃり様でした。でも、私はその……存じ上げなくて」

「うん?」

「その、この家には私を含め……3人しかいません。どなたかとお間違え……ですか?」

 人に訂正を求めるなんて、と心の中で自分を責めた。けれど、言わなければ伝わらない、と何度も言われた。その声に背中を押された気がした。

「あ」

 茂治が何かに気づいたようで、短く声を漏らした。そして、顔を伏せて何事かつぶやいた。

「あ、すみませ———」

「どわぁははははは!!」

 はじかれたように茂治が笑い声をあげた。

「勘解由……様?」

「あははははっ!! こりゃたまげたなぁ!! セイカ君、面白いお嬢さんを選んだものだね」

 ゴロゴロと子どものように笑いながら畳を転げまわる。先ほど見せた鋭い刃のような雰囲気がそがれてしまっている。ひとしきり笑い転げた後、目元をこすりながらのそのそと起き上がってきた。

「あの、お嬢さん。つかぬことを聞くけれど、俺幾つに見える?」

「え? えっと……」

「もしや、帝都の学生とでも思ったかい?」

「…………」

 茂治が指で四を作って見せた。

「俺は四十路のおっさんです。俺の一族、小さい人間が多くてね」

「は、はい」

 今度は小指を曲げ、三にする。

「女学校に通っている娘が3人もいます」

「……」

 茂治が言わんとしていることが何となくわかってしまった。美世が顔を赤らめて頭を下げようとするところで、ゆり江が茶菓子を持って現れた。


「まったく、茂治さんも人が悪い。もう少し年相応の恰好をしてこればよいのに」

「そうはいってもゆり江さん。帝都に来ていけるほどの上等な服を俺は持っていないんですよ。なんせ鄙なのでね。悲しいかな、俺は上背がないからこの恰好をしていると煙草の一つも買えやしない」

「上等な着物をお召しになればよろしいのに」

「それこそ七五三ではないかな。と、セイカ君と呼んでいる理由だね」

 手土産の大福もちをほおばりながら、茂治が答える。そして、懐から手のひらほどの大きさの手帳と、万年筆を取り出し片手で帳面に文字を書き始めた。器用な人なのだろう、右手でページを押さえながら文字を書いている。

「セイカ君は、此処の主人だよ」

 そういって帳面に書かれたのは、角ばった書体の”清霞”と言う文字だった。

「初めてこの文字を見た時、”せいか”って読んじゃってね。それ以来呼ばせてもらっているんだ」

「旦那様のご友人……ですか?」

 その問いかけに、茂治が手を止めて腕を組んだ。

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

「え!?」

「セイカ君のお父さんとは長い付き合いだけれど、セイカ君はどう思っているかな」

「…………」

 聞いてもいいのだろうか。ためらっていると、車の音が鳴った。軍服を着たままの清霞が三人の前に現れると、茂治は大福を飲み込んだ。


「やぁ。久しぶりだね、セイカ君。そのかたっ苦しいものを着替えておいで」

「夕飯まで居座るつもりですか?」

 厳しい視線にさらされているというのに、茂治はにこにこ笑っているだけだった。

「ご相伴にあずかってもよいかね? と言いたいところだけれど、お弁当を持たされちゃったから、あとで食べてもいいかな?」

 茂治は持ってきていた風呂敷を指さした。

「……用が終わったら、すぐに戻ってください。”山守”が山を下りるなんて言語道断です」

「それ程の事態だって、気づかないセイカ君ではないと思うけど」

「……分かっています」

(旦那様が敬語を使っている所なんて珍しい)

 隊長職の清霞が敬語を使う相手は限られている。それこそ、美世は一度も見たことがなかった。

 それより山守、とは何だろう。


「今更だけれど、俺は術者の一族の一つで”山守”と呼ばれている類の人間だ」

「やま、もり?」

「そう。山というのは古来から異形が住み着く場所でね。時に、異形が生まれやすい”門”という所があるんだ。その”門”を中心に、山から異形が下りてこないように守るのが”山守”の一族だよ」

 なにも分かっていないのを見透かされているかのようで、美世は下を向くほかなかった。

「奥方が今見ていらっしゃるのですか?」

「そうだけど、どうしても滝さんが帝都にも行きたいっていうから……」

 清霞の問いかけに、茂治は苦笑いしながら右腕を机の上に出した。右腕をじっと見ていると、にゅるりと白い蛇が姿を現した。大きさは普通の青大将と変わらないが、いきなり現れれば悲鳴を上げざるを得ない。

「ひっ!?」

 つやのある蛇が鎌首を持ち上げて、かっと口を開いた。

「久しぶりね、清霞。相変わらず愛想のないこと。葉月を困らせてないでしょうね?」

 低くかすれ気味な女性の声が聞こえてきた。蛇が急に現れ、人間の言葉を話し出すので、美世は心臓が暴れるのを抑えるのに必死になった。

「困っているのはこちらの方です、滝さん。……今回は蛇ですか」

「ええ。丁度いいのが目の前を通ってきたから、捕まえて式の術を仕込んでおいたのよ。茂治さんの術と組み合わせたら自由に動けるし」

「あの、旦那様……。式神、ですよね?」

「あぁ。滝さんは生き物を直接式にできる術者だ」

 一見すると子どもの様な夫に、蛇の式を操る妻。術者の夫婦というものはこういうものなのだろうか。

 ちら、と蛇の方を見ると蛇の三角の顔が目に入った。

「あなた……。どこかで……」

「おや、滝さん。美世さんとどこかで会ったことが?」

「いや、勘違いかしら。美世といったわね、あなた……」

「はい?」

「……言うまでもない、かしらね。まったく、”あの方”も本当に人が悪い。茂治さん、とっとと用件を伝えましょ。おそらく、あの方がおっしゃったのはこういう事だろうから」

「そうだね、滝さん。俺も、今の今でようやっと気づいた」

「茂治さん?」

 蛇を腕から方に移動させ、茂治が清霞たちの方を向いた。すっと差し込まれたのは、研いだ刃のような気配だった。空気が一瞬にして茂治に引き込まれた。


「清霞。お前に神を討伐してもらいたい」

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