白銀の狼王に餞を

一色まなる

第1話 秋の便りと青年

 帝都に秋の気配が漂い、人々の装いも秋めいてきたころ、美世はとある雑誌を前にうぅんとうなっていた。深い色の瞳が困惑に揺れているのはいつものことだけれど、今日はいつにもまして揺らいでいる。

 家事の大半を終え、夕ごはんまでのちょっとした空き時間。実家では考えられないくらい、時間が余っている。あの頃は昼も夜もなく、ひたすら自分を押しとどめる日々だった。けれど、今はちょっとした息抜きの時間を誰かが作ってくれている。

 だからこうして、今まで開いたこともない雑誌を読み比べるなんてこともできるわけで……。


(葉月さんの隣を歩いても変にならないのは……どれかしら……)

 

 先日遊びに来てくれた時は、栗色の落ち着いたワンピースを着ていた気がする。またある時はみずみずしい若竹色、またある時は目の覚めるような真紅。いつもは動きやすく洗練されたモガスタイルだけれど、茶席に招かれたと言って格式の高そうな絹織物を着ていることもある。


(葉月さんは美しい方だから、どんな色もきっとお似合いだわ)


 美世が広げているのは若い女性向けのファッション雑誌といったところ。少し前、婚約者の姉である葉月が”美世ちゃんと活動写真を見に行きたい”と提案された。活動写真というのは、のちの世でいう所の映画で、この時代は映像に合わせて活弁士ナレーターが語っていくものだ。


(確か……新作が出る、っておっしゃってたわね)


「あのね! 今度新作の活動写真が出てね! そこに抜擢されるのが、新進気鋭の活弁士! まだ若いのに、声色を自在に操っててね、老人はともかく娘の声まで出せるのよ!」

「活動写真、ですか?」

「そう! 美世ちゃんも楽しめると思うわ!」

「……活動写真など、何が楽しいんだ?」

「あら、あなたはもうちょっと市民の娯楽について知るべきだわ」

「活弁士の語りもわざとらしい、それならばまだ上方落語の方がましだ」

「落語なんてもっと見ないくせに」

 弟の清霞の野暮な台詞に葉月はため息をついた。姉の演技に気づいている清霞は視線をそらし杯をあおいだ。

「活動写真、話なら聞いた事は……」

「ね、ね!? 行ってみましょ!? ずっとお屋敷の中にいたんじゃお勉強の成果も試せないし」

「そ、それは! そう……なのですが……」

「よし! 決まりね!」

 そう、とんとん拍子で決めてしまわれた。清霞がそれとなく反論していたが、姉にいいように言いくるめられてしまったようだ。冷徹な軍人ではなく、不器用な弟の面が出てしまうこの瞬間に、どこか心が温かくなる。


(約束の日まで時間があるけれど、悩みすぎて何も用意できなかったらそれこそ葉月さんに迷惑をかけてしまうわ)


 とはいえ、目の前の雑誌に乗せられている写真はどれもきれいで違いが分からない。色は注釈で載っているけれど、名前と色が結びつかない。ブラウスがいいのかワンピースがいいのか、スカートは折り目がついているものがいいのか、広がり方は……考え出すときりがない。

 せめて和服であれば、色や柄はある程度分かる。でも、洋服はからっきし。葉月との勉強の一環で洋装をしたことはあっても、外を出歩くのはとても勇気がいることだった。本当にこの着方で合っていたのか、小物との相性はよかっただろうかと何度自問自答を繰り返したことか。


(お断りしたらそれこそ、がっかりさせてしまう……)


 そうなれば、もっと申し訳が立たなくなってしまうだろう。でも———。

 雑誌をめくる手を止めたとき、ちょうど門から小さな声がした。

「もし、もしー。ゆり江さーん。おられますかー? かげゆですー」

 まだ年若い男の声だ。清霞ではなくゆり江を呼んでいるということは配達に来た人だろうか。久堂の家は3人しか住んでいないとはいえ、定期的に配達に来る人はいる。


「ゆり江さんは今夕飯の買い出しに出かけていらっしゃるから、私が……」

 そう立ち上がり、美世は門へと向かった。門の閂を外すと、そこに居たのは詰襟に着流し、袴といかにも書生といった姿の青年がいた。

 赤ら顔に丸い瞳、黒い髪は緩く弧をえがき、邪魔にならないように短く切りそろえていた。年の頃は美世より少し年上だろうか。背の高さも美世とそう変わらないので、帝都の学生なのだろう。

 美世の姿を見た青年は一瞬目を丸めたが、すぐに手を打ってにこやかな笑みを浮かべた。人懐っこい笑みに、美世はほっとした。

「おや? ゆり江さんかと思ったけれど、もしや親戚の御嬢さん?」

「い、いえ……」

 美世の事情を知らない人が美世を見れば、みんながあたらしい女中だと言っていた。だから、親戚の”お嬢さん”と呼ばれたことに美世は一瞬ドキッとした。

「ゆり江さんは今出かけていらっしゃって……」

 ぺちりと額を軽く打ち、青年はおどけたように笑ってみせる。

「そうかい、こりゃ間の悪い。俺はいっつもそうだなぁ。セイカ君に用があって詰め所に行ったら、自宅で待ってろなんて言われたもんだから」

「せいかくん?」

 そんな名前の人、この家にいたかなぁと美世が首をかしげているとゆり江が小走りで戻ってきた。

「あら、あら! おひさしぶりです、勘解由さん!」

「はい、ご無沙汰しております。ゆり江さん……っと、今日は味噌を買われたのですね。重たいでしょうから、幾分かお持ちしましょう」

「あらどうも。では、おねがいしましょうか」

「これくらい、おやすいごようですよ」

 にこにこと、ゆり江の荷物を受け取った青年は改めて美世の方を見た。

「こちらのかわいらしいお嬢さんはゆり江さんの親せきの方ですか?」

「あら、ご存じなかったの? この方は、清霞様の婚約者の斎森美世さまですよ」

 そういわれ、美世は頬に熱を帯びるのを感じた。ゆり江は何のためらいもなくそういうのだから、反論する隙間がない。

 その言葉を聞いた青年は子どものように顔を輝かせて大きくうなずいた。

「やっぱりか! うすうすそうでないかと思っていたのだけれど、初対面で訊ねることじゃないし、機会をうかがっていたんだよ」

「ええっ!?」

「あぁ、セイカ君もやっと……やっとかぁ」

 その言葉に驚いた。なぜなら、たいていの人がゆり江の言葉を疑うのだから。青年はそうかそうか、と何度もうなずいた。両手に荷物を抱えているので目元をぬぐえないが、おそらく両手が自由だったらそうしていただろう。


(この方、学生さん……なのよね?)

 美世の疑いのまなざしに気づいたのか、青年は苦笑した。

「あぁ、名乗るのを忘れていたね。俺の名はと、言いたいところだけれど立ち話もなんだから、ゆり江さんを少し手伝ってからでいいかい、美世殿」

「い、いえ!? 私のことは構わずに! それに、美世殿……なんてものでは」

「では、私はお茶を入れて……美世さまは客間でお待ちくださいな」

「あ、はい!」

「わぁ! ゆり江さんのお茶を飲めるのなんて何年振りかなー」

 ゆり江の後についてぴょこぴょことついて行く姿がまるでひな鳥のようで、美世はくすっと笑ってしまった。

(いけない、お客様に対して失礼な……えっ?)

 一瞬、青年の腕に白くて細長い…蛇の様な物が巻き付いていたような気がした。もう一度目を凝らしてみたが、何もなかった。


(気のせい、よね?)

 そう思い、美世は客間へ歩みを進めた。

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