第6話 バーのウエイターのアルバイト

 先輩に紹介してもらったバーのウエイターの採用面接。採用されたらそのまま働くことになるらしいことは先輩から聞かされていた。


「中山健児です。よろしくお願いします!」

「ああ、中山君ね。 ふーん…… いいね! 採用!」

「あ? あ、ありがとうございます!」

 何も聞かれなかった。そんなんでいのかな。前任の先輩の御威光ってことなのかな。

「さすがに前任の〇〇君のお薦めだね。かわいい!」

「あ? あ、ありがとうございます……」



「マスター! 新しい子が入ったんだー!!! 紹介してっ!」

「中山ケンジ君。ケンジの『ケン』は『健康』の『健』。ケンジの『ジ』は『児童』の『児』」

「ケンジ君かあ。じゃあ、ケンちゃんって呼ぼう!」

「彼はシャイなんで前の〇〇君みたいに接客はできません。僕がお相手しますよー」

「えー、マスターよりケンちゃんのことが知りたいな!」

 お客さんから俺にウインクが飛んできた。


「君、大学生? 年はいくつなの?」

「あああの、丸神大学の1年生です」

「じゃあ、18?19?」

「まだ誕生日が来てないので18です」

「わっかーい! お誕生日いつ?」

「ええ!? 一応、10月5日です」

「てんびん座ね。メモっとこっと。何かプレゼントするね!」

「いやいや、そんな申し訳ないです!」

「きやー、申し訳ないですなんて! かわいすぎっ! そんなかわいいこと言ったら抱き締めちゃうぞ!」

「えええ???」 よく分からない。

「ちょっと、ユリカちゃん! あまりうちの新人を揶揄からかわないでね」



「おおお、お待たせしました。ご注文の〇〇〇でございます」

「わー、新しい子? かわいー!!! ねえ、ちょっとここに座ってお姉さんとお話しよっ!」

「え?…… いえ、あの…… 仕事中ですので……」

「お客様のお話聞くのもお仕事でしょ?」

「はあ? ででででも、他にも色々やらないといけないことがあって……」

「中山くーん、これ4番テーブルに運んでね」

「はい!」



 新人はまかないご飯を作ることになっているらしい。

「なんでもいいよ。冷蔵庫に入ってるもので適当に頼む」


 母さんと2人暮らしが長かったから夕飯を作るのは俺の役割だった。他人に食べさせたことはないから味はともかく色々レパートリーだけはある。今ある材料でぱぱっと何か作ることは得意だった。

 ふーむ…… ベーコン、卵、玉ねぎ、にんじん、セロリ、ウインナー、牛豚合い挽きミンチなど……か。それ以外にツナ缶、トマト缶、さば缶、パスタ、カレー粉など……。結構色々あるな。マスターってここに住んでんのかな。奥さんいないのかな。あ、ジャーにご飯がある。それも結構たくさん。じゃ、オムライス作るか! マスターと女性の先輩ウエイターと俺の3人分。

 フライパンや鍋、調味料、その他調理器具がきれいに並んだキッチン。マスターの几帳面さが分かる。俺は具材を切って中華鍋に放り込んで炒めた。塩、胡椒、鶏ガラスープで味付けしてご飯を投入。ケチャップを回し掛けて全体がよく混ざるようにちゃちゃっと炒める。。

 平たいフライパンに卵2個を溶いて薄く広げて焼く。その上に中華鍋の具を乗せてくるっと巻く。ターナー(フライ返し)を使って崩れないように平皿に乗せケチャップでギザギザ模様をつける。玉ねぎとセロリに塩をぱらっと振りかけてマユネーズをぐるぐるとかけたサラダ。コンソメをお湯に溶かしてスープを作って細かく切ったベーコンを少しだけ入れた。


「マスター、出来ました!」

 みんな揃って休憩する訳にはいかないので奥で順番にまかないを食べることになる。冷めないうちに食べて欲しいけど仕方ないか。


「ケンちゃんのまかない美味しかったよ。ケンちゃんって料理上手だね!」

 帰り際先輩のお姉さんウエイターに褒められた。初日にして俺はスタッフだけでなくお客さんにも「ケンちゃん」と言う呼び名が定着したのだった。


 あー疲れた…… 俺はぎりぎりで終電に飛び乗った。終電ってもっと空いてるのかと思いきや朝の通勤ラッシュ並みに混んでて座ることなんて全然できなかった。



 ある日の昼休み、大学の学食にて、ソウちゃんと。

「ケンジ。夜のバイトの方はどうだ?」

「まあ、順調。マスターも先輩ウエイターのお姉さんもいい人だし。ソウちゃんは? 家庭教師はどうなの?」

「高校1年生で数学と英語だけだからまあ楽勝だな。なかなか素直ないい子だ」

「男?女?」

「女」

 ああ、そりゃきっとキラキラした目でソウちゃんを見てるんじゃないかなって想像した。こんなときでも女子にモテるって得だよな。

「日曜日、いい天気みたいだしツーリングに行くか?」

「いいねー、迎えに来てくれんの?」 俺はわざと甘えた口調でそう聞いてみた。

「ああ、9時くらいに寮に行く」 そんな俺の言葉に平然と答えるソウちゃん。こんな時ちくりと胸が傷む。


 

 俺が初めて「精通」したのは小学校6年生のときだった。「精通」って言うのは男の子が性器から初めて精子を発射することである。朝起きたらパンツの中が精子でべっとりしていてそれが射精したためだって気が付くまでに少し時間がかかった。気持ちよかったとかは全然記憶がない。おねしょみたいに朝気が付いたら出てたって感じだった。

 でも、昨日の夜に変な夢を見たんだ。夢って起きた直後からどんどん薄れていくものなのにその夢はなぜか今でもはっきり覚えている。そして時折俺の心をチクリと痛くする。それは甘美な、罪悪感。


 俺はソウちゃんの胸に抱き締められる夢を見たんだ。ソウちゃんと2人でどこか広い原っぱみたいなとこにいて、俺たちは並んで立っていた。春風のような温かくて心地よい風が正面から結構強く吹いてて俺たちの髪は後ろになびく。自分の目で見ているようであり、第3者の目で俯瞰しているようでもある。夢ではよくあることだ。


 ソウちゃんが俺の名を呼ぶ。声が風に飛ばされて変に後方から聞こえるような気がする。

 ソウちゃんが右手で俺を抱き寄せた。俺はソウちゃんの背中に両手を回して抱きついた。ソウちゃんも両手で俺を抱き締めてくれた。俺はソウちゃんの広い胸に顔を埋めた。ソウちゃんの心臓の音がまじかに聞こえた。

 あのころソウちゃんは俺よりちょっと背が高かったけど抱き合ったとき俺の顔がソウちゃんの胸のあたりにくるほどの身長差はなかった。現実に抱き合ったら俺の顔はソウちゃんの肩あたりにくるはずだ。そんなことは、まあどうでもいい。あくまで夢だ。


 俺はソウちゃんの胸に顔を埋めてすごく幸せな気分になった。夢なのにソウちゃんの匂いが確かにした。あれが俺が唯一知っている「恋する」という気持ちだ。突然消えてしまいそうな儚くて切なくてそれでいて最高に幸せな気持ち。そのとき俺はソウちゃんが好きなんだって初めて自覚した。俺はその日からしばらく、まともにソウちゃんの顔を見ることができなかった。



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