第34話 魔法の急須!? 後編

 夜。

 柊神社を出た優斗と麻斗は、何も説明されぬまま、柊の後ろをついて暗い道を歩いていた。

 優斗の身体はすでに元に戻っていて、あの2時間の呪いからは、なんとか解放されたところだった。


「で、今回の依頼って?」


 歩きながら尋ねた麻斗に、柊はふいに立ち止まり、振り返ると静かに口を開いた。


「すでに廃校となった高校がある。そこに出てくる幽霊を祓ってほしいという依頼だ」


 淡々とした声。それだけなら、よくある案件のひとつ。だが、柊の次の言葉で空気が変わった。


「……その高校に夜な夜な出る“男教師の霊”は、女子生徒の前にしか現れないらしい」

「……」


 優斗と麻斗が顔を見合わせた。


「そして俺には、女子高生の知り合いがいない」


 柊はそう言うと、すっと右手を上げた。


 その手には——見覚えしかない、茶渋のついた急須。


「なので、こいつの出番だ」


 そう言って、何の躊躇もなく急須を持ち上げる柊。そして放たれた、地獄の一言。


「優斗と麻斗を女子高生にする」


 ピシィッと、場が凍った。


「ちょっっ……待てやあああああああああああああ!!!」


 麻斗が大声を上げる横で、優斗は顔を覆った。


「またそれ……またそれか……」


 そのとき、急須の注ぎ口からふわりと煙が立ち上がり、出てきたのは——


「何でも願いをかなえて差し上げましょう!」


 ターバンを巻いた、筋肉ムキムキの半裸男。

 まぶしい笑顔で再登場した、急須の魔人であった。


「ひぃぃ!ま、また出た!なんでノリノリなんだよお前は!!」

「再召喚されたので、また三つ、願いを叶えられますよ!」


 そう言って親指をビシィと立てる魔人。

 優斗は、顔を伏せたまま低く問う。


「柊さん……僕、断るって選択肢は……」

「ねえよ」


 一蹴。


「現地に入るために必要なんだ。……まさか、仕事を私情で断るとは言わねえだろうな、優斗?」

「…………」

「兄ちゃん、もっかい女の子になるのか……いいのか……俺……触って……」

「黙れ麻斗」


 そんな双子のやりとりを意に介さず、柊が淡々と言う。


「急須の魔人——こいつらを女子高生にしてくれ。制服は、この廃校になった高校の指定のやつでな」


 柊が無情にも、真顔で優斗と麻斗を指差した。ピシッと空気が止まる。


「かしこまりましたぁああああ!!!」


 急須の魔人が満面の笑みで両手を広げると、急須の注ぎ口から湯気のような光がぶわっと立ちのぼった。


「2人分なのでお願いは2回分使いますね〜! よって、残りのお願いはあと1回です!!」

「ちょっと待っ、また説明の前に発動すんな!!」

「ぐ、うわっ……目がチカチカする……」


 ふたりが抗議する間もなく、光は優斗と麻斗を包み込み——次の瞬間。


「……な、なんかスカートの風通し、やばくない!?」

「この制服、まさかのセーラー!? いや、細部がやけにリアルなんだけど!!」


 目の前には、見事に“廃校女子高生仕様”に変身した双子の姿があった。

 黒髪の優斗は、落ち着いた雰囲気のロング丈セーラーに赤いリボン。

 一方の麻斗は、軽くアレンジされたミニ丈のスカーフ制服、元気系女子に早変わり。

 麻斗は優斗の姿を見た瞬間、ニィッと悪戯っぽく笑うと、肩を叩いた。


「……ほんとにもう……終わってる……」

「ほら!兄ちゃん!妹だよ!」

「……お前、今すぐ後悔する発言をしたね?」


 優斗は静かに空を見上げた。


「兄ちゃんも、似合ってる似合ってる!!なんか怒ってても可愛い!!」

「あとで絶対に物理的に後悔させるからな」


 ふと、麻斗が隣の優斗にニヤッと笑いかけた。口元だけの悪戯な笑み。


(なあ兄貴……あの柊のおっさんだけ何も被害受けてねぇの、納得いかなくね?)


 優斗はその声を聞きながら、ちらりと柊の方を見る。涼しい顔。髪も整ってるし、服も乱れていない。まるで他人事。


(……確かに。僕たちだけ理不尽な被害受けてる)

(だろ!? しかもアイツ、こういうときだけ回避力高すぎだし)

(あれはたぶん、自分が巻き込まれないって信じてる顔)


 沈黙。ほんの2秒。


(でさ、もう願い一つ残ってるじゃん?) (……あるね)

(でも俺ら、もう女装した。あと一回の願いじゃ2人共戻れない。俺らに使う理由はないよな?)

(……まさか)

(あるじゃん、願い事の背後の一つ!一人だけノータッチの人間が!!)


 そこまで聞いて、優斗は口元を押さえた。

 いや、笑ってはいけない。でも、もうダメだ。


(……ひどいな、お前。おっさんに何の恨みが……)

(恨み? 敬意だよ。……あと見たくね? 女子高生の柊)


 ブッ。優斗の中で何かが弾けた。


(……お前ほんとバカだろ。でも……)

(でも?)

(……同意)


 ぴたりと息が合う。

 次の瞬間、優斗は懐から小さな符を出して急須の魔人にこっそり術式を流すと、額に光が灯り、主の識別が“優斗”から“麻斗”へと変わる。


(よし……準備完了)

(やっぱ頼りになるぜ、兄貴)


 麻斗が一歩前に出て、堂々と手を上げた。


「急須の魔人!!!」

「はいはーいっ!主様の願い、なんでもどうぞっ!」

「柊のおっさんを!女子高生にしろ!!もちろん廃校の制服で!!!」

「お任せあれぇえええええ!!」


 シュゴォォォッと湯気が吹き出し、場に光が溢れる。


「おい待てッ!?何を勝手に!?優斗!!何しやがったッ!?」


 柊が振り返ったときにはもう遅い。  魔人がすでに術式を展開し、柊の身体に変化が起こる。


「めっちゃ楽しみ!女子高生柊!」


 麻斗の楽しそうな声に柊は叫ぶ。


「おい優斗、止めろ!今なら間に合う!お前は冷静キャラだろ!?なあ!?」

「僕の辛さも知ってください」

「はぁぁああ!!?!?」


 光が収まり——そこに立っていたのは、セミロングの黒髪、きっちり着こなされた制服、凛とした顔立ち……見た目は女子高生、でも顔の絶望は柊そのもの。


「ぶはっ……似合ってるのがまた最悪……!」


 麻斗は腹を抱えて笑い転げ、優斗はそっと後ろを向いて肩を震わせた。


「お前らほんっと許さねぇ……一生祓いの訓練だからな……」

「いいじゃんいいじゃん!美少女女子高生3人組陰陽師ってことでさ!」


 麻斗はスカートをひらりと揺らして、くるりとその場でターン。


「絶対人気出るって!キャラも立ってるし!ほら、僕はクール系、麻斗は元気系、柊のおっさんは……」


 ふわりとスカートが舞い上がる。

 その姿は見事に“元気な陽キャ女子高生”そのもの。


「……地味め黒髪メガネ委員長ポジだな。文句なし!」


 満面の笑みで麻斗が親指を立てた、そのときだった。


「……おい」


 背後から、聞き慣れたはずの声——でも、今はやけに高く、低く、怒気を孕んだ声が飛んできた。

 柊(♀)はスカートの裾を無言で押さえながら、顔面だけ完全にいつもの柊でこちらを睨んでいた。


「調子に乗るなよ、麻斗。お前だけ地面に埋めるぞ」

「ひゃ、ひゃいっ!」


 ビシィッと麻斗が背筋を伸ばした横で、優斗はただ一言。


「……僕たち、なんのためにここ来たんだっけ…任務だよね。完全に前哨戦で魂が削られてるけど」


 そんな言い合いをしながら3人が校舎の中へと足を踏み入れた、その瞬間——ギィィ……ッと古びた教室のドアが、誰の手も触れていないのに、ゆっくりと開いた。

 錆びた蝶番が軋む音が、廊下に嫌な余韻を残す。そしてヒタ……ヒタ……ヒタ……っと静まり返った廊下に、何かの足音が反響する。

 ただの音ではない——足音のたびに、空気がじわりと冷えた。

 開いたドアの隙間から、どろりと“霊圧”が漏れ出す。重く、湿っていて、張り付くような気配。その場の温度が明らかに数度下がったように感じた。

 そして——姿を現したのは。

 血の滲んだネクタイを、無造作に首にぶら下げ、口元をぐにゃりと歪ませて笑う男教師の霊だった。

 顔色は死人そのもの。

 だがその目だけはギラついていて、“視えている”と確信させる光を宿していた。


 「やぁ……今日も出席してくれたね、女子たち……」


 ぞわっ、と、背筋を撫でられるような声。

 それは“姿が見える者”だけに向けられた、執着と執念のこもった挨拶だった。

 姿を現した男教師の霊を目にした途端——


「おっしゃあ!女子高生ばっか狙う変態クソ教師にはぁ!」


 麻斗がそのまま勢いそのままに、スカートをひるがえして駆け出した。


「お・し・お・き☆でぇーっす!!」


 拳に退魔の波長を纏わせ、渾身の一撃を教師に叩き込もうとするがその時——


「……見えてるよ? かわいい下着がねぇ?」


 ニィィ……と口元を吊り上げ、ギラついた目を向けてくる教師の霊。の一言で、麻斗の動きがピタリと止まり——


「無理無理無理無理無理無理無理ッ!!!」


 全力で後退、バックステップどころじゃない速度で優斗の背後に飛び込む!


「近接戦はダメ!!あいつキモすぎて無理ィ!!」


 叫びながらスカートを押さえて、優斗の背中に張り付く麻斗。


「さっきまでの勢いどこ行ったんだよ……」


 優斗が呆れを隠さず、遠い目をする。

 教師の霊はうっとりとしたように、口の端を歪めた。


「……ふふ、いいよ。ちゃんと出席してくれて嬉しいよ、ねぇ……女子たち?」


 その言葉に、柊(女子高生姿)がブチンッと何かが切れた音を立てた。


「……うっせえカス。さっさと終わらせんぞ」


 柊が苛立ちを隠すことなく、制服の胸ポケットから煙草を取り出し、ライターを弾いた。

 火がついた瞬間、辺りの霊気がビリリと震える。怒気とともに放たれる柊の殺気が、教師の霊に真っ直ぐ向けられたが、しかし——


「ダメじゃないかぁ……高校生は、煙草禁止だよぉ?」


 ヒュッ、と風を切る音と共に、男教師の霊が一瞬で柊の目の前に現れた。

 間合いゼロ。

 まるでずっとそこにいたかのような、ぴたりとした距離でその手は、柊の煙草の火元に伸びたと思うと、ジリッ、と音を立てて指先で火を潰す。


 「ふぅ……」


 ついでと言わんばかりに、男教師は柊の顔にそっと息を吹きかけた。

 近すぎる。

 不自然にゆっくりした動作。

 あきらかに“わざと”やっている。

 その顔は微動だにせず——ただ、目だけが完全に、獲物を見る眼だった。


「その煙草、先生が没収してあげるよぉぉぉ〜〜〜?」


 男教師の霊がニタァと笑いながら、柊へ一気に飛びかかるその瞬間——


「……あァ?」


 柊の目が細まり、くわえていた煙草の火が、ふっと紅く灯る。


「じゃあ、先生も一服してけよ」


 パチンっと指を鳴らした音と同時に、柊の手元から煙草がふわりと宙に舞った次の瞬間。


「——術式・封煙爆灰燼ノ口


 舞い上がった煙草が、空中でぶわっと爆ぜた。術式の火と煙が炸裂し、濃密な霊力が弾けるように教師の顔面に直撃!


 「っ……く、うぅ゛ぅぅぅッ!!」


 霊の皮膚が軋み、煙が食い込む。

 けれど教師はその場でよろめきながらも、怒りに目をギラつかせた。


「先生にッ!!暴力なんてッ!!!許さないぞぉぉッッ!!」


 バサッっと廊下に残されていた教科書たちが、一斉に浮かび上がる。

 ページを開いたまま、刃のように鋭く、ナイフの群れのように襲いかかってきた。


「うわっ!? さすが柊のおっさんは大人だな!!戦い慣れてる!!」


 麻斗がテンションのまま叫ぶが——


「慣れじゃねえ!!くるぞ!!避けろお前らァ!!」


 柊が叫んだその瞬間、教科書の群れが空を裂き、迫り来る。殺到する教科書の群れのその鋭さは、紙とは思えない。


「っぶな!」


 麻斗が地を蹴って軽やかに回避する一方、優斗と柊はすでに対応していた。


「結界展開」

「防陣合わせるぞ、優斗!」


 ふたりの前に、バチィッと霊力の壁が展開される。襲いかかる教科書が、透明な防壁に激突し、紙吹雪のように破れ、舞った。


「……いける」


 優斗が冷静に息を吐き、次の術式を組み始める。その指先に淡い霊光が集まり——その瞬間だった。

 ふっ——と背後に気配。


「……!」


 振り返る暇もないほど、密着するほどの距離で、声が囁かれた。


「君は……とっても、いい匂いだ」


 すん、と首筋を嗅ぐような生々しい音。

 ぞわり、と、全身を撫でられたような戦慄が走る。優斗の背筋を、ぞわりと這い上がる不快感。首筋をすんと嗅がれたあとの、耳元の低い声。


「……後で、空き教室に来なさい」


 それを聞いた瞬間に、優斗の目が、スッと細くなる。


「……気持ち悪いんだよ、変態が」


 その呟きとともに、彼の足元に術式陣が閃く。


「——術式・束縛の連鎖縛怨陣


 淡い光の鎖が地を這い、まるで獣のように男教師の霊へと絡みつこうと伸びるが——


「ふふ……怒った顔も素敵だね」


 男教師は気色悪い笑みを浮かべたまま、優斗の手をすり抜けるように、ふわりとひらりとステップを踏み、そして、バッっと廊下の窓ガラスが音を立てて開かれ、教師の霊がそのまま勢いよく外へと飛び出す!


「っ!」


 優斗が窓に駆け寄るが、男教師の霊は、夜の校庭をふわりと舞うように越えて、向こう側の別校舎の屋上へと着地していた。

 手をひらひらと振ってくる。


「まってるからねぇぇえ……放課後、特別指導ぉ……」


 声が、風に乗って届き、優斗は無言のまま、窓枠を握る。

 そこに、ふらりと近づく麻斗。


「……兄ちゃん、怒った?」

「……怒ってる。というか気持ち悪さで精神的に削られてる」


 すぐ背後では、柊が火の消えた煙草を無言で噛み砕き、麻斗はスカートを押さえたまま、麻斗がその場にしゃがみ込んだ。


「もぉおお無理……きもい……おえぇ……」


  さっきまでの勢いはどこへやら、顔色を真っ青にして、口元を押さえてうずくまる。


「女子高生って……大変なんだな……これ毎日だったらメンタル死ぬわ……」


 呟く声が震えている。

 その背中に、ポン、と大きな手が乗せられたのは柊だった。


「まだ終わってねえぞ」


 その言葉に、麻斗が顔を上げかける。


「見た目だけ女子になってるが……それに合わせて身体も“女仕様”に調整されてる。霊力の質や波長に大きな変化はないが——基本的な筋力、瞬発力、体幹は下がってんだよ」


 淡々と、現実を突きつけるように。

 麻斗は、ぴくりと顔を引きつらせる。


「え……ってことは……俺、殴り合いでも全力出せねぇ……?」

「そういうことだ。調子乗って突っ込んで、当てられたら簡単に骨折れんぞ」


 ズンッと胃に落ちてくるような事実。

 麻斗は目を見開いたまま、そっと優斗の背後にずりずりと這って戻る。


「……兄ちゃん、俺しばらく後衛になる……」


 ズルズルと優斗の背後に逃げ込む麻斗の様子を見て、柊が鼻で笑った。


「いやお前、後衛で何ができるんだよ」


 ぴしりと突き刺さるような声に麻斗がピタッと動きを止める。


「術式はサボる、結界も貼れねぇ、援護もできねぇ……」


 柊はジト目で麻斗を見下ろした。


「——それ、ただの荷物だろ」

「…………」


 その場でフリーズする麻斗に、柊が追い打ちをかける。


「術をサボってたツケだ。黙って前線に出とけ」


 バッサリと情け容赦ない現実を、一言で切って落とされた。


「えぇ……」


 絶望しかない声が、麻斗の喉から漏れ、しばしの沈黙の中、柊がくるりと踵を返す。


「……とりあえず追いかけるぞ」


 そう言って、男教師の霊が消えていった校庭の向こう——別校舎を目指して、駆け出した。

 その背中には、もう迷いも躊躇もなく、優斗もすぐに後を追って走り出す。


「麻斗、行くよ!」

「えぇえ……まだ心の準備が……!」

「逃げ遅れたら耳元で『匂いがいいね』って言われるぞ?」

「行きます!!ダッシュで行きます!!」


 涙目のまま、麻斗が全速力で後ろからついてくる。夜の校庭を駆ける三人の女子高生姿の陰陽師。

 霊気がじわりと満ちていく中、空気がまた一段と、張り詰めた。

 別校舎の入り口は、古く歪んでいて、鍵はとうに壊れており、柊が躊躇なく押し開けると、ギィ……と嫌な音を立ててドアが開く。

 中は真っ暗で人の気配はない。けれど空気は、外よりも重く湿っていた。天井からは、蛍光灯の残骸がゆっくりと揺れている。


「……生徒の気配は感じないけど、ここ、何か残ってる」


 優斗が小さく呟く。

 目を細めて、うっすらと漂う霊圧の“濃さ”を感じていた。廊下の壁には、色あせた掲示物があり、「文化祭準備!みんなで作ろう!」の文字が歪み、破れ、貼りっぱなしのポスターが風もないのに微かに揺れている。すると、——ヒタ、ヒタ、ヒタ……と階段の上から、足音。

 誰かが、ゆっくりと階段を降りてくる音だった。


「来るぞ……!」


 柊が低く呟くと同時に、麻斗がびくっと身体を強張らせる。

 階段の影から現れたのは——さきほどと変わらぬ、男教師の霊。

 口元にはぞっとするような笑みを浮かべたまま、ゆっくりと彼らを見下ろしていた。


「いい子たちだねぇ……ちゃんと、ついてきてくれるんだ……」


 両手には、黒く汚れた出席簿とチョークの束。その足元には、何かがうごめいていた。……ランドセル、制服、体操着。散らばる“持ち物”だけが、まるで積もるように置かれていた。


「これから……“補習”を始めようか」


 男教師の目が、ぞくりと、柊たち三人をなぞる。


「これから……“補習”を始めようか」


 男教師の霊が、笑みを深めた瞬間——パァンっと出席簿をバンと閉じる音が空間を裂く。

 直後、床一面が術式のように赤黒く染まったと思うと、そこに、過去の“出席者たち”の名前が次々と浮かび上がった。


「補習対象、生徒三名。開始するよぉ……!」


 出席簿から放たれた黒いチョークが、まるで無数のナイフのように空中を旋回し始めた!


「くるぞ!!」


 柊が叫び、指を振り抜く。


「防陣展開ッ!!」


 瞬時に、床から突き上げるように結界が立ち上がり、チョークの刃がバチンバチンと防壁に弾かれるたびに、火花のような霊光が弾けた。


「優斗、右に回れ!俺は前に出る!」


 柊が左に展開、優斗は右へ回り込む。

 教師の霊はひとつ、舌打ちしながら手元の黒板を叩いた。


「私語は禁止だよぉ……」


 その言葉とともに、教室の壁という壁がガラガラと崩れ始める!崩れた壁の中から現れたのは——ぐにゃりと崩れた顔の“制服姿の霊たち”。

 補習で消された、生徒たちの残留霊。


「麻斗、行け!!!」

「りょーかい!!!」


 スカートを押さえつつ、麻斗が飛び込み、拳に退魔の波長を込め、接近してきた制服霊を回し蹴りで吹き飛ばす!


「男子も女子も殴る時は平等だァァア!!」


 呻き声とともに霊が弾ける。


「優斗、術式間に合うか!?」

「あと3秒!」


 優斗が精密に式を繋げていく。

 柊が前線で教師の霊に向かって突き出すように札を投げる!


「術式・制圧縛!《五封陣》ッ!!」


 札が教師の霊の四肢と額に張りつき、バチンッと術式の光が走る!

 その瞬間、優斗の声が重なった。


「——式・鎮雷幽閃!!」


 優斗の指先から走ったのは、音もなく沈んだ一閃の雷。それは、まるで魂そのものを撃ち抜くかのように、教師の胸を貫いた。


「っぐぁッッ……!?」


 男教師の霊の身体がのけ反り、霊気がバリバリと弾け、雷が貫いた男教師の霊の身体が、バチバチと音を立てて痙攣する。

 五封陣の術式が全身を締めつけ、足元から崩れ始める霊体。


「っぐぅぅ……でもまだ……終わらな……」


 ギラリと目を光らせ、なおも悪足掻きしようとしたその時——


「先生ぇぇええええ!!!」


 飛び込んできたのは麻斗だった。勢いよく駆けながら、拳に全力の退魔の波長を纏わせる!


「お前なぁッ!!女子高生のスカートの中をッ!!覗いた時点でッ!!アウトなんだよおおお!!!」


 魂ごとぶち抜くような渾身の拳が、教師霊の顔面に炸裂し、波長の爆発が霊体の内部から吹き飛び、教師の霊が光に砕けるように崩れ落ちる。


「うぐぁ……出席簿が……まだ……」


 最後に出席簿がふわりと宙に舞い——パラパラとページがめくられ、風に散った。

 空気が、ふっと軽くなる。

 漂っていた嫌な霊気が、すうっと消えていった。


「……終わった、か」


 優斗が息を吐き、術式を解く。

 柊も肩を回しながらふう、と煙草を咥え直す。麻斗は、スカートを抑えたまま拳を突き上げた。


「勝ったあああああああ!!変態教師に勝ったぞおおおお!!」

「……冷静に考えて。喜んでるけど女子高生姿のままだからね」

「ぐっ……それは早く忘れたい!!早く戻りたい!!!」


 すると、ふわり、と優しい風が吹くように、3人の身体が淡く光に包まれる。

 制服がほどけるように形を変え、姿が元に戻っていく。


「……あ、戻った」

「よかったあぁぁぁぁぁ!!もう一秒もこの格好ムリだった!!」


 麻斗が思わずその場で崩れ落ちる。

 柊は、懐からひょいと急須を取り出すと、

 じっとそれを見下ろした。

 あの、おぞましいほど無駄に明るいターバン男はもう出てこなかった。


「……この急須は俺が厳重に封印する」


 静かに、けれど確かな口調で柊が言い切った。

 月明かりの差す廃校の中、残されたのは、古びた急須と、疲労感と……ほんの少しの達成感だけだった。


 ◆ ◆ ◆

 そしてあれから数日後のこと。

 神社の境内には、いつもと変わらない、のんびりとした空気が流れていた。

 澄んだ青空。揺れる木漏れ日。鳥の声——だけど、そこに座る双子のどちらも、どこかぐったりしていた。


「……結局、俺だけダメージでかかった気がする……」

 

 蚊の鳴くような声で、麻斗がゴロリと縁側に寝転がる。


「“女子高生になって戦闘”ってワード、もう一生聞きたくねえ……」

「言い出しっぺは誰だったっけ?」


 優斗が隣でお茶をすすりながら、淡々と返す。


「いやあれはこう……勢いというか、勢いの犠牲というか……」

「“妹だよ!”ってはしゃいでたお前が、一番ノリノリだったけどね」

「ぎゃっ……それは言わない約束で……!」


 どこか穏やかで、でも少しだけ恥ずかしさの残る数日間の記憶。

 ようやく普通の日常が戻った、そう思ったその時——カラカラ、と鳥居の向こうから足音が響いた。

 現れたのは、スーツ姿の男。

 清潔感のある眼鏡。控えめなネクタイ。

 そして、やけに腰の低い笑顔を浮かべていた。


「初めまして! あかつき遊園地・運営統括の**吉住貴一(よしずみ たかいち)**と申します!」


 その第一声に、麻斗と優斗の顔から、一気に血の気が引く。


「……遊園地って、絶対まともじゃねえよな」

「……嫌な予感しかしない」


 柊神社。再び、非日常の風が吹こうとしていた。


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