第33話 魔法の急須!? 前編

 犬神の依頼を終えた翌日。

 優斗は社務所の一角で術式ノートを広げ、静かに復習に取り組んでいた。

 一方その頃——


「はあぁ……なんで俺だけ……」


 麻斗は蔵の前で、ほうきを片手に盛大なため息をついていた。

 柊から「術式使えねーなら身体動かせ、掃除な」と一方的に命じられ、渋々蔵の整理をする羽目になっていたのだ。

 重い木箱をどかし、埃にくしゃみを連発しながら、一番奥の箱を開けたそのとき——麻斗はポカーンと口を開けたまま、動きを止めた。

 目の前で、古びた急須の注ぎ口からふわ〜っと湯気のように煙が立ち昇り——


「何でも願いを叶えて差し上げましょう!」


 ターバンを巻いた、ムキムキ半裸の男がド派手に登場した。


「……え、ジー…」

「違います! 急須の魔人です!」

「……は?」


 麻斗は急須と男の腹筋と急須、という二度見をしながら、言葉を失っていた。


「急須の……魔人?」

「いかにも! 我はこの急須に封じられていた、願いを叶える存在! さあ、若者よ、望みを口にするがよい!」

「……いやいや、ちょっと待て! 急須から出てくるって何!?普通ランプだろ!?」

「時代は進んでおりますので」

「んな理由あるか!むしろ退化してるだろ!ってか服着ろよ!腹巻きだけでも!」

「我は衣服に縛られぬ自由なる存在……!」

「縛られろよ!!!」


 ツッコミながらも、麻斗の中に“ある言葉”が引っかかっていた。


「……つーか、マジで願い事ってなんでもいいのか?」

「はい!恋、富、力、学力、何でも!ただし——願いは三つまで!」

「三つも!? よっしゃ来たーーー!!」


 麻斗は突然目を輝かせ、指を突き上げた。


「じゃあまず! テストの点数アップで!! 前の中間、俺0点だったから!! 今度こそ優斗を超えてみせる!!」

「かしこまりました!」


 急須の魔人がパチンと指を鳴らすと、麻斗の体が一瞬だけ淡い光に包まれた。


「……え、これで終わり? なんか変わった気しないんだけど……」

「次のテストを、お楽しみに!」


 狐につままれたような気持ちで、麻斗がぽや〜んとしていると、蔵の扉がガラッと開いた。

 そこに現れたのはノート片手の優斗。


「うるさいぞ麻斗……って、お前何やってるんだよ」

「聞いてくれ兄貴! この急須、マジでヤバいんだって! 願い事、三つ叶えてくれるってよ!マジモンの魔人!」


 麻斗は超ご機嫌で、急須を指さす。

 優斗はその横で半裸で仁王立ちしている男を見て、眉間にしわを寄せた。


「……お前、また変なもん拾ってきたな」

「変じゃないって! 急須だって!注ぎ口から、ぷしゅ〜って出てきて!」

「それが変なんだよ……」


 優斗は無言で魔人を上から下まで見下ろす。

 ターバン、筋肉、裸、キラッキラの笑顔。完全に不審者。


「ご安心を! 私はただ願いを叶えるだけの、善良な魔人です!」


 魔人は誇らしげに胸を張るたびに、筋肉がムッキムキに踊る。


「じゃあ、お前の目的は?」

「人々の願いを叶え、感謝されること!」

「……怪しい」


 優斗の目がさらに細くなる。


「願いの代償は?」

「ありません!」


 満面の笑みで即答する魔人。

 優斗は一拍置き、ジト目で魔人を睨んだあと、冷たく言い放つ。


「……じゃあ二つ目の願い。今すぐ消えろ」

「おいっ!? それ俺の魔人だから!!」


 麻斗が慌てて割り込む。


「主は俺! 願いを言えるのは俺だけだよな!?」

「ええ、もちろん!」


 魔人が爽やかに頷くと、優斗はさらにジト目を深くした。


「……じゃあ、せめて服は着てくれ」

「それは叶えられません!」

「じゃあ麻斗、早く消せ。ついでにさっさと掃除もしろ」


 優斗のジト目が光るなか、麻斗はふくれっ面で言い返す。


「優斗はいっつも口うるさいんだよ!」

「蔵掃除しろって言われてただろ。煩くなんかない。煩いのはお前だ、麻斗」


 ぶすっと頬を膨らませていた麻斗だったが、ふと何かを思いついたように顔を上げ、にやりと悪戯っぽく笑った。


「じゃあ……二つ目のお願い、優斗を女の子にしろ!」

「かしこまりましたぁ!」

「は?おい!? お前なに勝手にっ——!?」


 麻斗が「これで兄貴の説教顔も、ちょっとは可愛くなるだろ」と頷く横で、急須の魔人が軽やかに指を鳴らす。

 パチン——という音とともに、優斗の身体がふわりと光に包まれた。

 光はすぐに消え、空気が一瞬ふわりと艶やかに変わった気がした。

 そこに立っていたのは、確かに優斗——だが、明らかに“様子が違う”。

 髪は少し伸びて、さらりと肩にかかる黒髪。

 眼鏡越しの瞳は変わらないのに、輪郭が柔らかく、睨みつけていてもどこか色っぽい。

 そして何より、白シャツ越しに見える、控えめな——


「え、ちょ、ちょっと待って……え、優斗、だよな……?」


 麻斗が思わず引きつった声を上げる。


「……僕にそれを聞くのか?」


 低く、でもどこか艶っぽさの混じった声。

 優斗は明らかに怒っていた。見た目が変わっても、中身は変わらない。いや、むしろ怒りの圧が強まっていた。


「……麻斗」

「は、はいっ」

「あと一つ、願い残ってるよな」

「えっ、う、うん……?」

「今すぐ、元に戻せ」

「……えっ、やだ」

「やだ!?!?!?」


 麻斗はぷいっと目を逸らしながら、小声で呟く。


「しばらくこのままでいよーよ……兄ちゃんの怒鳴り声、なんかちょっと色っぽいし……」


 その瞬間、優斗がすぅっと無言で立ち上がり、麻斗に一歩、また一歩と近づいてくる。


「おい、麻斗……話し合おうか」

「ぎゃーーーっ!!」


 悲鳴を上げて逃げ出す麻斗。

 その背後から、ゆっくりと、でも確実に迫る優斗の気配。


「待て、麻斗。逃げても無駄だぞ」

「ムリムリムリムリ無理ーーーッ!」


 必死に逃げる麻斗だったが、悲しいかな、座学も術式もサボり続け、もっぱら肉弾戦で戦ってきた男。身体能力だけは本物だった。


「女に遅れは取らねぇんだよ!!」

「その“女”にしたのは誰だと思ってるんだ!!」

 

 優斗は、いつもより動きにくい身体に肩で息をしていた。


「くっそ、すばしっこい…!」


 白シャツの裾を翻しながら走る優斗が、ぴたりと足を止め、手をかざして術式を展開する。


「……足止め、かける」


 床に淡く術式の陣が浮かび、麻斗の足元にバチン!と閃光が走った。


「うおっ!? うわああ足が止まったぁぁぁ!?」


 蔵の縁で見事に転倒した麻斗が、派手にゴロンと転がる。

 その上に、しずしずと優斗が迫ってくる。


「さて……さっさと願いで戻してもらおうか」

「ま、待て兄ちゃん!あれだ、アレ!これ使うしかねぇ!!」


 麻斗が焦りながら両手を突き上げ、急須の魔人に叫ぶ。


「三つ目のお願い!この術式を解け!!!」


 パチン!


「かしこまりましたぁ!」


 瞬時に術式の拘束が解除され、麻斗の身体がスッと自由になる。


「よっしゃあ!逃げるぜ!!」


 起き上がって再び走り出す麻斗——しかし、後ろから冷ややかな声が飛んできた。


「……おい。雑に三つ目の願い使うなよ……」


 優斗の低くて艶のある声に、麻斗はピタッと動きを止める。


「僕、まだ戻ってないんだけど」


 その場に凍りつく麻斗。


「……え?」

「三つ目の願い、術式解除だけに使ったよな?」

「……え、ちょ、えっ!? いやでも、今の状況的にそうするしかなかったじゃん!?だって足止めされてたし、兄ちゃん超こわかったし!」

「怖くさせたのは誰だと思ってるんだ」


 ゆっくりと迫ってくる優斗の気配と、魔人は「叶えました!」と満面の笑み。願いは三つ、使い切った。


「じゃあ、どうやって戻すの……?」


 麻斗の顔がみるみる青ざめていく。


「……兄ちゃん、冗談だよね?」

「……さあ?」


 優斗の眼鏡がキラーンと光ったような気がした。


「お前が全部終わったら、僕、自力で戻る方法探すから……それまでよろしくね?」

「うわああああああああでもいいじゃんねえ可愛いんだからさ!!!!!!!!!」


 夕暮れの神社に、阿鼻叫喚の悲鳴と、神社の境内に、ドタバタと駆け込んできたふたりの足音が響いた。


「まて!!麻斗!!」

「やだあああああ死にたくないぃぃいい!!」


 逃げる麻斗、追う優斗(♀)。

 白シャツが翻り、髪がふわりと舞う。

 その光景に、社の前で箒を手にしていた柊が顔をしかめた。


「……何やってんだお前らは!!!」


 怒声が境内に響く。

 ふたりがピタッと動きを止め、硬直した。

 柊は両手を腰に当て、バチバチに怒気を纏って詰め寄る。


「ったくよ……掃除も勉強も、言われたことひとつまともにできねぇのか!?」


 そしてふと、優斗の姿を正面から見て、動きを止めた。


「……ってかなんで優斗、女になってんだよ!?っていうかどうなったらそんな事態になるんだ!?!?!?!?」


 完全に素で動揺した柊の目が泳ぐ。


「お前、性癖とかじゃないよな? な? 違うよな!?」

「……麻斗の、二つ目の願いです」


 優斗は額に手を当て、心底疲れた顔で答えた。


「急須の魔人が出てきて、勝手に叶えられました」

「はぁ!?」


 柊が思わず素っ頓狂な声を上げるが——


「あぁ……あー……」


 次の瞬間、柊が何かを思い出したように頭を掻いた。


「それ、昔俺も見たことあるやつだな……茶器に封じられた低級召喚霊の一種だ。確か……たしか2時間くらいで効果切れるぞ」


 すると、横で浮かんでいた急須の魔人が、にこにこしながら頷いた。


「えぇ、その通り! 私の力、そんなに長くは持ちませんので!」

「はよ言えよ!!!!」


 優斗と麻斗の声が、完璧にハモった。


「え?言わなくても伝わるかと……」

「伝わるかあああああ!!!」


 夕焼けの境内に、怒声と笑いとため息が交錯した。


「……え、じゃあ待って。俺の1つ目の願い、テストの点数アップって……」


 麻斗が不安げに急須の魔人を見る。


「えぇ!もちろん叶えましたとも!」


 魔人は満面の笑みで、誇らしげに胸を張る。


「……ただし、2時間以内に受けたテスト限定ですけどね!」

「……」


 麻斗はその場でゆっくりと膝をつき、

 さらに手をついて、顔を地面すれすれに落とした。


「……じゃあ意味ねえじゃん……」


 神社の夕暮れ、静かに流れる風の中、麻斗の絶望だけがずっしりと重く残っていた。

 そんな麻斗を意に返さず、柊が考え込む。


「……そういえば、そんなもんもあったな…ちょうどいいかもしれねえな……」


 夕焼け空を背景に、柊が消えていった急須の魔人の残り香を見つめながら、ぽつりと呟いた。

 その声はいつもの軽口とは違い、どこか考え込むような低さだった。

 しばし黙っていた柊は、ふっと口元を吊り上げた。


「……よし。ちょうどいい。夜中、依頼が一件入ってる。怪異退治だ。優斗も麻斗も準備しとけ。夜、神社集合な」

「えっ……ちょ、ちょっと待て!? 今の流れで!?」


 麻斗が、膝ついた姿勢のまま顔を上げて叫ぶ。


「兄ちゃん女のままだぞ!? 俺、精神的にけっこう限界近いんだけど!?」


「2時間で戻るだろ……内容は現地で話す。じゃ、解散」


 柊はそれだけ言い残して、さっさと社務所の奥へと歩いていった。

 ふたりの返事すら聞いていない。


「……あの顔、絶対ろくでもない内容じゃん……」


 優斗が冷ややかな声で呟いた。

 その横で麻斗が、なおも地面に突っ伏したまま呻く。


「せめて……せめて兄貴が元に戻ってからにしてくれ……俺のメンタルが死ぬ……」


 落陽の影が長く伸びる境内で、不穏な夜の始まりを告げる空気だけが、ゆっくりと濃くなっていく——。

 そして、境内を歩きながら、夜の任務に備えてそれぞれの準備を考えていた矢先——ふいに、麻斗が横に並ぶ優斗に視線を向けた。

 その顔はいつになく真剣。

 ぐっと何かを堪えるような表情で、口を開いた。


「……兄……いや、姉ちゃん」


 優斗の足がぴたりと止まる。

 ほんの一瞬、沈黙。虫の声すら止まったような静寂。


「……戻る前に……さわっても、いい?」


 顔は真面目。でも発言は完全にアウト。

 その場にいた空気が、一瞬で“霜”に変わったように冷え込んだ。

 優斗がゆっくりと振り向く。

 その表情は、いつものクールなそれ——に見えて、明らかに“怒気”が含まれている。

 口元は笑っていない。

 でもその目だけが、全力で「許さない」と語っていた。


「……麻斗」

「は、はいっ」

「……戻る前に、“殴って”いいよね?」

「えっ」


 その瞬間、優斗の掌に淡く術式が浮かぶ。


「えっえっちょ待っ兄ちゃん!? いや姉ちゃん!? ちがっ俺今の本心じゃな——」


「問答無用だよ。座学サボりの末路を体に刻むといい」

「ぎゃああああああああああ!!!!!」


 夕闇の神社に、再び響く麻斗の絶叫。

 任務前とは思えない、賑やかな混沌が広がっていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る