第35話 お化け屋敷に永住しませんか?
柊神社の境内に、足音がひとつ響く。
スーツ姿の男が、姿勢を正して鳥居をくぐってきた。
きっちりと整えられた髪。清潔な身なり。無駄のない所作。どこからどう見ても、“ちゃんとした”会社員そのものだった。
「はじめまして!」
男は社務所の前にいた柊に深々と頭を下げる。
「あかつき遊園地、運営統括の吉住貴一(よしずみ たかいち)と申します」
ぴしりと丁寧に名刺を差し出す。
受け取った柊が一瞥して目を細めた。
「この度、我が遊園地では——“お化け屋敷”の改修を行うことになりまして。ぜひ“本格的”なものに仕上げたいと考えておりまして!」
吉住の声は明るく、誠実そのもの。
「オーナーの鷹司徹様より、“霊的な知見のある方を”とご紹介を受けました。“柊神社の神主様に頼め”と」
その言葉に、柊の表情がほんのわずかだけ曇る。
「……あー……あいつか。めんどくせぇの押し付けやがって……」
柊が煙草をくわえながらこめかみを揉む。
その会話を、社務所の奥からこっそり聞いていた優斗と麻斗。
「遊園地の依頼……ってことは、お化け屋敷に実際霊が出たって話だよな」
優斗が静かに眉をひそめる。
麻斗は腕を組んだまま、顔をしかめた。
「……遊園地って、絶対まともじゃねぇよな。派手で、人集まって、霊も寄ってきやすいし……」
そう言いながらも、服の裾をそわそわとつまむ。
「……けど、ちょっと行ってみたいって思ってるだろ」
優斗がチラと横を見ると、麻斗はバツの悪そうに視線を逸らした。
「……し、仕事だし?調査だし?それにお前、あかつき遊園地って修学旅行で行ったことないじゃん」
「理由がどんどん小学生みたいになってる」
呆れたように息をつく優斗の隣で、柊がふっと煙を吐いた。
「……ま、詳しい話は吉住さんから直接聞こうぜ。どうせ平和には終わんねぇんだしな。本格的なものに仕上げたいってどういうことだ?」
吉住は胸を張って、目をきらきらと輝かせた。
「ぜひ、幽霊を! 本物の幽霊を!我があかつき遊園地の“お化け屋敷”に住まわせていただきたいのです!!」
空気が一瞬、止まった。
「…………は?」
柊の眉がぴくりと跳ね上がる。
吉住はまるで気にした様子もなく、熱量たっぷりに続ける。
「そのお化け屋敷の名は——**《百怪ノ夢幻屋敷(ひゃっかいのむげんやしき)》**と申します!」
やたらかっこいい名前を口にしながら、嬉しそうに手を組む吉住。どうやら命名にも並々ならぬこだわりがあるらしい。
柊は呆れ顔で天を仰ぎ、すぐそばに寄ってきていた優斗も、完全に顔が「は?」だった。
「……あのさ、常識って言葉、ご存知?」
一方で、麻斗はポンと手を叩いた。
「いや……まともじゃねえとは思ってたけど……おもしれーじゃん」
目を輝かせてるのはどっちだかわからない。
そして吉住は、さらに封筒を取り出す。
「ちなみに! 報酬は、一体住まわせるごとに、これくらいを……」
封筒からスッと出された契約書の金額欄に、柊がちらりと目を落とした瞬間——
「乗った」
即答。
「おい!!」
即ツッコミした優斗の声が、神社の境内に響いた。
◆ ◆ ◆
吉住が何度も深々と頭を下げながら帰っていったあと、神社の空気がようやく、静けさを取り戻した——と思いきや。
「……ふむふむ、ここの展示スペースに1体、階段下に1体……」
柊はすでに真剣な顔で、吉住が置いていった《百怪ノ夢幻屋敷》の改修図面を広げていた。
その横で、電卓を叩きながら小さく頷いている。
「……合計で15体は配置できるな。で、1体につきこの金額だから……」
ピピッ、ピッ、と弾かれる数字。
「……っしゃあ、これは神社の屋根張り替えられるぞ!!」
思わず柊の目がキラッと光った。
その横で、図面を覗き込んでいた麻斗も、キラキラした目で身を乗り出す。
「なあなあ兄ちゃん!この“地下牢エリア”とかめっちゃアツくね!?ボスっぽい怨霊とか配置してさ!あと、声がめっちゃ響く部屋とか……!」
「……もう君、お化け屋敷プロデューサー目指したら?」
優斗は呆れたように茶をすすりながら、図面に目を落とし、そして一言、ぼそり。
「……どうして僕たちの仕事、いつもこうなるんだろう……」
「現場が呼んでるからだよ」
柊が真顔で答え、ずいっと前に出ると、図面の上からビシィッと人差し指を突き出した。
「この仕事の鍵は——お前だ、優斗!!」
いきなり名指しされた優斗は、目元をぴくりとさせた。
「……は?」
「霊にモテモテ!怪異に好かれ!交渉力も抜群!いまこそその体質と顔と声と雰囲気を、フルに活かす時だろ!!」
柊の目はすでに、霊ではなく——屋根の張り替え業者との契約書でいっぱいだった。
「俺はもう見えてる……ピカピカになった本殿の屋根と、金色の稲荷像……ッ!!」
「ちょっと待って、それ僕が“口説いてくる”って話になってるよね?」
優斗の声は底冷えするほど冷静だったがその横で、麻斗が拍手しながら言った。
「兄ちゃん、得意分野じゃん!霊のハート鷲掴みしてこいよ!」
「……僕は心霊ホストじゃない」
即答するも、柊は図面を畳むなり、立ち上がった。すでにタブレット片手に検索を始めている。
「よし、早速口説いてこい。お前らのノルマは10体だ。手分けするぞ」
まるで営業会議のようなキレのある号令が境内に響く。
「え、あの、今“口説いて”って言ったよね?」
優斗が眉をひそめたまま問うが、柊は完全に聞いていなかった。
「怪異出没履歴は俺がまとめる。エリア分担して霊ごとに優斗をぶつける。麻斗は護衛兼、雰囲気盛り上げ係だ」
「雰囲気盛り上げ!?俺、霊のテンション上げる係!?」
「そうだ。お前は見た目が明るいし、意外と受けがいい。たぶん。知らんけど」
どんどん決まっていく役割分担に、優斗がとうとう顔を覆った。
「……誰かこの神社、ホワイト化して」
麻斗は指を鳴らしながら、にやっと笑う。
「よっしゃ!じゃあ俺、めっちゃ怖がってる女子のフリとかしてみるわ!“きゃっ、優斗くんこわ〜い”とか言えば好感度爆上がりだろ?」
「今すぐ霊より先にお前を祓いたい」
優斗が霊より先に麻斗を祓いたい衝動を必死に押し殺していると、柊がぽん、と二人に書類の束を渡した。
「スカウト候補のリストだ。日付と場所は最近の出没情報から割り出してる。お前らはこの林間のやつから行け。逆さに立ってる女の霊らしい」
「え、名前からしてヤベえやつじゃん」
麻斗が紙を覗き込んで、興味津々ににやけた。優斗はため息をつきながら、鞄にリストを収める。
「ま、変なテンション出して怒らせなければいいよ。……怒らせなければ」
「おっけー!じゃ、出発だな!俺が最初に声かけるから任せろって!」
「お前の“任せろ”が一番信用できないんだけど……」
そんなふうに軽口を交わしながら、
ふたりは林へと向かっていく。
気配はまだ遠いが、空気がすでにじわりと重くなり始めていた。
◆ ◆ ◆
柊神社を出て2人は目的地に向かう。
林に入った瞬間、空気の温度がすうっと下がった気がした。
木々の葉が光を遮り、日差しはあるはずなのに地面はほの暗い。
足元には折れた枝と濡れた落ち葉。踏みしめるたび、ミシッと乾いた音がする。
「……ここか。確か“逆さに立つ女の霊”、出没場所はこの林の奥」
優斗がリストを手に、歩を進める。
「うわー、雰囲気出てるなぁ。最高じゃん!」
麻斗はというと、まるで肝試しにでも来たかのように目を輝かせているのを横目で見ながら、優斗はボソッとつぶやく。
「怖がってる女子のフリとか言ってたやつとは思えないな……」
「いやでもさ、どんな霊なのか想像するとテンション上がらね?顔とかめっちゃ面白いかもじゃん!」
その“ワクワク”に反応するように、ふわり、と。麻斗の身体から、ごく自然に退魔の波長が膨れ上がった。
ピシッ。
どこかで、枯れ枝がひとりでに折れた音。
風が止み、空気が張り詰めていく。
「……っおい、麻斗」
優斗が足を止めて振り返る。
麻斗の身体から滲み出る“気”は、完全に霊を威嚇するそれになっていた。
「え?あ、マジ?興奮したら勝手に上がってて……てへ」
「“てへ”じゃねえ。完全に殺す気だぞ今のお前」
その時だった。
——カサ…カサッ…と枝の上から音もなく、何かが這うように動いた気配。
ふたりがハッとして見上げたその瞬間——逆さに、女の足が“ぶら下がって”いた。
枝の陰からずるりと現れたのは、逆さに宙づりになった、黒髪の女。
足は地面に届かない高さに揃って揺れている。だが、その女の“顔”は、首がくるりと反転し、まるで普通の姿勢のようにこちらを見下ろしていた。
その目は、笑っていた。
「……ひとり、ふたり……」
逆さまの女の口が、ぬるりと開く。
その声はどこか遠く、耳の奥に直接響くような、不快な音質だった。
「……新しい……ともだち……?」
その瞬間、林の空気がピタリと止まった。
木の葉のざわめきも、虫の声も、息をひそめるように消え去る。
空間そのものが、女の霊に支配され始めていた。空気が、静まり返る。
逆さの霊は、じわじわと高度を下げながら、優斗たちに距離を詰めてくる。
優斗はすぐに札を指に挟み、術式の準備に入った。
(まだ敵意はない。でも……一歩間違えば飛びかかってくる)
冷静に気配を探りながら、優斗が構えたその瞬間——
「お化け屋敷に住んでみませんかー!?」
元気いっぱいの声が林に響き渡った。
「……は?」
思わず霊の動きが止まり、優斗も隣で硬直した。
横を見ると、麻斗が満面の笑顔で親指を立てていた。
「住むだけ!本物の霊、大・歓・迎!待遇バッチリ!人を脅かすだけの簡単なお仕事で〜す!」
「……お前、どの角度から見てもただの不審者なんだけど」
優斗が低い声でつぶやいた。
逆さの霊は、じい……っと麻斗を見つめていた。その顔には、戸惑いと好奇心が入り混じったような表情。
「……“住む”? お化け屋敷に……?」
逆さまの目が、まばたきもせずにゆらりと揺れる。その声には、警戒というより“理解不能”の色が強く滲んでいた。
優斗は、すかさず一歩前に出た。
「ご説明します」
真っすぐ霊を見据え、術式の札をしまう。
その動作が、敵意のない意思表示になっていた。
「僕たちは今、依頼を受けて“本物の霊”に住んでもらうお化け屋敷を作っています。術式によって安全な結界を張った、あなたにとっても安定した空間。そこに住んでいただき、人々を“ほんの少し驚かせる”仕事をお願いしたいんです」
霊の目が、ゆっくりと優斗へと移る。
「……祓うんじゃなくて……使うの……?」
「“共存”です」
優斗の言葉は静かだった。
「無理強いはしません。気に入らなければ断ってくださって構いません。ただ、あなたの居場所を……もう少し穏やかな形で作ってみませんか」
風が、ふわりと吹き抜ける。
逆さの女の霊は、ふっと口元だけを笑い、そのまま、風に溶けるようにスゥ……と姿を消した。
霊気はまだかすかに残っていたが、明らかに敵意や警戒の色はなくなっていた——これは、前向きな“答え”だ。
「……消えた、か」
優斗が静かに息を吐く。
その隣で、待ってましたとばかりに麻斗がバンッと胸を叩いた。
「おっしゃー!いけたんじゃね!?」
にっこにこの満面ドヤ顔。
「いや〜俺の最初の一声が効いたんだな〜〜“住んでみませんか!”ってズバッと言ったのが決め手だったな、うん!」
優斗はその顔を横から見つめて、何も言わずに一歩だけ離れた。
「えっ、なにその距離感。ちょっと、えっ、褒めてくれても良くない?」
「……お前にだけは絶対営業やらせないって決めた」
◆ ◆ ◆
柊神社、社務所。
今回の報告を終えた優斗と麻斗がソファに座り込む頃には、夕日が境内を赤く染めていた。
「……というわけで、逆さ女の霊は前向きな反応。たぶん数日中に屋敷に現れるはず」
優斗がノートに記録をまとめながら淡々と報告すると、デスクの奥で煙草に火をつけていた柊が、ちらりとふたりを見た。
「へぇ、やるじゃねぇか。よし、あと9体だな」
麻斗がガタンと椅子を軋ませて立ち上がる。
「ちょっと待て!?今のって“お疲れ”じゃなくて“あと9体”!?」
柊はニヤリと笑い、煙をふっと吐いた。
「ノルマ10体って言ったろ。優斗の惹魔体質なんざ、こういうとこでしか有効活用できねえんだから、さっさとしろよ」
机の上にはすでに次のリストが準備されていた。優斗は額に手を当て、ゆっくりと深いため息をついた。
「もうこの神社、いっそ完全に法人化したらいいと思う……」
その隣で、麻斗はすでにリストを覗き込みながら目を輝かせていた。
「なになに、次は“泣き女”!? “赤い布を引きずる霊”!?おおおお!テンション上がってきた!!」
優斗は無言でリストを閉じた。
◆ ◆ ◆
数日後、しっかり霊を納品した後に柊神社の境内に再びスーツ姿の男が姿を現した。
「日吉様!柊様!本当にありがとうございました!ついに、ついに!“百怪ノ夢幻屋敷”が完成いたしました!」
キラキラした目とほとんど直角なお辞儀で頭を下げるのは、あかつき遊園地の運営統括・吉住。
手には招待チケットと案内状、そして分厚い報告書。
「ぜひぜひ!皆さまに見ていただきたく!本物の霊が“住んでいる”お化け屋敷、いよいよ明日オープンでございます!本日はご案内させていただきます!」
その様子を面倒くさそうに眺めていた柊が、煙草を咥えながらポンと立ち上がった。
「……ま、最終調整ってことでな。行くぞ、坊主共。」
「うっわ、完全に“仕事”って顔してる……」
優斗がノートを鞄にしまいながら、じとっとした目でつぶやく。
「へへっ、でも行くの楽しみじゃん?自分がスカウトした霊がちゃんと働いてるとこ、見てみてぇし!」
麻斗はすでに行く気満々でスキップしながらチケットをポケットに突っ込んでいた。
「……働いてる、のか……?」
なんとも言えない顔のまま、優斗は社務所の戸を閉めた。
◆ ◆ ◆
吉住の運転する車に乗って1時間。案内されたあかつき遊園地の敷地は、まだオープン前で人影もまばら。
遊具や売店にはカバーがかかり、メンテナンスの音が時折遠くで響いているだけだった。
その一角にそびえ立つ、“百怪ノ夢幻屋敷”。
黒と朱の入り混じった和洋折衷の建物は、明らかに“異物”として風景に浮いていた。
不自然なまでに静かなその空間に、柊・優斗・麻斗の3人が立つ。
「……見た目は派手だけど、空気が重いな」
優斗がぼそりと呟いた。
空間に漂う霊気は確かに“生きて”いて、ふざけたテーマパークの一角とは思えない緊張感があった。
「ま、マジで霊いれてるからな!」
麻斗はぽんっと拳を打ち合わせて頷く。
「この雰囲気も頷けるっつーか……うん、これはガチだわ!ふだん祓ってる側の俺でも背筋にくるもんな」
柊はふう、と煙草をくわえ直しながら屋敷を見上げた。
「ま、あとは問題なく“機能”してるかだな。中、行ってみるぞ」
「それでは皆様……どうぞ!行ってらっしゃいませ!」
満面の笑顔で手を振る吉住の声が背後から響くその声を背に、柊・優斗・麻斗の3人は百怪ノ夢幻屋敷の重たい扉の前に立っていた。
すでに彼らの来訪は伝えられていたようで、屋敷の前に立つスタッフが恭しく頭を下げた。
「本日はご来場ありがとうございます。オープン前特別ご見学として、お三方には導入演出からご案内いたします」
屋敷横に設けられた控え室に通されると、
スクリーンに映し出されたのは、闇に包まれた屋敷の外観。
淡く揺れる提灯の光、鳴り響く子どもの笑い声、そして──突然消える影。
スタッフが淡々とナレーションを重ねていく。
「この屋敷には、十五の怪異が住んでいます。
見える者も、見えぬ者も……“本物”です。
訪れた方に“出会ってしまう”のは、あくまで偶然の運命です」
「……ああ、これはビビるな……」
麻斗が腕を組みながらにやける。
「これ、俺らが入ってるのが宣伝映像になったりしないよな?」
「宣伝に使われるのはお前の絶叫だけだろ」
優斗が冷たく返した。
「お時間です。それでは中へどうぞ」
スクリーンがすっと引き上げられ、奥の重たい扉が自動的に開く。中は漆黒。照明はごくわずか、薄闇の中に靄が漂っている。
「……さて、最終調整だな」
柊が言って、足を踏み入れた。ぎぃ……と音を立てて開いた扉をくぐると、そこはもう完全に“異界”だった。
暗がりの廊下、歪んだ天井、湿った木の床板。どこかからポタ……ポタ……と水音が響いて、麻斗が、わくわくしながら足音を抑えて歩く。
「……っうわ、出てるな……」
優斗が肩越しに呟いた。
照明の加減でも、冷房のせいでもない。
霊気が、明らかにあちこちから漂ってきていた──そのとき。
廊下の天井裏から、ギィ……ギィ……と、何かが這う音。影が動いたと思うと、スカウト済みの霊──“逆さ女”がぬるりと逆さに現れ、にやりと笑って3人を見下ろす。
「いらっしゃいませ……」
「おぉ〜ちゃんとやってんな!あの時より怖えぇわ」
麻斗が拍手しそうな勢いでテンションを上げた。
続いて、曲がり角の奥から赤い布を引きずって歩いてくる女。
“泣き女”だ。目元はぼやけ、すすり泣きながらふらりとすれ違っていく。
柊がふっと笑った。
「演出とわかってても、本物は空気が違うな……」
奥の小部屋の障子がカタン……と揺れた。
誰かの笑い声。子どもの足音。無人の影がふらりと立ち上がる。
どの霊も、打ち合わせどおり──完璧に演出通りに“怖がらせて”くる。
「さすが俺らのスカウト!仕上がってるわ〜〜!!」
麻斗はニッコニコだ。
「……“今のところは”だけどな」
優斗の声は少しだけ固かった。
廊下を進む3人の足音に合わせて、演出用の霊たちが順に姿を現していく。
逆さ女、泣き女、赤子の霊、影の霊──
どれもスカウトリストに載っていた面々で、
霊気は不気味でありながら、きちんと整えられている。だが、麻斗が、ふと足を止めた。
眉をひそめ、空気を嗅ぐように視線を巡らせる。
(……あれ……今の……)
明らかに、一瞬だけ“針のように鋭い霊圧”が、背後を掠めた。
演出用の霊たちの波長とは、違う。
もっと……冷たくて、攻撃的で、混ざってはいけない種類のそれ。
(優斗……これ……)
麻斗が、真顔でテレパシーを送る。
(……今、一瞬だけ、“知らないやつ”の気配がした)
その言葉に、優斗の表情がわずかに強張った。
まるで空気の中に“音のない毒”が溶けたような違和感は、確かに、それは“スカウトしていない霊”の感触だった。
優斗は素早く視線を巡らせ、静かに結界札へと手を伸ばす。
「……おかしい」
低く、けれどはっきりとした声で、柊がぽつりとつぶやいた。
煙草をくわえたまま、立ち止まる。
その目は、まるで夜の闇を貫くかのように、屋敷の奥へと細められていた。
「……この霊気。どれとも波長が合わねぇ。
少なくとも、俺が結界に通した連中のもんじゃねぇな」
柊の言葉に、優斗がピクリと目を細める。
「侵入……されたってこと?」
「結界は生きてる。けどな……こいつは“元からいた”か、“別の経路”で入り込んだやつだ」
麻斗が、自然と拳に波長を溜めながら柊を見る。
「どうする? 探す?」
「探すも何も──」
柊がポケットから別の術札を取り出し、指先で火を灯した。
「向こうがこっちに興味持って、寄ってきてる。さっさとあぶり出すぞ」
重たい空気の中、柊がふっと息を吐きながら麻斗の方に顔だけ向ける。
「先に釘、刺しとくぞ」
その声は低く、はっきりとした圧を含んでいた。
「麻斗、退魔の波長をぶっ放したら、この屋敷にいる霊、全員まとめて消し飛ぶからな」
「……っ」
一瞬で場の空気が引き締まる。
麻斗は口を尖らせてそっぽを向くと、手を挙げた。
「はいはい……わかりましたよ……っと」
言いながらも、つま先で地面を蹴って波長の収束を緩めていく。いつものように感情任せに高められないことで、少しだけもどかしそうな顔をする。
「じゃあ優斗、頼むぞ。こういう時はお前の方が得意だろ」
「……気は進まないけどね」
優斗は小さく術札を構えながら、一歩前へ出ると突然、屋敷の奥から、ガシャンッと何かが割れる音が響いた。
それは“演出の音”ではなかった。
もっと生々しい、物が壊れる――いや、“壊された”音、それに続いて、ひとつ、ふたつ。
空間に漂っていたスカウト霊たちの霊気が、スッ……と引いていく。
「……隠れた?」
優斗が目を細めた。
逆さ女も、泣き女も、影の霊も先ほどまで定位置で演出していた霊たちが、一斉に気配を引っ込めたのだ。
「……こりゃ本気でヤベぇのが出てきたな……」
麻斗が、拳をぐっと握る。
波長の暴発は抑えているが、肌が総毛立つような圧に、目を細めた次の瞬間──
ズズッ……ズル……ズル……っと床を這うような、粘り気のある音が、奥の曲がり角から聞こえてくる。
ゆっくり、ゆっくりと。
現れたのは、明らかに“ヒト”の形をしていない何か。
ぬるぬると床を引きずる下半身。
黒い血のような液体を垂らしながら、頭部だけが異様に肥大化していた。
顔のようなものはない。ただ、そこに“口”のような裂け目が開き、ひとつぶだけ、眼球が転がるように浮かんでいた。
その目が、カチリと動いて──優斗たちを、見た。
ぐずり、と液体を垂らしながら近づいてくる異形の怪異。
それを前に、麻斗は肩を竦めて言った。
「あーあ……こいつはおとなしく住んでくれるタイプじゃねーな」
顔は笑っているが、目は完全に戦闘モード。
拳を構え、全身にごく薄く波長をまとわせていく。——が、今回は普段のようにぶっ放すわけにはいかない。
屋敷の中には、味方の霊たちがまだ隠れて潜んでいる。広範囲に波長を拡散すれば、彼らまで一掃してしまう可能性がある。
「……波長、絞ってる?」
優斗が、横で術札を構えながら低く問いかけた。
「おう、ピンポイントでいく。こいつだけ沈める。」
麻斗の拳に、チリチリと退魔の波長が集まっていく。
いつもの勢い任せの一撃とは違う。必要なのは、“正確な狙い”と“最低限の出力”。
麻斗は深く息を吐いた。
「……いける、優斗、援護頼む」
「了解。こっちで牽制するから、その間に一発で決めろ」
麻斗が口の端を上げて返事すると、異形の怪異は、口のような裂け目を大きく開き、呻くような声で喉の奥からドロリとした音を漏らした。
その“声”だけで空間の温度が一気に落ちる。
周囲に漂っていた霊気すら怯え、萎縮しているのがわかった。
柊がふっと煙草をくわえ直した。
「優斗、結界の外縁、二層目を一時解いて動きやすくしろ。俺が式の陣を張る」
「了解。範囲制御、開始」
優斗が指先を動かし、空間の霊気の“層”をずらしていく。
結界の構造がほんのわずかに開かれ、柊の術式陣がすっと床に広がっていった。
「陣は十秒で完成する。その間、止めておけ。」
柊の指示に、優斗が札を構えた。
「囮、僕が引きます」
スッと走り出すと、優斗の足元から白い光の軌跡が走り、怪異の進行方向に罠の式が編まれていく。
「こっちだ、化け物。……お前の狙いは、僕だろ?」
それに引き寄せられるように、怪異がぶるんと頭部を震わせ、突進してきた。
「ッ今!」
優斗が叫ぶと同時に、麻斗が弾けたように飛び出した。
「退魔の一点打ちッッ!!」
絞り込んだ波長を、右拳に全て込める。
その拳が怪異の“顔”とも言えぬ頭部に——ズガァンッっと炸裂する。
退魔の波長が中心から放たれ、しかし一切拡散せず、まさに一点だけを焼くように打ち抜いた。直後、柊の陣が光る。
「封陣・五重絡鎖――“灰燼ノ牢”!!」
床に描かれた五重の陣が展開、怪異の身体を縛り上げ、そのまま強制転送式へと切り替わる。
グアアアアアアアァァァ——ッ!!!
怪異の悲鳴が空間を震わせ、最後の断末魔の霊気を残して、その姿は、完全に……消えた。
空間が、静かになった。
異形の怪異は完全に消え、緊張していた空気がゆっくりとほどけていく。
霊気の波も元に戻り、潜んでいたスカウト霊たちが少しずつ気配を戻し始めた。
「……よし、消えたな!」
麻斗が満足そうに拳をパッと開いて、退魔の波長を解除する。
そのままひらひらと手を振って、ズンズンと屋敷の奥へと歩き出す。
「じゃあ続きの道、進むか!せっかく見学なんだし、全部の部屋見ときたいしな〜!」
「お前……さっきの怪異のこと、完全にただのステージボスみたいに扱ってないか?」
優斗が微妙な顔をしながら、後ろからついていくその隣で、柊はふっと笑った。
「ま、あれくらいでしょげてたら陰陽師なんざやってらんねぇわな。……それにしても、よくあの距離でピン打ち通したな、麻斗」
「へへっ、兄ちゃんのサポートあったからな!俺の腕もまあ、悪くないけど?」
「調子に乗るな」
「……へい」
屋敷の通路をぐるりと回り、最後の階段を上りきった先、開かれた出口の向こうには、さっきとはまた違う外の空気が広がっていた。
——静かで、でも確かに“安定している”。
屋敷内にいたスカウト済みの霊たちも、それぞれの持ち場に戻っており、怪異が残した負の気配はすでに術式と結界で抑えられていた。
「ふぅー……やっと出口だな」
麻斗が伸びをしながら、先に外へと踏み出すしたその瞬間。
「お疲れ様でしたーっ!!どうでしたか!?」
満面の笑みを浮かべて飛び出してきたのは、もちろん——吉住。
スーツのネクタイをやや乱しつつ、目だけはキラキラと輝いている。
「オープン前のチェックとして、なにか気になる点などありましたか!?どんな感想でも結構ですのでぜひぜひご意見を!」
前のめり気味に訊ねてくる吉住を見て、優斗が無表情でひとこと。
「……怪異が混ざってた」
「えぇっ!?!?」
吉住の顔が真っ青になる。
その横で、麻斗が元気よく肩を叩いた。
「でもな!ぶっ飛ばしておいたから安心しろ!」
「えぇぇぇぇ……!?」
「ま、こっちは依頼で来てんだから、ちゃんと始末しといたってだけだよ」
柊が面倒くさそうに煙草に火をつけると、ようやく吉住はへなへなと膝に手をついた。
「……お、オープン前でよかったぁ……」
へたり込んでいた吉住が、はっと立ち上がると、思い出したように声を上げた。
「……あっ、そうでした!こちら、お約束の……」
彼が取り出したのは、妙に分厚い封筒。
見慣れた“鷹司家”の封印が施されたそれを、丁寧に両手で柊へと差し出した。
「鷹司当主・徹様より、“今回もお世話になります”とのことで……」
柊はにやりと笑ってそれを受け取ると、封筒の中身をちらりと確認し、すぐに懐へとしまい込んだ。
「まいどあり……っと。ほんと鷹司家は太っ腹だなあ……おかげで煙草が切れずに済む…これで屋根の改修も…」
優斗と麻斗には、まったく中身を見せないまま。
「……今、なにか札束の匂いがしたような気がしたんだけど」
優斗がぼそりと呟いたが、柊は知らん顔で屋敷の方に振り返る。
「よし、これで最終チェックも終わりだな。さっさと帰るぞ、坊主共」
「え〜!俺、まだ遊園地で観覧車とか乗ってない!」
麻斗が駄々をこねるように手を振るが、
「依頼は終わった。帰ったら掃除な」
「地獄ッ……!」
夕暮れの遊園地に、笑い混じりの声が響いた。
——そして数日後。
麻斗は、忽然と姿を消した。
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