第10話 【過去編】柊神社の修行

『これから毎日、柊神社に来い。修行つけてやるよ』


 あの日の約束から、優斗と麻斗は毎日、小学校が終わった放課後になると柊神社へ通うようになった。

 神社の境内は、昼間でもどこかひんやりしていて、古い木々がざわめくたび、空気が少し重たくなる。だけど、その空気に、二人は少しずつ慣れ始めていた。


「よし、じゃあ今日は基礎からいくぞ」


 そう言った柊は、境内の隅にある砂地へ二人を呼び出すと、ざっと大きな円を指で地面に描いた。


「まずはこの結界の中に、きっちり自分の波長を保ったまま立ってみろ。麻斗は霊を寄せつけない波長、優斗は霊を引き寄せる波長……だけど、それを“意識して制御する”ってのが大事だ」


 麻斗はにやりと笑った。


「へへっ、楽勝だろ!」


 一方、優斗は少し不安そうに眉を寄せながらも、真剣な顔で頷いた。


「わかった……やってみる」

「いい返事だ」


 柊は腕を組み、彼らをじっと見つめた。


「途中で波長が乱れたら、すぐわかるからな。

 その時は……ちょっと痛い思いしてもらうかもな?」


 にやりと笑う柊に、麻斗が身構える。


「な、なんだよそれ、脅しじゃねーか!」

「脅しじゃねぇ。教育だよ、教育」


 そう言って笑う柊の顔は、いつものラフさを残しながらも、どこか厳しくて頼もしかった。

 優斗と麻斗は、互いに顔を見合わせ、小さく頷き合う。

 そして、円の中へと足を踏み入れた。

 冷たい空気が、肌を撫でる。

 二人の小さな心臓が、緊張に高鳴る。

 けれど——ここから、二人の本当の第一歩が始まろうとしていた。

 優斗と麻斗は、それぞれ大きな息を吸い込むと、足をそろえて結界の中心に立った。

 夕暮れの光が、境内の隅を朱に染め、二人の影を長く伸ばしている。


「まずは深呼吸だ。力むな。自然に、自分の中の“気配”を感じろ」


 柊の低く落ち着いた声が、優斗と麻斗の耳に届く。

 麻斗は、目を閉じると、何かを探るように自分の胸に手を当てた。


(退魔の波長……霊を……弾く……)


 小さな拳をぎゅっと握り、意識を集中する。

 その瞬間、周囲の空気がビリリと震えた。

 まるで目に見えない波が放たれたように、周囲の木々がかすかにざわめく。


「おお……やるじゃねぇか、麻斗」


柊が少し口元を緩めた。


だが——


「う、うわっ!?なんか……痺れるっ!」


 麻斗が目を開けた瞬間、足元の砂がビリビリと震え、結界の線が少し吹き飛んだ。


「バカ、出力が雑すぎんだよ!」


 柊がすかさず突っ込む。


「え、えーっ!?ちゃんとやったつもりだったのに!」


 麻斗が必死に弁解する横で、優斗も目を閉じ、自分の霊力に意識を向ける。

 だが、すぐに境内の隅から、ふわりと黒い影が立ち上がるのが見えた。


(……来た……!)


 優斗はぎゅっと目を開き、結界の中で立ちすくんだ。

 どこからともなく、小さな霊たちが、引き寄せられるように集まってきている。

 柊は眉をひそめると、すぐさま手を叩き、術式を発動させた。

 淡い光の壁が境内に走り、霊たちは追い払われる。


「……やれやれ、優斗。お前は意識した途端に周りが群がってくるな。 “抑える”ってのがまだできねぇ」


 柊は肩をすくめると、二人に近づいた。


「だがまあ……初日だ。こんなもんだろ」


 彼はそう言うと、二人の頭にぽん、と手を置いた。


「まずは自分の力を知ることだ。焦るな。

 少しずつ、ちゃんと教えてやるからよ」


 その手のひらは、温かくて、どこか懐かしい匂いがした。

 優斗と麻斗は、額に汗をにじませながら、互いに顔を見合わせ、テレパシーを送り合った。


(なぁ兄ちゃん……やっぱ、面白ぇな!)

(……うん。怖いけど、ちょっと、ワクワクしてる)


 その姿に、柊が目を細めた。


 「……お前ら」


 社殿の中に戻った優斗と麻斗を、柊がじっと見据えた。腕を組んだまま、少しだけ顔を近づける。


「前に聞いた能力以外に……まだ、何かあるんじゃないか?」


 その言葉に、優斗と麻斗は一瞬びくりと肩を揺らした。


「例えば……念話、テレパシーの類とかよ」


 柊は驚く二人を見ながら、ふっと肩をすくめた。


「なんか耳鳴りすると思えば……お前らの顔つきが、やたらわかりやすく変わるんだよ。たぶん、普通に意思疎通してたんじゃねえかと思っただけだ」


 軽く言いながらも、その目は鋭い。

 兄弟の間に流れていた、ごく自然な“声にならない会話”を、柊は見抜いていた。

 優斗は戸惑いながら、視線を泳がせる。


「……僕たち、昔から……なんか、言葉にしなくても通じるときがあって……」


 麻斗も続ける。


「別に教わったわけでもねーし、最初から、普通にできたっつーか……」


 柊はふむ、と鼻を鳴らして、顎をさすった。


「……一卵性の双子で、なおかつ両方が霊力持ちか。その上、テレパシーが自然に使えるってか……」


 にやりと口元を歪める。


「……こりゃあ、本当に手がかかるガキどもを抱えちまったな」


 そう言って、柊はぐしゃぐしゃと二人の頭を撫でた。

 少しだけ、優しく。

 少しだけ、誇らしげに。


「まぁ、心配すんな。お前らみたいな変わり種は……ちゃんと育てるのも、俺の仕事だ」


 夜の社殿に、ふっと柔らかな空気が広がった。


「優斗の惹魔体質の対抗手段、そんで麻斗の退魔の波長の使い方……」


 柊は二人を見下ろしながら、言葉にぐっと力を込めた。


「そして、テレパシーの使い方——」


 優斗と麻斗は思わず息を呑む。

 自分たちが、知らず知らず抱えていた“特別”が、こうしてはっきりと認められた瞬間だった。

 柊はふっと、口元にいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「安心しろ、全部教えてやる」


 その言葉は、簡単だけど、どこまでも頼もしかった。

 そして柊は、くるりと踵を返すと、手をひらりと振った。


「……明日からな!」


 軽く言い放ちながら、社殿の奥へと歩き去っていく背中は、どこか誇らしげだった。

 優斗と麻斗は顔を見合わせ、そして小さく、同時に笑った。

 これから始まる訓練の日々に、不安もある。

でも——それ以上に、胸の奥が、ぽっと熱くなるような高鳴りで満ちていた。

 夜の柊神社は、風に揺れる木々の音だけを静かに響かせながら、二人の新しい旅立ちを見守っていた。


 ◆ ◆ ◆


 翌日、優斗と麻斗ら学校が休みだったので朝から柊神社にいた。


「とりあえず、お前らの霊気の質がどんなレベルにあるかを確認する」


 社殿での座学がひと段落した頃、柊が立ち上がりながらぼそっと言った。


「境内に行け」


 その一言に、優斗と麻斗は顔を見合わせ、小さく首を傾げた。


「確認って……何を?」

「まさか体力測定とかじゃねぇよな……?」


 呟きながらも二人は素直に立ち上がり、境内へと出る。

 夕暮れの空が赤く染まり、神社の木々が長い影を落としていた。

 柊はゆっくりと二人の後に続き、腰の懐から数枚の呪符を取り出した。

 その手つきは慣れたもので、まるで紙飛行機でも投げるように、ひらりと空に放つ。


「——っ!」


 放たれた呪符が宙で光を放ち、淡くきらめいた瞬間——境内のあちこちに、もやのように揺らめく怪異の気配が現れた。

 一本足の黒い影、異様に長い手のもの、にやにや笑う顔だけのもの。

 どれも小型ではあるが、明らかに“普通じゃない”。

 優斗と麻斗は、驚いて思わず一歩下がる。


「ちょ、ちょっと叔父さん!?これ本物の……!?」

「本物だ。封じてあった弱めのやつを少し出しただけだ。まぁ、死にはしねえ。たぶんな」


 柊は悪びれもせず煙草をくわえながら、地面に腰を下ろした。


「とりあえず——戦ってみろ。“今のお前ら”の実力、見せてみな」


 呆れと緊張を入り混ぜたような顔で柊を振り返り、お互い顔を見合わせた。


(どうしよう…何も習ってないぞ!?)

(兎に角、何とかするしかない)


 柊は眉をひそめた。

 鋭く響くような、金属を擦るような感覚。耳ではなく“霊的な感覚”に直接響くそれは、双子が活発にテレパシーを使っている証だった。


「……まあ、慣れてねえと頭痛くなるが……あいつらにとっちゃ普通か」


 そう呟いたきり、柊は何も言わず、静かに見守る。

 その時——境内に現れた複数の怪異の中の一体が、ピクリと優斗の方を向いた。

 影のような体に、ぬるりと光る目が一つ。まるで飢えた獣のように、喉の奥からガラガラと濁った音を立てる。

 次の瞬間、その怪異は地を蹴った。


「っ!——来る!」


 優斗が叫ぶ間もなく、怪異は一気に距離を詰め、まっすぐ彼へと飛びかかった。

 その動きはまさに——空腹の犬が生肉に飛びつくような速さと執着。


「これは……思った以上に惹き寄せてんな……」


 柊が腕を組み、低く唸った。

 その目は鋭く光り、状況を冷静に見極める。


「テレパシーでの連携はできてる。だけど……優斗の霊気の放出、まだコントロールできてねえな。“引き寄せる”ってのは、つまり——“真っ先に喰われる”ってことだぞ、優斗」


 その言葉通り、怪異の狙いは完全に優斗。

 他の怪異たちも、徐々に優斗の周囲に気配を向けはじめている。

 柊は動かない。

 まだ手は貸さない。


「さあ、どうする。お前ら——“二人で”どう戦う?」


 その時、怪異の爪が優斗の眼前に迫り——


「兄ちゃん、しゃがめッ!」


 麻斗の声とともに、鋭い退魔の波長が優斗の頭上をかすめて飛んだ。

 波動が怪異の顔面に直撃し、影の体がぐしゃりと音を立てて崩れる。


「っ……サンキュ!」

「ったりめーだろ!引き寄せんのは兄ちゃんの役目なら、ぶっ飛ばすのは俺の役目だ!」


 二人のテレパシーが境内に響くように飛び交い、戦いの流れが、確かに“連携”の形を取り始めていた。

 柊は腕を組み直し、ふっと口元を緩めた。


「麻斗の波長は……全然だな」


 柊は腕を組みながら、境内の隅でつぶやいた。

 確かに、怪異を怯ませる程度の力はある。だが——祓いきれてはいない。

 優斗のように霊気が集まる特性とは違い、麻斗の“波長の出力”は今のところ低めに見えた。


「ま、こんなもんか。気合だけじゃ霊は祓えねえからな……」


 そう、思ったのも束の間だった。

 柊がふと目を離した、その瞬間——

 怪異の一体が、ぬるりと背後を取るように動いた。

 優斗の首元へと鋭い爪が伸びる。


「っ……まずい」


 柊が立ち上がり、術を解こうとした、その瞬間。


「兄ちゃんに……手を出すなああぁっ!!」


 境内に響いた麻斗の怒声。

 その声と同時に——

 ブワァッッ!!

 空気を裂くように、爆発的な退魔の波長がほとばしった。まるで心臓を打つ鼓動のように、大地が一瞬だけ揺れた気がした。柊の立つ場所まで届いたその波長は、怪異の姿を一瞬で掻き消す。

 ただ祓うのではない——消し飛ばす。

 それだけでは終わらなかった。

 柊の懐にあった、封印用の呪符までがじゅっ……!と音を立てて焦げた。


「……マジかよ……」


 柊が目を見開いたまま呟いた。


「今のは……怪異や霊だけじゃねぇ。術式に込められてた霊力までも……“祓いやがった”」


 まるでこの世の霊的構造そのものに逆らうような、破壊の波長。その中心には、肩で息をしながら、優斗をかばうように立つ麻斗がいた。

 退魔の波長の渦が、まだ周囲にじわじわと揺れている。


「お前らの実力は……よーく分かった」


 柊はゆっくりと立ち上がり、煙草をくわえ直すことも忘れたまま、二人の方へ歩いた。


「……まったく。面倒なの拾ったと思ったら、どうやらとんでもねぇ爆弾だったか」


 けれどその口元には、明らかに笑みが浮かんでいた。


 ◆ ◆ ◆

  

 境内の端では、麻斗が大きな掛け声とともに、退魔の波長を拳に練り込む練習をしていた。

 砂が跳ね、風がうなり、時おり柊の怒号が飛ぶ。


「ちがう!力んでんじゃねぇ、気持ちで制すんだバカ!」


 その声を背に、優斗はふと社殿の縁に座っている柊に呼ばれるのを感じた。

 手招きに気づいた優斗が歩み寄ると、柊は煙草をくわえたまま、じっと優斗を見据えた。


「……お前の体質のことについてだがな」


 静かに、けれど真っすぐに語るその声音に、優斗の胸がすっと強張る。


「はっきり言うぞ。——とんでもなく危険なもんだ」


 柊の目が細められ、冷たくも真剣な光を宿す。

 優斗も無意識に唇を引き結ぶ。


「お前の霊気の質は、ただの霊力じゃねえ。

 人ならざる者を惹きつける、“惹魔の波長”と呼ばれるモンだ」


 柊の低い声が、境内に沈んでいく。


「……やたら霊に追いかけられたり、狙われたりしなかったか?」


 優斗は、一瞬目を伏せた。

空き家にいた影に狙われたこと、人ではない何かに招かれたこと、声にならない囁き——全部思い出す。


「……あった。たくさん」

「だろうな」


 柊は短く息を吐き、煙草の火を指でつぶした。


「感情が昂ぶれば、霊気は漏れる。霊気が漏れれば、お前は『香り』になる。——怪異にとって、抗いがたい魅力だ」


 柊の口調は厳しかった。だが、それは恐怖を煽るためではなく、現実を叩き込むためのものだった。


「だからお前は、これから“感情を抑制し、霊気を抑える訓練”をしなきゃならねぇ」


 優斗が、思わず柊の顔を見上げたその瞬間——柊は静かに言い切った。


「さもないと……人ならざる者に嬲り殺されるぞ」


 言葉の温度は低いのに、突き刺さるような鋭さがあった。


「麻斗はともかく……お前は麻斗とは別途、俺がみっちり訓練させる」


 柊は立ち上がると、優斗の肩に手を置いた。


「……わかったか?」


 優斗は、震えるまぶたを押し上げるようにして、柊を見上げ——しっかりとうなずいた。


「……はい。わかりました」


 その声はかすかに揺れていたが、確かに意志を持っていた。


「……兎に角、祓う勉強をしろ」


 柊は腕を組み直し、ゆっくりと優斗の方へと歩を進めながら続けた。


「対抗しろ。呪術、結界術、術式——陰陽師としての力のすべてを麻斗以上に叩き込んでやる」


 静かだが、どこまでも強い言葉だった。

 優斗の胸の奥に、まっすぐ突き刺さるように響く。


「お前が霊を引き寄せるなら、引き寄せたぶん、祓って返せ。感情を抑えながらも、ちゃんと自分を守れる力を持て」


 柊は立ち止まり、優斗と目線を合わせるように腰を落とした。


「相手が何者か分かれば、怖くなくなる。

 何者か分かって、何とかできる力があれば、自信が生まれる」


 そう言って、柊はふっと口元を緩めた。


「そのために……俺はお前たちに声かけたんだからな」


 その笑みは、初めて会った日のそれとは少し違っていた。


教える者としての誇りと、二人への期待が滲むような——ほんのり優しい笑顔だった。

 優斗は、ぎゅっと両手を握りしめると、小さく頷いた。


「……僕、頑張るよ。ちゃんと、戦えるようになる」


 柊は満足げに立ち上がると、軽く背中を叩いた。


「それでこそ、俺の甥っ子だ」


 その声は、夕暮れの風にまぎれて、どこか温かく残った。

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