第11話 最後の給食

 古びたとある施設。事件によって廃業となった養護施設。そこに子どもの霊が出るということで、除霊の依頼が舞い込んだ。


「希望の家、ね」


 麻斗はくすんだ看板をぬぐい、かろうじて読める施設名を確認する。


「優斗、依頼主は遠慮なく除霊して欲しいって言ってるらしいぜ」


 皮肉げに笑いながらそう言う麻斗に、優斗は手元の資料をめくる。


「……除霊って簡単に言うけど、相手は“子ども”の霊だ。下手にやれば、余計に苦しませることになる」


 その言葉に、麻斗は肩をすくめて門をくぐった。すると——


「パパ…?おむかえにきてくれたの?おなか、すいたの……」


 すっと姿を現したのは、まだ小学生にも満たないほどの小さな子どもの霊だった。

 腕や足は細く、頬がこけたまま、こちらをじっと見て首を傾げている。


(…こんなに気分が悪くなるのも珍しい依頼だよな)


 麻斗がテレパシーで優斗に呟く。

 優斗は霊の前にしゃがみ込み、静かに問いかけた。


「君の名前は? ここでずっと、待ってたの?」


 しばらく黙っていた霊は、かすかに目を伏せたあと、小さく呟いた。


「……ひかる。ぼく、ひかる」


 その名を口にしたあとも、ひかるはお腹を押さえて言った。


「おなかすいたの……みんな、おなかすいてるの……」


 周囲には他にも痩せこけた霊がいた。じっと見つめてくる子、隠れるように佇む子、壊れた遊具のそばで動かない子——どの子も、満たされないまま、そこに“残って”いた。

 麻斗は思わず目の前のひかるに手を伸ばしかけたが、寸前で引っ込め、肩をすくめた。


「どうするよ?絶対、空腹が未練じゃん。……俺、なんか食材買ってこようか?」


(俺じゃあ…触れたら、うっかり退魔の波長で祓っちまうし)


 複雑な気持ちのこもった麻斗のテレパシーが優斗に届く。優斗は視線で「任せる」と告げると、麻斗は笑って走り出した。


(言われなくても!俺が最高の給食、作ってやる!)


 テレパシー越しに、ホカホカのカレーと施設の地図が送られてくる。

調理室、食堂——ちゃんと現役で残っているようだ。

 麻斗が買い物に出ているあいだ、優斗は子どもたちと中庭に出ていた。

 壊れた遊具や色あせたボール、錆びた鉄棒や傾いたブランコ。けれど、霊たちはまるでそれが宝物であるかのように楽しげに遊び始めていた。

 ふと、優斗の袖が小さな手に引かれる。

 見ると、ひかるが上目遣いで見つめながら、声をかけてきた。


「ねぇ、おにいちゃん。2人は兄弟なの? すっごく似てるね! 仲良し?」


 優斗は一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに微笑む。


「……うん。双子なんだ。よく喧嘩もするけど……まあ、仲はいい方だと思うよ」


 ひかるは目を丸くして、にこにこと笑った。


「いいなぁ。ぼく、兄弟とかいなかったから……いいなぁ……」


 その言葉に、優斗の胸が少しだけ痛んだ。


(そうか。きっと……誰にも迎えに来てもらえなかったんだな)


「……ほんとに、ごはん……くるの?」


 ひかるがまた不安そうな声で尋ねる。

 優斗は頷く。


「ああ。あいつが作るって言ってた。カレー、大盛りで、ちゃんと」


 それを聞いたひかるは、少し頬を緩める。

 優斗はその表情を見つめたまま、ふとぽつりと言った。


「……僕も、作るよ。アイツと一緒に」


 ひかるはパッと顔を明るくして、「ほんと?」と小さく呟いたように笑い、くるりとその場を跳ねて駆けていった。

 そして、暫く子供たちと遊んでいると、買い物袋をたんまり抱えた麻斗の姿が見えた。


「優斗!買ってきた!ついでにお菓子もたんまり買って来た!カレー食ったら食べていいぞ!」


 元気な声とともに麻斗が戻ってきた頃、霊たちはふわふわと食堂へ集まってきていた。


「電気もガスも水もまだあってよかったわ」


 麻斗は張り切って鍋を火にかけると、優斗に笑いかける。


「視覚と嗅覚で攻めるのが基本だからな!ここからは給食タイムだ!」

「波長混ぜるなよ」

「バレた!?」



笑い声とともに、温かなカレーの匂いが施設中に広がっていく。そして——


「わーい!」「お食事!」「ぱぱすき!」「ぱぱ!」「たべものー!」


 霊たちがぴょこぴょこと飛び跳ねながら喜ぶ。その様子を、麻斗はどこか嬉しそうに、けれどどこか寂しげに見つめていた。


「皿も残ってるな……けど、まだ全然新しいじゃんか」


 棚に残されたキャラクター付きの皿やスプーン。どれも使われた形跡がない。


「……支給されたけど、一度も使わせてもらえなかったんだな」


 優斗がぽつりと呟く。


「ふざけんなよ…それで、ガキどもには飯もろくに食わせずに……」


 麻斗は拳を握るが、すぐに力を抜いて皿を手に取る。


「だったら、今こそ使ってやる。ちゃんと“子どもたちの皿”として、な」


 そして、配膳が始まった。


「おかわり!」「ズルいぞー!」「おいしー!」


 霊たちはワチャワチャと食べながら笑っていた。

 麻斗は自分のカレーには手を付けず、隣に座るひかるの皿にもう一杯よそってあげる。


「たんまり作ったんだ。おかわりなんて腐るほどあるぞ!」


 ひかるはパクパクと口に運びながら、笑顔で頷いた。


「どういう原理なんだろな」


 カレーが霊の中に消えていく様子を見て、麻斗が苦笑する。


「“食べたい”って未練が強ければ、こっちの物理も反応する。味も、きっと感じてるよ」


 優斗がそう答える頃には、霊たちの姿は徐々に薄くなり、遊具で遊んでいた子たちも次々に消えていく。


「……この施設のオーナーも、従業員も、まだ生きてるだろうけどな」


 麻斗がポツリと呟いた。


「普通の顔して、どっかで暮らしてるよ。罪も、記憶も、なかったことにして」

「ふーん。ま、とりあえず任務完了って感じ?もう霊の気配はしないもんな」


 麻斗は天井を見上げて言い、ゆっくりと立ち上がった。

 すると、ひかるは最後まで残っていた。

 麻斗はその子の前にしゃがみ、最後のひとさじを手に取った。


「もうちょっとだけでいい。あとちょっとだけ、笑って帰れよ」


 ひかるはそれを受け取ると、ふわりと微笑んで口にした。


「……ありがとう、おにいちゃん。ぼく、もう、さみしくないや」


 その姿はやがて、あたたかな光の粒へと変わり、そっと空に消えていった。


 ◆ ◆ ◆


 あの施設は、霊が還った翌週にはあっさりと更地になった。

 何もなかったかのように、痕跡も残らず。

 柊神社の畳の上で麻斗がごろごろしながら言う。


「なんだかな〜なんか腑に落ちないな〜。もっと供養とか…こう…うーん……」


 ふと、縁側で風に揺れる小さな白い花が目に留まった。


「……花でも供えに行く?」


 その問いかけに、優斗は少しだけ目を細めて頷いた。


「“ひかる”って、言ってたよな。最初の子」

「うん。ちゃんと覚えてる。……あいつ、最後めっちゃ笑ってたな」


 麻斗は花を摘み、そっと布に包む。


「また誰にも見向きもされないまま消えるなんて、嫌だろ。せめて俺たちは、ちゃんと覚えててやろうぜ」


 二人の歩く足音が、静かな神社の境内にふわりと響いた。

 記憶のなかで咲く、たったひとつの花を抱えて——。

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