第16話 神、ポストに挟まったチラシを真剣に読む

ポストに、何かが挟まっていた。


乾いた紙が、銀色のポストに無理やり押し込まれている。


取り出すと、指先にざらりとした感触が伝わった。




「……またチラシか」




オメガさんは小さくつぶやいた。


特に期待はしていなかった。期待など、しない方がよい。


この世には、期待していいことなど、そう多くはない。




玄関先にしゃがみこみ、紙を広げる。


そこに書かれていたのは、「地域最大級!中古車フェア開催!」という、どうでもいい知らせだった。


大きな赤い文字と、どぎつい黄色。


四隅には、妙に笑顔がぎこちない営業マンたちの顔写真が並んでいる。




オメガさんは、それを静かに見つめた。




何が気を引いたのか、自分でもわからなかった。


だが、気がつけば、チラシの隅々まで読み込んでいた。




「オートマ限定免許の方も安心……か」




声に出して読み上げてみる。


ちなみに、オメガさんは免許を持っていない。




「頭金0円プラン……ふむ」




ローンを組む予定もない。


車を買う必要もない。


そもそも、この町内に、神にふさわしい車など存在しない。




それでも、オメガさんはチラシを手放さなかった。


玄関のタイルの上に、ぺたりと座り込み、


まるで神託を読み解くかのように、


何度も何度も、同じ文面をなぞった。




空には、雲ひとつない青さが広がっていた。


遠くで小さな草刈り機の音がして、のどかに響いていた。




そこへ、たまがやってきた。




「なにしてんの」




ぬるい声で言いながら、足元に座り込む。


日差しを受けた毛並みが、ゆっくり呼吸しているように揺れた。




オメガさんは、ゆっくり顔を上げた。




「中古車フェア、らしい」




「ふうん」




たまは、チラシをひと目見ると、すぐに興味を失った。


インクのにおいを嫌う素振りを見せて、ぷいと顔をそむけた。




オメガさんは再び視線を落とした。




「デ◯オ、ヤ◯ス、フ◯ット……」




車種の羅列に、なぜか胸がざわつく。


一台一台に、年式と走行距離が記載されている。


"平成26年式 走行4.8万キロ"


"令和元年式 走行1.5万キロ"


"平成22年式 走行9.3万キロ"




その数字たちに、妙な生々しさを感じた。




走った距離。


過ぎた年月。


名前も知らない誰かの、知らない暮らしの跡。




乾いた紙越しに、そういうものが滲んで見えた。




「…………」




オメガさんは、ゆっくりとため息をついた。


たまがちらりとこちらを見たが、特に何も言わなかった。




しばらくして、オメガさんは立ち上がった。


チラシをそっと二つに折り、さらに四つ折りにする。


丁寧に、端をそろえながら、ポケットにしまった。




たまが、じっと見ている。




「行くの?」




「行かない」




きっぱりと答えた。




「でも、持っておく」




何に使うわけでもない。


ただ、持っておきたいと思っただけだ。




たまは「ふーん」と言って、あくびをした。


玄関のタイルの上で、だらりと身体を伸ばす。




外は、やわらかい光に満ちていた。


静かで、何も起きない、のどかな午後だった。




オメガさんは、ポケットの中のチラシを、指先でそっとなぞった。




中古車フェア。


派手なインクの色あせた手触り。


どうでもいいけれど、どうでもよくない、そんなもの。




それを持ったまま、オメガさんは家の中へと戻った。




何かが変わるわけでもない。


何かが始まるわけでもない。




ただ、今日は、チラシを手にした。


それだけのことだった。




それだけで、十分だった。

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