第15話 神、スーパーの値引きシールに惹かれる

朝食のあと、オメガさんは、テーブルの上に広げたチラシに目を落とした。




「今日は……火曜か」




近所のスーパーでは、毎週火曜日に惣菜の値引きセールがある。


彼はその情報を、冷蔵庫の扉に貼ったメモで確認していた。


神とはいえ、習慣に頼るところはある。




小さな冷蔵庫のドアを開ける。


中には、豆腐が一丁。ほかには、残り物の白菜と賞味期限が近い卵があった。




「豆腐……」




豆腐は、便利な存在だ。


冷やしても、茹でても、焼いても良い。


そこそこ日持ちする。どこか、自分に似ている気がする。




だが、三日続けてとなると話は別だった。




そのまま縁側に出ると、たまが丸くなって眠っていた。


寝息が小さく、陽射しのなかで耳が時折ピクピクと動く。




「……出かけてくる」




特に返事はなかったが、たまの尻尾がぴくりと反応した。




午後三時。


オメガさんは、スーパーの自動ドアを静かにくぐった。


店内には冷房が効いていて、少しひんやりしている。




カートは使わない。


カゴも持たない。


両手を空けたまま、まずは店内を一周する。




これは、彼なりの偵察である。


惣菜コーナーの配置。値引きシールの貼られたタイミング。


それらを神の眼差しで見極めていく。




揚げ物コーナーに立ち寄ると、コロッケ2個入りのパックに赤いシールが貼られていた。




「……60円引き」




もともと158円だった。


それが、60円引きで98円になっている。




しばらくそのコロッケを見つめて、少し考える。




「……お得だな」




小さな60円も、侮ってはならない。


それはたしかな"得"であり、尊重すべき変化だった。




そっと、牛肉コロッケのパックをひとつ手に取った。


迷いはなかった。


背後から、小さな足音が近づく。




「ママー、これ半額だよ!」




「うん、でも今日はいらないの」




「えーっ? なんで?」




その声に、オメガさんは小さくうなずいた。




「そう……“お得”とは、買う理由にはなっても、買う決め手にはならない……」




しばらく考えた末、さらにクリームコロッケのパックを一つ。


両方に、60円引きの赤いシールが光っている。




買い物かごは使わない。


二つの惣菜パックを手に持ったまま、冷蔵棚へ向かう。


豆腐の棚には、見慣れたパッケージがずらりと並んでいた。




「……もう一丁、あっても良いかもしれない」




豆腐は裏切らない。


たとえ三日連続でも、それはそれで食事になる。




そのままレジへ進む。


合計金額は253円。




ポイントカードは持っていない。


袋を忘れたため、レジ袋をひとつ購入する。3円。




「……120円引きで、袋が3円……」




レシートを片手に、レジから少し進み、足を止める。


計算はすぐに終わった。




「……117円の得、か」




実にお得だ。




買ったばかりのコロッケを袋から取り出し、まだ温かいうちに口に運ぶ。


ソースなしでも十分にうまい。




道端の桜はすっかり葉桜になり、淡い若葉が日の光を受けてまぶしく揺れていた。


通りを歩く人々は、それぞれの目的地へと淡々と進んでいく。




彼はその流れに紛れるように、静かに歩いた。




帰宅すると、たまが目を覚ましていた。


縁側で体を伸ばし、オメガさんの姿に気づくと、のそのそと近寄ってくる。




「……またコロッケ?」




「今日は特売日だった」




「へえ。……すごいね」




コロッケを半分に割り、たまの前に置こうとして、手を止めた。


「……猫に揚げ物はよくない」と、どこかで聞いた気がする。




代わりに、煮干しをひとつ、たまの前に置いた。


たまは迷いなく、それをぱくりと食べた。




「うま」




それを聞きながら、オメガさんはコロッケを口に運んだ。


遠くで風が吹き、縁側の簾がわずかに揺れた。




チラシはまだ、テーブルの上に広げられていた。




「……木曜は、卵か」




オメガさんはそれを見て、小さくうなずいた。

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